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私が「看護婦になる」って言う夢を話したその日の夜に、その子容体が急変して…亡くなったんだ。

814: ほんわか名無しさん 投稿日:2006/12/11(月) 19:53:18

思い出すたび泣けてしょうがないけど、このスレみてたらほっこりしたんで投下。


私、今入退院の繰り返しで闘病中なんだけど昔一緒の病室になった女の子が居たんだ。
その子は私より年下だけどずっと長く入院してて、部屋はすぐに個室同士へ別れたんだけどずっと「お姉さん」て呼んで親しんでくれてた。
でも私が「看護婦になる」って言う夢を話したその日の夜に、その子容体が急変して…亡くなったんだ。ほんとにほんとに悲しくてずっと泣いて。
半分欝になりかけた私に、ある日その子のお母さんが私に手紙、くれたの。その子が亡くなる日の消灯前に書いたやつ。
ただ一言「お姉さん、看護婦さん似合いそうだね。応援するよ。」って。
見た瞬間また死ぬほど泣いた。

私は今だいぶ良くなって定期的な通院だけで大丈夫なくらい回復して看護婦になる為の勉強をしてます。
あの子の手紙は私の宝物だな、と。ありがとうね。


長々携帯からスマソ。


[ 2014/08/07 18:01 ] 死別 | CM(0)

線路に落ちた子供助けて自分がはね飛ばされるなんてさ。

769: 大和へ 投稿日:2006/12/03(日) 23:43:35

大和へ

ありがとう。
生徒会で最初に仲良くなったのはお前だったな、そういや。2人ともギターやってて好きなバンドの話したな。
予算の話でゴタゴタしてた時に一緒に仕事したのが最初だったっけ。あんときは目が回るほど忙しくて9時辺りまで2人して学校籠もってたよな。2人で話したやんか、「大和が会長で、俺が副会長。2人して頑張ろうな」って。


[ 2014/08/06 18:01 ] 死別 | CM(0)

「いつか死ぬからこそ生きるのが楽しいのだ。」

531: ほんわか名無しさん 投稿日:2006/10/12(木) 16:26:33

死ぬのは確に恐いけど、死ぬまでに思いっきり充実した人生送ってさ
死ぬ時に「あー楽しかった俺の人生最高!!」って思えるようにしたい

って思った


[ 2014/07/26 18:01 ] 死別 | CM(0)

あの時俺が何か声をかけてやればもしかしたら救われたんじゃないかと思うと今でも時々胸が苦しくなる。

76: 1 ◆zBvvMGYmRg 投稿日:2006/06/10(土) 00:35:59

それじゃ、俺からも一つ話を。


喘息がひどくなり病院に入院していた時の話。

確か俺が入院してる病室は4人部屋で、俺と、俺と同い年の人と、もうちょっと年上の人が入院していた。
入院した初日は発作がひどく、とても誰かと喋れるような状態じゃなかったが、
数日すると落ち着いてきて多少話も出来るようになってきた。

俺の向かいに入院している年上の人はなにやらいつも難しそうな本を読んでいて話しかけにくかったが、
俺の横に入院している人は同い年ということもあり、よく話していた。
いつも笑顔のおとなしくて優しい奴だった。

当時はやっていたテレビアニメや、ゲームの話、何人かでトランプをやったことなんかもあった。
でも、俺が学校の話をするとそいつは決まって暗い顔をした。
そのときは全然知らなかったが、実はそいつはずっと病院に入院していて学校にほとんど行っていなかったという。
俺のところに友達がお見舞いに来てくれるたびにカーテンの隙間からこっちを見ていた。
そして俺の友達が帰るとそいつは「ヒロトのところには友達が来て羨ましいな。」と寂しそうに言った。
俺はなんと言えばいいか分からなかったが無視する度胸もなかったので「んじゃ、今日から俺ら大親友だ!」とか適当に言った。
その瞬間そいつの顔が明るくなって、俺もなんとなく嬉しくなってきた。
確か入院生活4日目の夕方のこと。


[ 2014/07/03 10:01 ] 死別 | CM(0)

教科書であったいい話シリーズです。

979: 癒されたい名無しさん 投稿日:2005/03/29(火) 17:04:06 ID:SLcx509D

 わたしたちは、第二次世界大戦から二十年たった今、直接被害のないベトナムの
戦いを見て、わたしたちが失ったもの、その悲しみを、新しく考えることが必要だ
と思います。
 これは、わたしが経験したことです。

