1: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:11:57
鬱な話なんだけど、誰聞いてくれる奴いる?
2: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:22:09
ひとりごとだと思って書くわ。
初めて書くから、読みにくいと思うけどそれは許して。
4: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:25:26
そうだなぁ。。。どこから書いたものか。
とりあえず事は8年ほど前に遡る。
俺んちは4人家族で、父親、母親、俺、弟と言う構成。
昔から父親はどちらかと言うと土方系みたいなノリの人で、怒るとすぐ怒鳴ったり
喧嘩したりするタイプだった。
そんなある日、父親が体調不良を訴えた。コレ自体はいつものことで、低学歴のお陰で
給料は少ないけど大変な仕事をしてたからそうなるのも仕方ない事だと思う。
まぁ人が痛いだの熱が出てしんどいだの言うと、『大丈夫だ!』って言うくせに
自分には甘い人だった。
5: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:29:25
結果、色々な病院に行って胃潰瘍だとわかった。
父親は土方系みたいなノリのくせに細かいところが気になるタイプだったので
仕事でのストレスが凄いみたいだった。手先は器用だから機械系を勉強してれば
もっと良かったのになぁ。と今になっては思う。
話を戻す。そのストレスとやらで夜寝れないだのと言い出した。
そのくせ酒はやめない、タバコも止めないと言う有様だったが。
とにかく、寝れないとか言うことで精神科を受診し始めた。
そこで軽い鬱だと診断された。精神安定剤と睡眠薬をもらい始めた。
今思えばそこから徐々に、色々なものが壊れていったような気がする。
6: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:34:28
書き貯めしてなくてスマソ。
まぁ見てる人がいると思ってちょっとは読みやすく工夫するね。
なんかわかんないこととかあったら補足するから言ってね。
俺は当時高校3年生。弟は中学3年生でどちらも受験に忙しい感じだった。
父親は薬のおかげか症状がだいぶ改善された。
でも相変わらず酒はすごく飲んでた。
ワイン一瓶半+ビールみたいな?
ある日父親が夜中に起きてトイレへ行った。。。
と思ってた。
ところが廊下にあるロッカー(ちょっとした物置)
を開けてそこでし始めたみたいだった。(寝てたので気づかず)
母親が音に気づいて、見に行って自体がハックしたみたいで、
「なにしてるの!」的なことを言っていた。
父親はボンヤリとした顔で、「俺は寝てる!してない!」といっていた
おそらく薬とお酒で意識が朦朧としているものと推測される。
それからこの状況が度々あるようになった。
7: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:40:17
父親は徐々に薬の効きが悪くなっているのか、機嫌の浮き沈みが激しくなり
父親が自室に寝に入った後はテレビもうるさいとキレはじめた。
なので俺達は自室に入ったら各部屋へひきこもったり、一番離れた俺の部屋に来て
談笑するようになった。
(あとで聞くに、どうやら父親はそれが更に気に入らなかったらしい。)
そして、父親は食後すぐに遊びに出かけるようになった。
はじめは母親もいい顔はしなかったが、鬱が少しでも晴れるなら&ちょっとしたことで
怒るため、ピリピリした空気がなくなるということで、気に求めなくなっていった。
父親は趣味など無くパチンコをずっとする人だったので、23時の閉店前に帰ってきて寝る。
みたいなサイクルになった。俺達は怒らせないために23時になると、リビングから退散して
寝るようになった。(受験勉強とかね)
