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アルツハイマー+癌になった祖父と二人きりで

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
uni.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1071493778/

575 :大人になった名無しさん:2012/11/15(木) 02:49:47.43
ここを読んでたらアルツハイマーになった祖父の話を生々しく思い出したので。
ちょっと長くなるし、若干スレ違いかもだけど、祖父との思い出なんで吐き出させてください。

祖父母と言うと私には母方しかいませんでした。父方の祖父母は私が生まれる前に亡くなっていました。
父が長男だから勿論別居なんだけど、家は同じ県内にあって車で一時間以内の距離。

母は長女だし、私も二人姉弟の上の方だから、祖父母にとっては初孫。
しかも祖父母には私の母とその妹しか子供がいなくて、叔母(母妹、既婚)には未だ子供がいないので、孫がたった二人だけ。なので、正直な話、祖父母にはかなーーーーり甘やかされて育った。

祖父は日曜大工が得意で、シルバニアファミリーの玩具の家(市販と同じようなクオリティ)を作ってくれたり、和室にミニ四駆のコースを作ってくれたりして、私と弟(2つ下)と一緒に遊んだりした。

どちらかと言うと寡黙な祖父だけど、私達と遊んでくれる時はすごく優しかった覚えだけはある。
よく地元の本屋まで散歩てがら連れて行ってくれたり、本を読んだり、遊園地へ連れて行ってもらった。
あとあと聞けば、祖父は外出嫌いだったそう。でも、孫とならどこへでも行ってくれた。

株をやるくらいしっかりしていて、オシャレでしかも男前な、自慢のおじいちゃん。私の父は私服で仕事してたんで、祖父のスーツ姿がとってもかっこよくて本当に憧れていた。






けど、五年くらい前からかな。すっごくしっかりしていた祖父が、物を探したり、同じことを二回聞いたりし始めた。
よく覚えてるのは、私と弟が祖父母宅に遊びに行って2階の部屋で2人でゲームをしている時に突然ふらっとやってきて、「どうしたの」と尋ねても「何もない」って言ってすぐ下の居間に降りちゃったり。
「ちょっと」って呼ばれてついて行ったら「あれがないねん」と言いながら家中を探し回るのに付き合わされたり。「あれってなに?」と聞いても「あれはあれや」みたいな…途中で諦めて探すのやめるんだけどね。それが一時間に何回も起こるようになる。

家中全員が、嫌な予感がしていた。ううん、予感じゃないね、ほぼ確信だね。
でも、決定打が嫌で嫌で、引き伸ばしてた。主に祖母が。
でも、母(長女)と父(うちの祖父母には男の子がいなかったので割と信頼があり発言力も強かったりする)の説得で祖父を病院に連れていった。それが三年くらい前かな、私が大学へ入った頃。
結果、アルツハイマーでした。
その数年前に、祖父の職種が世間的に叩かれたことがあった。あの職業叩きがあったからだ、っていうのが我が家の結論。趣味も持ってなかったじーちゃんは、辛いことと一緒に色んなことを忘れてしまったように見えた。

祖父がアルツハイマーだって聞いた時はショックで仕方なかった。何ができるのかなって考えて、でも大したことはできないしで、週末にはできるだけ泊まりに行った。
結果、当然のことなんだけどアルツハイマーになっても祖父は祖父だった。
手を繋いで一緒に散歩に行けば、必ず車線側を歩いてくれる。正直言って私が祖父を車から守らなくちゃいけないのに、祖父は自然と私を守るように歩いてくれた。
祖母が地域の集まりとかで出かけ(割と頻繁だった)2人になると、一生懸命私の話を聞いてくれた。
気の利いた話ができなくて、サークルの話とかしょうもない笑い話ばっかりだったけど、一生懸命、首を縦に振って相槌を打ちながら聞いてくれた。
台所からバナナを持ってきて「これ、食べ」と言ってくれた。どんなにお腹いっぱいでもそのバナナは食べました。ご飯の後はキツかった……。

