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あんたの意志は、おれの心の中で活き続けるから。

289: 1/2 投稿日:2007/08/16(木) 04:21:21

オナヌー投稿になってまうかも知れんが。

その社長の会社は、おれが勤めていた会社の所謂「外注」だった。
何年か後、おれは勤めていた会社を辞め、ふらふらしてたんだが、
社長は「うちの会社で働け」と言ってくれた。
紆余曲折あって、おれは結局その社長の会社へご厄介になる事になった。
椅子にふんぞりかえっている社長ではなく、自分から高所作業したり、
とにかく自分から汗をかく人だった。

その社長の会社が倒産した。社長は涙ながらに、社員全員に
謝罪していた。おれはその時、自分の行く末が不安だった。
だから、泣けなかった。
社長が長年患っていた病気が悪化し緊急入院した時も、
身体の痛みに耐えかね、ウンウン唸っている社長を見た時も
その悲惨さが先に立ち、涙は出なかった。


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[ 2014/08/31 22:01 ] その他 | CM(0)

8年くらい前に天国に行ってしまったハムスターが 夜、寝ていたら夢に出てきたんです。

275: 1/2 投稿日:2007/08/03(金) 03:03:42

今年に入ってからの話です。
もう8年くらい前に天国に行ってしまったハムスターが
夜、寝ていたら夢に出てきたんです。
私がもらってきたハムスターで私にだけ特になついていたので
かわいくて溺愛していた子でした。
その子が突然夢に出てきて、私の手の中で横たわって死んでしまっている夢でした。
ちょうど、息を引き取った時の様子とまるで同じ光景でした。
夢の中ではとにかく悲しくて大泣きして、起きてみると
寝ながら本当に泣いていたみたいで涙で顔が濡れていました。
翌日もなぜかハムスターが夢に出てきて、今度は手に乗っかったり
ひまわりのタネを食べたり元気な姿。
そしてその翌日も元気な姿で夢に出てきました。
「なんで命日でもないのに連続で夢に出てくるんだろう?」
と疑問でしたが、その頃私の体調が悪かったのでてっきり
心配してなのかと思い込んでいました。
だけど3日目にして理由がわかりました。
最初に夢に出てきた日は父方のおばあちゃんの命日・・・
私が体調が悪く、病院へ行ったりしていたため
家族全員がおばあちゃんの命日を忘れていたのです。
それでなんでハムスターが出てきたのかというと、
身内で亡くなっている人で、唯一私のハムスターを触ったのは
おばあちゃんでした。


[ 2014/08/31 18:01 ] ペット・動物 | CM(0)

離婚は突如取りやめになった。まだ三歳の幼い息子の一言で全ての話し合いは終わった。

273: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/08/02(木) 14:56:03

三歳の息子の話。



年明けの我が家は離婚の話が進んでた。
原因は色々あったが決定的だったのが母である私。
育児ノイローゼや姑、そんな問題を自分一人で抱えてしまった私は爆発して息子を実家に預けて家を飛び出してしまったのが原因だった。
「私は息子を捨てたも同然。最低な母親だ。もう息子に会う資格なんて死ぬまでない。刺されて死んでも文句はない。無論幸せになる資格なんかない。」

夫や双方の両親、何より息子への罪悪感でもう潰れそうだった。


でも夫が死にもの狂いで私を探し出し、とにかく話し合いをしようという事になり家へ戻った。
両親にはこれ以上ないくらいの叱りを受けた。
当然だ。
そんな事は承知で帰ってきた。
そんな私を見て夫は私を気付かってくれた。
こんな私に対して優しく接してくれたのだ。
仏のような人だと思いながらも私の精神状態は最悪の状況だった。
離婚の話は進んだ。
しかしある日離婚は突如取りやめになった。

まだ三歳の幼い息子の一言で全ての話し合いは終わった。


「パパ。ママの事許してね。」


今私達家族はとても幸せです。


[ 2014/08/31 12:01 ] 子供 | CM(0)