父親はどうやらそれが、自分だけのけものにされてるように感じたらしく、ますます
出かけるようになっていった。
8: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:44:28
そんなある日曜日、俺は母親から父親の部屋のゴミ箱を回収してゴミをまとめるように
指示された。なんとなくゴミを見ていると底から大量のレシートみたいなのが。
みてみるとキャッシュローンの紙だった。額は今で200万円。
しかも複数の会社から借りて、遊ぶ分とどうやら返済分をサイクル(?)してるみたいだった。
すかさず母親に報告。
そのよる母親が父親を尋問し、正式に事態が発覚する。
もう借りない。と言う約束でいったんは落ち着いたが、父親が寝た後財布をこっそり覗くようになった。
そうすると減らずに借り続けているようで、額は400万に達していた。
キャッシュローンで400万だと手取り15万くらいの父親の給料じゃもうとても返せる額じゃなかった。
母親はブチ切れた。
9: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:48:34
その頃には毎晩のように喧嘩するようになっていた。
母親が怒って、父親が逆ギレして料理を投げつける。飲み物を掛けるみたいな。
それはそれは、聞いて見てるコッチが気が参ってしまいそうな毎日だった。
みんな徐々に余裕がなくなって行ってたね。
殺伐としてた。
続き
ブチ切れて問い詰めると、借りてることを認めてでもキレ始めた。
「俺が稼いだ金だ!」とか「食わせてもらってるだろ!」とか・・・
(母親もパートしてるけどね)
「私も働いてる!」というと「お前のは俺のより少ないだろう!」と言い返す。そんな感じ。
コレが数ヶ月続くことに成る。
11: 夢見る名無しさん 2013/02/08 22:59:59
そして、父親は理不尽に家族にきれるようになった。
俺も何度も髪の毛を掴まれて叩かれた(グーやパー)
し母親や弟も。
実際殺そうかとも思ったことが有るほど、父親は家庭を壊し始めた。
夜中におしっこをすることも度々。その都度母親が注意する・・・
そんな真夜中しっこだが、ある時喧嘩になった。
後処理をしている母親を父親が怒り、母親の顔を便器にこすり付けたりし始めた。
あの時は俺の人生最大の殺意を覚えた。俺は「なんで俺たちがこんな仕打ちを受けないとだめなのか」
と常に考えるようになっていた。仮に俺が父親を殺しても長くて20年くらい刑務所程度でまだ人生の半分くらい
残っている。母親が捕まって20年いるよりいいかな?と思い殺害を計画する。
実行には移さなかったけどそれくらい、本気で悩んだ。
12: 夢見る名無しさん 2013/02/08 23:12:26
いよいよ借金も返せなくなったので、俺と弟の定期預金
俺と弟の学資保険を使って返済することに。返済額は450万くらいだっただろうか?
コレで本当にもう何もしない。と言っていた。
それから1ヶ月。
やっぱりまた借りてた。母親はもう怒り狂った。
そしてついに、母親は離婚へと踏み切った。
始め抵抗を見せた父親だが、民事も辞さない姿勢についに判子をついた。
なぜか家の貯金は父親が新居の準備金として使った。未だに謎である。
そしてそのまま父親のかねとなった。
しかし俺達は何も言わなかった。なぜなら早く縁を切りたかったからだ。
それから俺の家から1キロ程度の近距離ではあるが、別々の人として生活を始めた。
俺は父親を憎んでいた。嫌いだった。死んでもいいと思っていた。
たまに来る連絡も適当にあしらうか無視した。
自分勝手をしてすべてをぶち壊した奴を俺は許せなかった。
母親も同じで、会いたくないと言っていた。養育費も毎月入れるという約束だったが
入れてきたのは初めの三ヶ月だけだった。はじめから宛てにはしてない。と母親言っていたが
女手ひとつで子供二人を育てるのは大変だろうとおもった。俺はバイト代の殆どを貯蓄にまわして
何か有った時はここから生活費を充てると決めた口座を作ってた。