576 :大人になった名無しさん:2012/11/15(木) 02:52:59.84
以下、ちょっと汚い話です。嫌な人は飛ばして。

そんなことが続く内に、祖父は排泄すら自分で出来なくなった。今から一年ちょっと前くらいかな。
汚い話になるけど、踏ん張ることができなくなるらしい。異物感はあるけど、出せないの。
あと、「排泄はトイレですること」っていう前提が吹っ飛んじゃってる。
だから、手で大便を掻き出して取っちゃうんだって。
勿論そんなことしたら駄目だから祖母とか母とかが必死になってトイレまで連れて行って世話をしていた。祖父はすげー抵抗するんだけどね。次第に、おむつをするようになった。
流石にその辺りの世話を孫にさせることは、祖母が難色を示しまくったので殆どしなかった。祖父のプライドにも関わるし。

…だけど、一回だけ祖母が長時間家を開けている時、もう祖父の状態も進行してたから私が留守番に行ったのね。
簡単に夕食作って、食事も綺麗にできなくなっていた祖父と2人でなんとか食べて、私が片付けをして台所から居間へと戻ったら、祖父がパンツを下げて指で大を掻き出しているところだった。
私は一瞬、本当にショックで固まったけど、すぐに祖父の手を引いてトイレまで連れて行きました。
「ごめんね、嫌だろうけどやらせてね、ごめんね」って言いながら。
大だらけになった指を洗って、アルコール消毒もして、お尻拭いて、おむつを変えて…って祖母達のを見よう見まねでやってた。
そしたら祖父がぽつりと「すまんのぉ」って。
泣きそうになったけどなんとか笑って「気にせんでええよー、家族やん」とか言ってた。全部綺麗にした後、祖父は居間でテレビ見てた。私は、台所に駆け込んで自宅の母に電話をかけた。
私が行った対処であってたのか分からなかったから確認って意味もあったんだけど、涙が出てきて止まらなかった。
昔は私をお風呂に入れてくれた祖父の用足しの世話をするんだ、って思うと、近い将来が見えて仕方なかったから、電話越しにめちゃくちゃ泣いた。母も泣いていた。

577 :大人になった名無しさん:2012/11/15(木) 02:53:54.40
続き。

結局その一年後、つまり今年の春頃には祖父のアルツハイマーは益々酷くなっていて、専門の病院に入院しました。アルツハイマー発覚からそれまで通っていた病院とは違う病院。と言うのは、それまで通院していた病院に不信感を抱いたから。
私はと言えば祖父の入院後、程なくして資格の実習に入り、丸々一ヶ月祖父には会えなかった。弟は足繁く通っていたので、そっちから話を聞く程度。

で、ようやく実習も終わった次の日。前日までの怒涛の実習に疲れ果てていた私は昼頃になってやっと起き出したんだけど、父と母が起きた私を待っていた。かなり神妙な顔つきで。
何事?と思って、朝食兼昼食を取りながら話を聞きくと父の口から信じられない言葉が飛び出した。
祖父はアルツハイマーの他に癌を患っている、と。S状結腸癌という癌で、一年以上前から発症している。
口の辺りにも転移が見つかっていて、もう長くない。長くて盆くらいまでだと言われた、と。
本当は半月くらい前に医者から言われていたんだけど、私の実習中にそんなことを言ったら私が混乱してしまうから実習後にしよう、と父と母で祖母に伝えたそう。

その日一日、私は使い物にならなかった。バイトもボロボロ。
癌?癌ってあのよくドラマとかでやってる?なんで祖父が?つかなぜ今頃判明したの?盆っていつだよあと二ヶ月もないじゃんかよ。
そんな感じで頭の中がぐるぐる。

要するに、入院する前の病院で癌を発見することができなかったんですね。簡単に言うと誤診ってやつです。
ネットで調べてみたらアルツハイマーの人の癌って、早期発見は難しいんですね。アルツハイマーのおじいちゃん・おばあちゃんを持つ方は注意してあげてください。
自分の痛みを自分で上手く表現できないんです。私達家族は、誰一人として祖父のサインに気づいてあげられませんでした。

その後、私は大学の講義が無い日は絶対に祖父の病院へ行きました。祖母は毎日毎日、電車かタクシーで病院まで通っていたので。
食事介護を手伝ったり、ただテレビを一緒に見ながらたわいのない話をしたり。勿論私からしか話さないけど、祖父は私の目を見て話を聞いてくれました。