息ができなくて死にそうになってるのに、仮病扱いされた時は 本当に、いたたまれなかったよ・・

264: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/07/30(月) 02:13:26

私は現在、ストレスからくる体調不良でに通っていて
抗不安薬など数種類の投薬治療を受けています。
通っている心療内科は電車で何駅かあり、風邪をこじらせたり
夜中に具合が悪くなった時には近所の病院や救急病院に行ったんですが
医師に「心療内科に通っていて・・・」と事情を話し、
飲んでいる薬の書いてある手帳(おくすり手帳)を見せると
私をよく診もしないで不機嫌になり、
「あ゛ぁ!?アンタ精神病か?じゃあストレスか何かじゃないの?なんで来たの・・・」
と怒られて、症状を話しても横柄な態度でした。
そういう医師のいる病院に数件当たって、医者不信になりました。
ところがある時、夜中にまた具合が悪くなってしまったのですが、
その日の夜間救急当番病院は前に診てもらった所と違う病院だったんです。
また医師に怒られるかもしれないと思うと怖くて、
病院へ向かう車の中では体調も悪いし泣いてばかりでした。
でもその時診てくれた当直の30代後半くらいの男性の先生は
とても優しくて、心療内科に通っていることとか
薬を飲んでいることを話しても終始笑顔で対応してくれました。
一応検査と点滴をすることになったんですが
「大丈夫だから(^-^)」「すぐ終わるから心配しないで(^-^)」
と言ってくれて、まるで神様のように思えました。
帰る時も「フラフラしない?大丈夫?じゃあおうちに帰りましょう~w(^-')」
と最後まで笑顔で接してくれました。
こんなお医者さんもいるんだと、偏見が少しなくなりました。
救急当直担当の先生で、外来にはいないらしく
それ以降会う機会もなくてちゃんとお礼も言えなかったのですが、
○○先生、あの時は本当にありがとうございました。


[ 2014/08/31 10:01 ] その他 | CM(0)

あの子はもう殆ど動くことも出来ないのに 震えながら「ワン」と一度だけ鳴きました…

254: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/07/27(金) 10:39:04

過去、何度も飼い犬のことを書かせて貰いましたが…
15年間一緒だった飼い犬がこの間亡くなりました…
3ヶ月程前から歩くのが遅くなったり、ぐったりしたりで
「もうそろそろだな…」と家族で覚悟はしていたのですが…

ある夜私が晩ごはんの材料が足らなくなったので買い足しに行くと、
泣き声も聞こえないのに何だか犬が私を呼んでいるような気がしました。
急いでいたのに何だかとても胸騒ぎがして、私は犬の様子を見に行きました。
するともうあの子は立てなくなっていて…必死でもがいていました。
足元には先程食べていたご飯が…
私はすぐに母に相談に行き、出かけている兄を呼び戻しました。
「○○(犬)がもうすぐ死んじゃうかもしれないから早く帰ってきて!」と
泣きながら言うと、兄はすぐに帰ってきました。
すると…兄が帰って来た瞬間犬が立ち上がりました。
今まで苦しそうだったのにお兄ちゃんが名前を呼んだ途端に立ち上がって…
よろよろとおぼつかない足取りで兄の方に寄って行き、ばたりと倒れてしまいました
その後家族全員で泣きながら撫でたり身体を拭いてやっていると、
犬は静かに最後に少しだけ苦しんだけれども、すぅっと眠りにつきました…


[ 2014/08/30 22:01 ] ペット・動物 | CM(0)

2年の秋、俺はベンチメンバーから漏れた。

248: 248 投稿日:2007/07/26(木) 12:38:20

大学1年の俺。去年までは高校球児だった。高校は地元のいい選手が集まる高校だった。
入部したての俺は高校野球のレベルの高さに驚いたと同時にいつか試合に出て
チームを甲子園に連れて行けるような選手になることを夢見た。チームは田舎の高校
だからか皆仲が良く問題も何一つなかった。先輩も優しかった。
俺は1年の秋頃は野球が楽しかった。練習試合に出してもらえればそのたびにヒットを
打つほど好調で名門との試合でヒットを打ったこともいい思い出だ。
しかし2年になり新入部員はすさまじい数になり部は50人を超える大所帯になった。
競争が激しくなり俺に余裕はなくなった。先輩としていいところを見せたかったのも
事実だ。だが野球は結果がすべてだが打席で結果を意識している人間は結果を残せない
ものである。俺はそれまでの活躍が嘘のように打てなくなり監督も俺に期待を
かけることもなくなった。2年の秋、俺はベンチメンバーから漏れた。


[ 2014/08/30 18:01 ] 学校 | CM(0)

返って来た漫画を俺に渡してくれた母ちゃんの笑顔は優しかった。

242: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/07/25(水) 08:37:22

全然感動しないと思うけど、投下。
小さい頃、俺はかなり気が弱くてよくいじめられていた。
でも母ちゃんはしつけが厳しくて、いつも
「あんたがしっかりせんと!」
って怒っていた。で、小学3年の時近所のガキ大将に脅されて
泣く泣く自分の宝物だった漫画を数冊貸したんだよ。
二週間、一カ月、三ヶ月…いつまで待っても漫画は返って来ない。
そんなある日、母ちゃんは俺を見て
「何ねあんた、ずっと元気ないね。どうしたん?」
って聞いてきた。