しかし、母親も正社員で工場事務をするようになり、またマンションから公営住宅へ引っ越せたことも有り
だいぶん生活も軌道に乗っていた。
俺も特に不自由なく生活していた。
そして月日は過ぎ、俺はなんだかんだいっても父親。だからと連絡に返すようになっていた。
13: 夢見る名無しさん 2013/02/08 23:13:57
夏。父親から墓参りに誘われた。しかしリアルに都合が悪く断った。俺はバイクの免許を取ったこと
などを報告していたので、父親に「来年の5月には二人でバイクで行こう。俺はバイクの免許ないから
原付で一緒にゆっくり行こう」といってきたので「いいよ~日程調整するから早めに言ってね」とかえした。
結果から言うと、その約束は守られることはなかった。
14: 夢見る名無しさん 2013/02/08 23:20:37
今から2年前。
父親は帰らぬ人となった。死因は自殺だった。
海の岸壁から車ごと突っ込むという感じだった。
しかも俺の家からまっすぐ裏約400mほどの所で。
その頃俺は大学を卒業し専門学校に通っていた。
俺の携帯に母親から第一報が入った。
「父親が自殺未遂をした」
その一行だった。
俺はまた腕でも切ったのかと思ったので通常通り帰っていたが
何気なく様態を聞くと
「危篤で集中治療室にいる」
と返って来てようやく事態を理解した。
すぐに学校から帰り病院へ直行。
人工心肺を付けられた姿の父親と数年ぶりに再会する。
海に落ちてすぐ、釣り人から通報が有り救助されるも水に30分~1時間ほど
入っていたので意識が戻る可能性は限りなく0。なにより心肺停止がながかったので
絶望的だと言っていた。心臓が鼓動し始めたのですら軌跡だと。
15: 夢見る名無しさん 2013/02/08 23:26:57
そして、体からは薬物の反応もアルコールの反応もなかったと。
父親の家へもう亡くなるのを前提で作業をしに行く。
片づけたり、印鑑を探したり(市役所の手続き等で必要なので)。
そして、警察の人と行った部屋で見たのは30cm×30cmほどの厚紙に
震えた字で「海に落ちて死にます。ごめんなさい 名前」と書かれた紙だった。
俺は泣かなかった。淡々と警察の事情聴取みたいなのも受けたし、手続きもした。
夜一人になると思い出す。
震えた字、綺麗に整頓された部屋、病院で治療を受ける痩せた父親。
あー書いてて辛くなってきたのでちょっと休憩します。
19: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/08 23:47:14
初めてこういうの書くから緊張しますね。
続き
家の隣が消防署なんだけど、父親が自殺を図った日たしかに救急車やら
消防車が凄い数いってたなーとか。
お風呂に入ってると水ってすげーな。不思議だな。人はコレがないと死ぬのに
あっても死ぬなんてなー。とか・・・
寝ようとしても全然寝れなくて、寝ても救急車の音で目が覚めるの。
「父親の様態が急変したのかも!行かなくちゃ!」って。
一緒に釣りに行ったこと、お祭りを見に行ったこと、車を洗ったこと、
星を見に連れて行ってもらったこと。ホタルを見に行ったこと。
キャッチボールをしたこと。ほめられたこと、怒られたこと。
一緒に模型をつくったこと。工具の使い方を教えてもらったこと。PCの使い方を教えたこと。
ありとあらゆることを思い出すの。
そして、もう名前すら読んでもらえない現実を思い出す。
20: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/08 23:54:01
すげー寝てるみたいなんだよ。
心臓の鼓動も血圧低くて心拍数多いけどちゃんとしてるの。
でもダメなんだよね。尿が出てないの。看護師の友達に聞いたら生理現象で常に作られてる
はずなのに無いってことは・・・って感じの答えが返ってきたから。やっぱりだめなんだなーって。
でもね、不思議と悲しくはなかった。っていうか何も考えられなかった?みたいな?