 第二次世界大戦が終わり、多くの日本の兵士が帰国してくる復員の事務に就いてい
た、ある暑い日の出来事であった。
 わたしたちは、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人
は、なくなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた。
 留守家族の多くの人は、ほとんどやせ衰え、ぼろに等しい服装が多かった。
 あるとき、ずんぐり太った、立派な服装をした紳士が隣の友人のところへ来た。
 隣は、ニューギニア派遣の係であった。
 その人は、
「ニューギニアに行った、私の息子は。」と、名前を言って尋ねた。
 友人は、帳簿をめくって、
「あなたの息子さんは、ニューギニアのホーランジヤで戦死されておられます。」
と答えた。
 その人は、その瞬間、かっと目を開き、口をぴくっと震わして、黙って立ってい
たが、くるっと向きを変えて帰っていかれた。
 人が死んだと言うことは、いくら経験しても、また繰り返しても、慣れるという
ことはない。
 言うことも、またそばで聞くことも、自分自身の内部に恐怖が走るものである。
 それは、意識以外の生理現象である。
 友人は言ったあと、しばらくして、バタンと帳簿を閉じ、頭を抱えた。
 わたしは黙って便所に立った。


[ 2014/07/01 18:01 ] 死別 | CM(0)

俺を含む大人達にはその言葉があまりにも痛かった。

667: 癒されたい名無しさん ID:zdiE8p+k

親戚にとても仲のいい幼い兄妹がいた。兄は3才の康介ちゃんで妹は2才の愛ちゃん。
21だった当時の俺も可愛くてたまらない子供達だった。
しかしある年末、その仲のいい兄妹の妹の愛ちゃんがトラックにひかれて死んだ。
その愛ちゃんの家族・親戚はもちろん泣いていた。
俺はあまりにも急過ぎて実感がなかった。そして愛ちゃんの兄、康介ちゃんも泣いていなかった。
俺は多分3才だから何が起きたかわかってないんだろうなあと思っていた。


[ 2014/06/21 18:01 ] 死別 | CM(0)

妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。

397: 癒されたい名無しさん ID:n++6+TDL

クリスマス・コピペ

357 :非通知さん :03/02/01 00:08 ID:iIeCcXh8
おにいちゃんありがとう?
妹が亡くなって2年の歳月が流れました。妹からの最後のメールを見て命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛か・・・
白血病に侵され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、12年間苦しむだけで短い生涯を終えた・・・14才でした・・・。
妹が2才半のとき、微熱が続き、病院に行ったときには「白血病」と診断・・・その日から母は毎日病院と家を往復する日々が続き、
大型連休で家族そろってレジャーに行く日なんてありません。妹の面会が我が家の大型連休の消化日課でした・・・「妹がいなければ遊びに行けたのに!!」
当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。でも、両親が妹ばかり世話し、愛情いっぱいあげてる姿に嫉妬したんでしょうね・・・。
その妹が亡くなって2年。両親は抜け殻がとれたような静けさです・・・私もですが・・・。
99年の12月中旬、突然妹が「携帯電話がほしい」と、言い出しました。私がメールばかりしていたので欲しくなったんでしょうね・・・
もちろん大急ぎで買いに行きました。そしてイブの夜に携帯電話を渡し、一緒にメールの送信方法も教えてやりました。
そして、私が家に帰る頃には正午を過ぎてクリスマスを迎えた寒い夜になっていました。寝ようと思ったら妹からのメールです。
「さっきはイブだったけど、今日はクリスマスだよ。迷惑ばかりかけてごめんね。おにいちゃん。ありがとう」・・・これを見た途端母が息を切らして階段を上がり、
「病院に行くから支度しなさい」…さっき別れたばかりなのにまた行くの?なんで?と思いました。
病院に行くと、さっきまで元気だった妹が顔に白いクロスをかけられて亡くなっていました。あとで看護婦さんに聞いてわかったことなんですが、
携帯電話を強く握り締めて離すのにたいへんだったと・・・それを聞いて涙がいっぱいあふれました・・・。
妹の携帯電話は解約しましたが、2年経ったいまでも遺影の横にそっと置いてあります。
妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。天国でも携帯電話が使えると良いなぁ・・・


FLASH
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=5318


[ 2014/06/03 10:01 ] 死別 | CM(0)

俺は馬鹿だった、世間知らずで臆病だった。初めて友達の前で泣いた。

311: 癒されたい名無しさん ID:21IVYnI7

17才の時、俺は親父が嫌いだった。友達の前でも親父の愚痴ばかり・・・しかしその友達の親父は友達が小さい時に死んでいた。俺は馬鹿だった、世間知らずで臆病だった。初めて友達の前で泣いた。


[ 2014/05/30 22:01 ] 死別 | CM(0)


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