[ 2014/08/30 12:01 ] 母親 | CM(0)

10年前に他界した兄の実話

226: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/07/16(月) 14:04:10

日曜日の午前10時、かなり落ち込んだ様子で弟が帰宅してきた。

兄「あれ?もう帰ってきたの?」
弟「うん。」
兄「あー!すっごい服汚れてるよ。汚いなぁ。」
弟「ごめん。」
兄「あ!ヒザ怪我してる!」
弟「転んだ。」
兄「帽子脱いでよ。」
弟「やだ。」
兄「脱げったら!」
弟「やめてよ!」
兄「やっぱり!オデコも怪我してる。」
弟「うるさい。」
兄「どうしたのさ。」
弟「うるさいっ!」
兄「ケンカしたの?痛い?」
弟「転んだけど痛くない。」
兄「転んだだけでそんなにいっぱい怪我しないよ。どうしたの?」


[ 2014/08/30 10:01 ] 兄妹 | CM(0)

いじめられて帰るときそのお好み焼屋のお婆ちゃんと出くわした

220: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/07/10(火) 21:57:42

俺が小学生の頃、家のすぐ近くにお好み焼屋があったんだ。
その店はお婆さんが1人でやってるお店で細々と続いてたんだわ。
俺はそのころいじめられててさ、でも家に帰っても家族には何も言えなかったんだわ。
母に「なんかあった?」と悟られそうになっても「なんにも無かった」と言い訳してさ。
なんか辛かったのか言えなかったんだ。

またある日、いじめられて帰るときそのお好み焼屋のお婆ちゃんと出くわしたんだ。
泣き腫らした顔で沈んでたからだろうな、「どうしたんよ?これでも飲みながらばあちゃんに話してみな?」って。
親しかったわけじゃないけど大泣きして全部話した。
その婆ちゃんは何も言わずに頭をなで続けてくれたんだ。
売り物のラムネを出してきてくれてさ、優しくなだめてくれたんだ。


[ 2014/08/29 22:01 ] その他 | CM(1)

娘さん夫婦が 老人ホームに入れ、そこで 首の骨を折って亡くなったとの事。

211: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/07/09(月) 01:05:07

私が小学校一年生の頃の話し。私の家はとても田舎で 周りは山ばかりの静かな田舎町でした。
小学校へは歩いて30分もかかる田舎で小さい私にはかなりきつかったです。
私の家から10分ほど歩いたところに わらぶきの家がありました。
隣の家までは100メートルはあろうとゆう田舎でしたが わらぶき屋根の家はかなり珍しく、子供たちの間では おばけ屋敷 と呼ばれていました。
そんな わらぶき屋根の家に ある日車がとまっていて 荷物を運んでいる中年の夫婦の方を見かけました。
そこはもともと空き家だったのですが 何日もかけて乗用車で荷物を運び


[ 2014/08/29 18:01 ] 祖父母 | CM(0)

「死なないよね、死なないよね」とベソをかきながら、 夕飯も食べずに何時間も同じ台詞を繰り返していました。

202: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/06/28(木) 21:57:52

子どものころ我が家にはマルチーズがいました。名前はそのまま「チーズ」。
私の産まれる前から家にいて、私のお兄ちゃん的存在でした。
そのチーズが死んだのは8歳のとき。
最期の半年間は、日に日に寝ている時間が増えて、餌も食べなくなっていましたが、
なにぶん子どもだった私は、「すぐ元気になる」くらいに考えていました。

そしてその日、学校から帰ってきた私は両親にチーズがもうすぐ死ぬと教えられました。
最初は嘘だと思いました。でも、急いでチーズの所に行っても、ちょっと目を開けただけで動いてくれません。
でも、事実と分かってもやっぱり認めたくありませんでした。
抱きかかえて「死なないよね、死なないよね」とベソをかきながら、
夕飯も食べずに何時間も同じ台詞を繰り返していました。

そして夜中、チーズの体がふっと軽くなったと思ったら、ずしっと重くなりました。
脚がダランと下がって、もう、いくら呼んでも動いてくれません。
体がだんだん冷たくなっていくのが、はっきりと分かって、
それが怖くて、あっためてあげないとホントに死んじゃうと思って、
服の中に入れて必死に抱きしめても、温もりは戻ってきませんでした。


[ 2014/08/29 12:01 ] ペット・動物 | CM(1)