現実が夢みたいだった。あれ?夏に電話で一緒にツーリングって言ってたのになぁ。って。
まだ一緒にお酒も飲んでないのになぁって。
ほんとさ。今思えば馬鹿だったよね。お互いに。
このまま終わらせてたまるかー!自分だけらくしやがって!!とも思ったよね。
だから大丈夫な腎臓を移植してもらうことを提案した。
生きてるのに死んだ後の話をしてるのが、すごく不思議だった。
説明する人を移植コーディネーターっていうんだけど、その人がまだ亡くなってないのに
亡くなった跡の話をしますので気に触るかもしれませんのでその時は言って下さい。
あと話を聞いて拒否もできますので考えて下さい。
と言っていた。綺麗な女の人だった。
21: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:06:06
そして、入院3日目。11月12日
今でも覚えてるのは、綺麗な夕日。ホント真っ赤だった。天気よくて赤と青そして
闇のきれいな夕日。窓から見えてた。日が落ちると寒くなるね。みたいなとき。
なんとなく父親の周りに親族が集まってすぐ。様態が急変した。
そして、19時ちょうど。父親は息を引き取った。
わかんなかった。よく云う 『寝てるだけみたい』っていうのは本当だった。
その後余韻に浸る時間もなく移植手術へ。無事に摘出されて、今もどこかの2人のなかで
働いてる。
ずっと人工透析してたひとらしい。最後に2人も救うなんて、父親らしいよ。
そして術後再びあうと、寝てるみたいだった。ただそれだけ。
そしてもう二度と声を聞けないんだなって思った時ようやく現実を掴んだ。
一人上を向いて泣くのを我慢してた。父親がよく言ってた「無くな!男だろ!」を思い出して。
そして離婚している絡みもあって、式は叔父がやることとなった。
それが大変だった。叔父は「そうか」でそっちの地区長みたいな人を読んできたのね。
真夜中に、式場へ遺体を移して0時くらいだったかな?みんなつかれてるのに糞長くお題目?
とやらを唱えてた。そのあと如何にそうかが凄いかみたいな話をしていました。
俺は4日ほど殆ど寝てなかったので何度か立ったまま気を失いかけた。(寝かけてた)
勘弁してくれと思いながらその日は終わって家へと帰った。
なんか緊張の糸が切れたかのように数日ぶりに、ぐっすり眠れた。
その後もそうか絡みでややこしことが有ったけど滞り無く式も終わり、火葬場へ。
焼いてしまえば正直そんなに悲しみはなかったように思える。式中も泣かなかった。
全て終わった後、次に待っていたのは保険金の相続問題だった。
22: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:12:27
なぜか叔父が半額やる。とか言い出した。
そう、半額『やる』のだ。
保険金は900万円。式や諸経費、それに+αは支払う予定だったけど
半額『やる』と言われてはぁ~????となった。
相続権は俺と弟が第一。なんで議論外の叔父に渡さねばならぬの?とおもった。
大揉めに揉めて、結局俺、弟、叔父の1/3で落ち着いた。
もう金なんてどうでもよかった。このトラブルから早く開放されたかった。
なんだかよくわからないけど、何回忌とかもすべて叔父がやってくれるらしいので、良しとしよう。
7日参りとかもしたけど、毎回毎回3時間ほどそうかの素晴らしさを聞かされるのは、正直参った。
それにはそうかだけど熱心じゃない叔父も参ってたけどw
26: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:23:52
続き書きますね
ここまでで最も思ったのは、今これ見た皆さんの中にも一人は居るであろう
死ねばいいのにっていう人。
その人が死んでもなんとも思わないっていう程憎むことはとても難しい事だということ。
俺は初めて気づいた。人を徹底的に憎むってことは限りなく不可能に近いんだなって。
そして思うんだ。会いたいなーって。
話をもどします。
そしてもう一つ訪れる話。まだ話は終わってなかった。
俺には小さい時からよく遊んでた従兄弟がいる。それは式をした叔父の息子だ。
お調子者で馬鹿だけど、根は純粋で真面目。そんな感じ。でも馬鹿だから私立の馬鹿な高校を