私が手を握ると一生懸命握り返してくれました。
時間が来て「帰るね」って言うと、手を掴んで離してくれませんでした。「またね」って言ったら、もう殆ど話せないのに「うん、うん」って言ってくれました。
その度、「おじいちゃんは頑張ってるんだから、泣いちゃいけない」って思ってたのに涙が溢れて仕方なかった。何度も祖父の前でぼろぼろ泣いた。祖父は不思議そうに私を見ていた。

主治医の先生はすごくいい人で、危なくなってきたら「○○さーん、よくなりましょうねー、奥さんに聞きましたよ。よくなったら有馬温泉、行くんでしょ?がんばりましょー」って、すごく親身になってくださった。
この言葉のせいで私多分、一生有馬温泉行けないけどね。

祖父はアルツハイマーだったけど、時々ふっと「あれ、何もかも分かってるんじゃないかな?」って感じる時があった。けど、その瞬間以外は何もわからない状態。時々、「なんでここにおるんや」ってごねてた祖父はかわいかった。
祖父は私の父が運転する車に乗るのが大好きで、入院する直前まで魚市場とか花の市とかホームセンターとか、祖父の好きな場所に色々行ってた。だから父や母もずっと「退院して、また色んなところに遊びに行こう」って言ってた。
男の子らしい不器用さを発揮しまくってた弟も、家族が誰も病室にいない時、祖父に優しく話しかけてた。

口の中に癌が転移してたし入れ歯を入れることも分からなくて拒否してたので、次第に咀嚼もできなくて、流動食か柔らかいものしか食べなくなった。点滴を何本も打った。
よく家族で見舞いに行って、病院の近くのコンビニでアイスを買って行った。大体、ハーゲンダッツのバニラアイス。超高級だけど、祖父が美味しそうに食べるのはそれだけだったから。
でも、それすら食べられなくなった。諦めきれなくて買ったアイスを、祖父が一口も口にしなかったアイスを、よく弟と2人で処分した。あんなに美味しくないダッツは生まれて初めてだったよ、畜生。

578 :大人になった名無しさん:2012/11/15(木) 03:03:40.31
続き。
そんな日は一ヶ月も続かなかった。
ある日祖父が危篤にまで陥った。私と弟は講義、父は仕事だったので祖母と母、それに叔母が一晩中付きっきりだった。
その次の日は私が叔母と交代。昼も晩も付きっきりで祖父と過ごした。
血管と皮と骨だけになってしまった祖父の手を握ったり、さすったり。
その日、祖父が私の手を握り返してもう片方の手で私の手をさすってくれた。
もう、涙腺決壊どころか消滅した。
弟に「普通逆だろwww」って言われたけど、背後から聞こえた奴の声が若干震えてたことには突っ込まないでやった。
その内父もやってきて、その日はうちの家族全員が病院に泊まった。病棟の長椅子とか借りて。

その日も一日乗り切って、次の日叔母夫婦もやってきたので私は一旦大学へ向かった。
用事済ませて急いで祖父の病院へ。行こうとしたら電車が一時間以上遅延。
ふざけんなよ!と心中叫びながら病院へ。もう夜九時過ぎてたので、わざわざ病院を開けてもらった。本当、ご迷惑をおかけしました。
祖父はもう寝てました。母には「祖父母家へ戻ってもいいよ」と言われたけど、病院へもう一泊。夜十時とかにもう一回病院を開けてもらうのも悪いしね。
でもこの日、祖父は鼻からチューブを通した割には落ち着いていて割と気持ち良さそうに寝ていました。時々、目を覚ましてたけど。
私もほっとして寝てしまいました。

そして次の日、午後三時前になって祖父の容体が急変。息を引き取りました。
最後の最後、祖母や母が声を枯らして呼びかける中、私は震えて殆ど声が出せませんでした。何かうわ言を言っている祖父の口元だけ眺めてた。
必死で祖父の手を握ったけど、もう握り返してくれなかった。
涙で前も見えなくて、でも必死で「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼びかけました。走馬灯なんて駆け巡らないよ、「死なないで!」で頭いっぱいだったよ。