俺が22の時、8歳から飼ってた犬が死んだ。

195: 194 投稿日:2007/06/26(火) 13:02:05

感動ついでに俺も…皆さんほど泣ける話じゃないけど
俺が22の時、8歳から飼ってた犬が死んだ。近所のアパートのおじさんが「俺、こいつ欲しい。」って言ったら
くれたんだけど、もうバカみたいに俺になついてきてとにかく可愛かった。雑種で汚くてそれでも可愛かった。
名前は「華子」おかんがつけた。色々な名前をよんでもコレにしか反応しないから。


[ 2014/08/29 10:01 ] ペット・動物 | CM(0)

手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由 が書かれていた。

191: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/06/25(月) 22:55:49

三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み医者や看護婦が顔を歪める
ほどの苦痛に耐えながら死んだ。
体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち
(伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。
葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。
祖父が生前用意していた物だそうだ。

手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由
が書かれていた。
20年近く前、孫の一人が生存率20%を切る難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓った
のだそうだ。
自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。
だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。
幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。
孫の成長を見届けること画できたのだからもう思い残すことはない。
あとは神様との約束を果たすだけだ。
だから家族は悲しまないで欲しい。自分は満足して一生を終えるのだから。

そう綴られていた。
孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。
祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。
その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。
もちろん、兄弟もみな泣いた。

うまく書けないのが悔しいなあ。本当に祖父はすごい人だったんだよ。


[ 2014/08/28 22:01 ] 祖父母 | CM(1)

死んだら死んだでいいやって状態で車走らせた。

184: その1 投稿日:2007/06/21(木) 04:00:56

寝る時間もとっくに過ぎてんだけど
誰かに聞いて欲しいから書き込みして寝る。
長文ごめん。

つい先週仕事から逃げ出した。
積もりに積もった物が爆発した勢いで。

会社から帰る途中ものすごい将来への不安とそこまでに至った
諸々の会社への怒りと我慢が効かなかった自分への情けなさが
こみ上げてきて気づいたら人気のない山奥の展望台に居た。
結構これが高い山でその日は丁度雨上がったばっかりで霧が
すごかった。
もうね、昼間だってのに1m先が見えない。

そんな中ほぼ記憶に頼って展望台に向かった。
なんつーかもう人生どうでもいいや状態。
死んだら死んだでいいやって状態で車走らせた。


[ 2014/08/28 18:01 ] その他 | CM(2)

中学の時、突然いじめられるようになった。

177: 1/2 投稿日:2007/06/16(土) 02:44:50

中学の時、突然いじめられるようになった。
中学は隣町の小学校と2校が一緒になるんだけど、何も知らないで友達になった
隣町の小学校出身の子が実は小学生時代からその子の幼馴染みの男子(同じ学校)
と家族ぐるみで仲が良くて、幼稚園生くらいの時に2人で
一緒に風呂に入ったということがバレて、子供の頃なんて
あんまり男女の差なんか気にしないで風呂とか入ると思うけど
そのせいで「汚い!」「エロい!」「いやらしい!」といじめられていたらしい。
それでその子と友達になったがために私まで「お前もエロい!」といじめられるように・・・
私はその子は優しくていい子だし、私だって小さい時は
親戚の男の子と一緒に風呂に入ったことだってあったし、
バカバカしいから、いじめてくるヤツらなんか相手にしてなかったんだけど
2年生、3年生になるといじめの輪が学年全体に広がって
暴力的ないじめは受けなかったけど「汚い!」「臭い!」と
言葉のいじめや、ある日朝学校に行くと私の机に
違う組の男子のカバンが置かれててカバンを探しに来た男子が

「うわぁーーー!誰だよ○○の机に俺のカバン置いたの!汚くなるじゃねぇか!もうこれ使えねぇよ!」

と叫んで、カバンの中から教科書を取り出し教室にあった
ウエットティッシュで「消毒!」と言って教科書やノートを拭き、
カバンは指でつまんで別の男子のほうに放り投げると
教室から「ぎゃぁぁぁ!汚ねぇー!」とか女子からは笑いが起こった。
学級委員がほうきでそのカバンを教室の隅に掃き、ちりとりで取ってゴミ箱に捨てた。

→続く


[ 2014/08/28 12:01 ] 学校 | CM(0)

母がなくなり母の荷物を掃除してると 正月母にお年玉の代わりにあげた手紙をみつけた

172: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/06/07(木) 00:43:22

母がなくなり母の荷物を掃除してると

「お年ボール」

と汚いじで書いた小さな封筒をみつけた

私が自転車を買ってもらった御礼に

正月母にお年玉の代わりにあげた手紙だった

子供の自分に爆笑しながら涙が止まらなくなった

かあちゃんバカな俺でも愛してくれてありがとな


[ 2014/08/28 10:01 ] 母親 | CM(0)