卒業後、左官屋へ就職。そこでクサイとかなんだかんだ言われてイジメられた。
真面目なだけに、匂いに対してまじめに対策に取り組んだ。風呂に一日何度もはいった。
洗濯の洗剤も変えた。ファブリーズも香水も・・・ それでもイジメは止まらない。
でもまじめに働いて毎日出勤した。だから壊れてしまった。
ある日、暴力を振るうようになったらしく、無理やり精神科へ連れて行き診断した結果は
『統合失調症』極度のストレスが原因で色々コントロールできなくなる病気らしい。
幻覚を見たり幻聴を聞いたり。父親が無くなる前から発症し、入院中も薬が切れると
父親とさっき話したとか、歩いてたとか。言うようになったりしてた。それくらい重い症状だった。
28: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:32:28
父親が無くなってから、そんな従兄弟にも彼女が出来た。(ちなみに従兄弟には姉がいる)
その彼女は農協勤めの人で、おっとりした心優しい良い人だった。
そんな病気のことも理解して、結婚をしようとまで言っていたくらいだった。
それからしばらくたって、公共事業が減らされたことも有り、従兄弟含めてその会社の社員の
ほとんどがクビになった。保険なんて個人で入るような土建屋ですから退職金もなく、散々な目にあった
従兄弟。病気の事やバカな事、不景気なこともあり中々職が見つからず、あっても超ブラック過ぎて続かない・・・
従兄弟の姉には子供が居て5人兄妹なんだけど、その子供たちにお菓子や、お小遣いを上げたい。
散々親に迷惑をかけているので自立したい。だけど職がない。と徐々に自分を追い込み。病気が再び発症。
再び手のつけようがないくらい浮き沈みしたり暴れたりするようになり、結婚の話は破談に。
(さすがに叔父の夫婦が彼女に話して距離をおいてる間に自然消滅みたいな感じかな・・・)
(彼女はそれでもと言っていたらしいけど、あまりに危険だし長い人生のことなので、説得したようです。)
従兄弟はそんなことよりもシラフに戻る→職を探す→無いからストレスに→病状悪化→そのせいで職がない→・・・
と言う無限ループに。親のしばらくバイトでも、それか家でゆっくりしてから職探せばいいんじゃない?といっても聞かず
病気と職探しと戦う毎日に。
29: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:37:36
そして、ある日泣きながら叔母に言ったらしいです
『俺は何も悪いことをしていない。勤めたらまじめに働いたし、休まず働いた。
文句も言わず、愚痴も言わず。なのになんで社会はここまで俺に厳しいんだ?』
と。
叔母は何も言い返せなかったらしい。
それから数日後。従兄弟は夜車でドライブに出かけると言い始めたらしい。
叔母は「夜だし、明日にしたら?そんな状況だし」といったらしい。
しかし従兄弟は「今は大丈夫、ただホント辛くて気分転換がしたい。すぐ戻ってくるから」
といったらしい。叔母は「そうか?すぐもどっておいでねー」と送り出した。
しかし、嫌な胸騒ぎがしたらしく「しばらくして家の回りを車で回ったらしい。」
お気に入りの眺めのイイ場所なんかも。
どこにもいないので、「ちょっとそこまでって言ってたからもう帰ってるのかな?」
と思い急ぎ家へ帰った。そうすると、車はまだない。
あれ?ット思ったらしい。
30: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:43:38
嫌な胸騒ぎが頂点に達した時、家に電話が。
出てみると警察からで「お宅の息子さんが車ごと海に落ちた、○○病院にいるから
すぐ行ってあげて、もう危ない」と。
その病院は奇しくも父親が搬送された病院。市内にいくつか大きい病院があるのに、
そこに運ばれて同じ集中治療室に入って同じベットの場所だったのははたして偶然なのだろうか?
運命とは本当に奇なるものだなぁと思ったのを今でも覚えています。
父親が飛び込んだの隣の港の岸壁から、車ごと。
やはり父親の自殺は失調症の従兄弟にも刻まれていたようです。
叔母はとくに従兄弟を可愛がっていたのですが、遺体を前になんで自殺なんか?