祖父の死顔はとっても男前でした。入院前の、アルツハイマーになる前のとてもすっきりしておしゃれでかっこよかった祖父その人だった。
「もう苦しまなくていいんだね」って、少しだけ安堵した。

それからは怒涛の勢いで葬儀屋さんが来たり云々。その日、祖父母宅での夜の線香の番は私が務めました。

一晩中、冷たくなってしまった祖父と、昔一緒にミニ四駆で遊んだ和室で夜を明かしました。
何度も白い布を取って、祖父の冷たい顔に触れました。
けど、何度も呼びかけたけどもう返事はしてくれない、此方を見てもくれない。
心電図が停止したところまで見届けたのに、その夜も一人で泣きました。

そこで久々に、私は祖父が撮り溜めた写真を見ました。
祖父はどうやら、私が生まれる少し前から写真を始めたようです。
アルバムは実に四十冊程。
一枚目の写真は母が嫁に行った頃のものなんですが、二ページ目くらいからは初孫の私の誕生の写真でした。
殆どが私や弟と、家族の写真。
時々、私が祖父に抱かれている写真なんかも出てきました。
そのアルバムの存在は知っていました。祖父がアルツハイマーになる前に、アルバムを山ほど買い込んで整理していたのは知っていました。
今思えば、自分で自分のことを不安に思っていたのかもしれない。だからあんなに、取り憑かれたように熱心に写真を整理していたのかもしれない。
けど、祖父がその進捗状況を教えてくれても、私は自分の写真を見るのが恥ずかしくて一緒に見ることもしなかった。一緒に見ようと遠回しに誘われても「また今度」とはぐらかしていた。

その日、祖父が死んでしまった日に初めてそのアルバムを見たんです。
運動会、お遊戯会、家族旅行、クリスマス、誕生日、ひな祭りにこどもの日。
どの写真も私か弟が写っていました。
行事が変わるごとに、祖父の字で西暦と行事名が書かれた付箋が挟まっていました。
どうして私はこれを祖父と一緒に見なかったんだろう。恥ずかしがって拒否しちゃったんだろう。
もっともっと、祖父と話したかった。大好きだって伝えたかった。

579 :大人になった名無しさん:2012/11/15(木) 03:06:03.97
ほんっと長くなってすみません、もう終わります。

私と弟のことを心底可愛がってくれた、大切な大切なおじいちゃん。いなくなって、そろそろ五ヶ月が経ちます。
今でも祖父母の家に泊まって、祖母が寝静まったあと一人になると、祖父が出て来て「早く寝ーや」と諌められそうな気がします。
まだまだ、実感も湧きませんし祖父の好物を見たり、一緒に行った場所に通りかかると「もっとこうしてあげたかった」「もっとああしてあげたかった」と思い出す日々です。

そんな私は今、喪中葉書を作成中です。
gdgd長くて本当にすみませんでした。
おじいちゃん、大好きだよ。
おじいちゃんのつけてたブレスレットを形見に貰ったよ。
毎日毎日つけてるよ。
時計ももらったよ。
でも人にぶつかられて外れて、電車の線路に落ちちゃって壊れちゃった。
泣きながら帰ったら、お母さんに「おじいちゃんが守ってくれたんや」って言われたよ。
泣き虫でごめんね。おじいちゃん、大好きだよ。
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[ 2012/11/20 10:25 ] 祖父母 | CM(3)

■コメント

>この言葉のせいで私多分、一生有馬温泉行けないけどね。

あなたの気持ちは理解できる、だからこそ行けるといいと思う
形身なり位牌なりをともに故人の好きな場所を巡るのもそれほど悪いものではないよ
これだけ優しい孫だ、おじい様が旅の道中を心配して付いてきてくれるかもよ
久しぶりにぼろぼろと泣いてしまった…
おじいちゃんも家族に最期まで思われて幸せだっただろうな
くそ…読むんじゃなかった

こっちこそ涙腺消滅したわ

おじいちゃん幸せだっただろうなぁ

優しい家族みんなのこと、おじいちゃんはいつも見守ってくれてると思うよ

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