と言う俺の問に対して「まぁ病気のせいだろうねぇ。色んなことが、ほんとに色んなことが
●●にあったからねぇ。疲れたんじゃないかな。あえて言うなら世間に殺されたんだろうね」
と、遠くを見るような目で優しい表情で言った。
31: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:47:28
29歳だった。まだまだ何度でもやり直せたのに。
本当に死にたかったのか?なぜ死ななければならなかったのか?
そう思った俺の考えを、従兄弟は表情でおしえてくれていた。
布をよけて顔を見ると、穏やかに笑っていた。本当に、穏やかに。
よく遊んでた時の、あの時の顔で。
すげー泣いてるからちょっと休憩。
35: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 00:56:20
続き書きます。
それを見て「あ、楽になったんだな―」っておもった。
自殺をした人の気持なんて生きてる事を選択してる俺達にはわからないんだな。
でも自殺は1つの生き方の答えなんだ。って思った。
でもね、やっぱり同じ死に方は色々なものがフラッシュバックというか、思い出す
というかで辛かった。
そしてなんで俺の近い人だけ死んじゃうの?って思った。
続けてはキツかったね。色々と。
38: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 01:12:22
式中、マジ思い出たくさんあって泣きそうになった。
小さい時蜂の巣いっしょにおとしたりねーw
布団でテントみたいなの作って夜更かししたこととか。
でもそんな中、悲しみを癒してくれたのは従姉妹の子どもたちだった。
ずっと遊ぼう遊ぼう!だったからね。
全部終わって納骨した時。
墓石に彫られた祖父、父親、従兄弟。 俺の小さい時に祖父は亡くなっていたので
覚えてないんだけど、ふたりとも祖父が大好きだったらしい。今頃あっちで楽しくやってるかな?
怒られてるかな?とか思った。
そして今、再び思う。
辛くても自殺はダメだってこと。残された人は死んでも死にきれない程かなしい。
そして残された人は一生自分を攻め続けるってことを頭の隅に置いて欲しい。
俺は二人も。しかも近しい人を自殺させてしまった。何もサインに気付かなかった。
関わりも持てなかった。
もしあの時家を訪れたら?あの時連絡したら?
父親なんて俺の家の裏だったので、きっと家の前で俺達の部屋をしばらく眺めてたんだろうなぁと
勝手に推測する。どんな気持ちだったんだろう?
遺書が震えてたから本当は生きたかったんだろうな。怖かったんだろうな。って思うたび涙がでる。
あの時ふと外を見ていたら。って。本当に。泣きながら見てたのかなって。
従兄弟にしても、もし結婚してたら?もし公共事業が凍結にならなかったら?
なにかしてやれたんじゃないか?って。
40: コテハン ◆iRPivjhBxqrH 2013/02/09 01:20:44
以上が私の鬱な話になります。
色々端折ってますが、書いてるとキリがないので大雑把に。
もし朝まだ残ってたら質問等返しますので、質問のあるかたはどうぞ。
最後に皆さんに一言だけ。
本当にね、失って気付くものって多いのです。
そして憎く思ってる人はそんなに憎く思ってないんです。
とりあえず親がまだご健在の方は、親になんでもいいなにか労ってあげて下さい。
親孝行したいときには親はいず。にならないように。
親族の集まりにはなるべく嫌でも出ましょう。昔遊んだことのある~っていう人でも
結構来ますよ。後悔もします。だから参加して絆を深めておくのもいいことだと思います。
そして、最後に。
今一瞬一瞬を楽しみましょう。私はこれらを経験してから特に強く思うようになりました。
そもそも毎日楽しいタイプの人間だったのですが、トラブルもすべて今後のスパイスと割りきって
トラブルも楽しむ勢いです。
そしてこれを見てなにか感じた人は、是非私のような自殺者二名も見逃すみたいな後悔をしませんよう
是非頑張ってみて下さいww←最後だけムチャぶりですがw
まぁ実際はわからないものらしいですが。
でもこれを見た人の今後の人生の何らかの肥やしになれば幸いです。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
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