「おじいちゃんは皆の名前も顔も忘れてしまってたけどあんた(私)の事だけは忘れてなかったんだよ。」

169: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/06/06(水) 00:45:46

高一の夏に祖父が癌で他界しました。長いこと入院していて亡くなる前には痛みと薬で誰がお見舞いに行っても名前すら分からなくなっていました。
私は高一で遊ぶのやバイトが忙がしい毎日で長い入院生活の中で最初の頃に一度しかお見舞いにいってませんでした。
祖父はすごく厳しい人でお酒とタバコが大好きで小さい頃は酔っ払ってタバコをふかす祖父が大嫌いでした。


[ 2014/08/27 22:01 ] 祖父母 | CM(0)

物心ついた頃から父親との折り合いが悪く、ほとんど話をした記憶がなかった。

158: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/05/27(日) 18:07:37

携帯からの書き込みな上、文才が全くないので読み辛いと思いますが長文失礼致します。
物心ついた頃から父親との折り合いが悪く、ほとんど話をした記憶がなかった。
20代半ばで結婚を意識する人と出会い、同棲をする為に地元を離れる時も、母親とは仲が良かったのもあってお互い涙ながらに別れたけれど、父親からの言葉はありませんでした。
地元を離れて1年程経った時。父親の浮気が発覚。
私が高校の時にも同じ事があり「もう許せない」と母親は妹を連れて家を出て、アパートでの生活を始めました。
母親は「1年くらい別居してからどうするか考える」と言ってましたが、私には両親の離婚と言うのがいい歳をしてどうしても受け入れられず、母親には色々説得したりもしました。
ちょうどその頃、母親の勤め先の病院が業務を閉める事になり、母親は無職になってしまいます。
それを父親に話ました。
「母さん無職になっちゃうんだよ?□□(妹)もいずれ離れるだろうし、母さん一人で老後過ごすのは厳しいんじゃないのかな…」
二人共時々連絡は取り合ってはいたみたいなのですが、その話は父親には話していなかったらしく、私が話すと「そうか……」と一言呟き、少し考え込んだ様子でした。


[ 2014/08/27 18:01 ] 父親 | CM(0)

そのスレで知り合った女の子の結婚を祝ってあげたくなって、大きな駅の近くの電話ボックスに、 祝儀袋を隠しておいた。宝探しだ。

146: サク 投稿日:2007/05/21(月) 23:33:06

2chでの話をひとつ...

女に振られ、なんとなくやる気も出ない。何をするともなくパソコンに向かって、
「2chってやつでも覗いてみるか」と思い、いろいろ覗いているうちに
30代が若者となれあうスレにたどり着いた...
聴いている音楽もファッションの話もことごとく違い、
本来なら会話など成立しないはずなのに、
なぜか寛容こそがスレのモットーというスローガンの下に、
およそ1年間ほのぼのと馴れ合い、時に反目しあってまた仲直りして宴して。
まぁみんな仕事が忙しかったり結婚したりリアルな世界で
それぞれ頑張ってスレもいつの間にか一人二人いなくなって。
さびしい気もしたがみんな頑張ってるって言うのはそれなりに
嬉しかったりして。そのうち本スレもなくなって。

それでも同じ板をうろうろしていたら、
そのスレで知り合った女の子が結婚するという報告が
書いてあった。その子は年下だったがしっかりした人で
いろいろ励ましてくれたし、応援もしてくれて、
俺が彼女ができたり結婚するって言ったときは本当に嬉しがってくれた。

俺もその子の結婚を祝ってあげたくなって、
具体的にどこに住んでるなんて知りもしないのに、
とある都市の大きな駅の近くの電話ボックスに、
祝儀袋を隠しておいた。宝探しだ。

さっきとある板をうろうろしていたら、
宝探し成功したとの報告がありました。嬉しかったってさ。

中身は千円だったのに...もうチョイ入れとけばよかったかな。

ごめん、あんまいい文じゃなかったや。ただのじこまんだな


[ 2014/08/27 12:01 ] 恋愛 | CM(0)

短い言葉の中に真実の心が見えました。

135: 穴開き靴下 ◆v.T/dshbsQ 投稿日:2007/05/13(日) 10:57:02

今日は母の日ですね。

俺の母上は天国だけど、
一応、ここでも、感謝しておきます。

母上、
俺を生んで育ててくれてありがとう。


[ 2014/08/27 10:01 ] 母親 | CM(0)

離婚の理由は・・「旦那さんは要らないけど子供はほしいの」

129: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/05/06(日) 05:43:17

結婚して一年・・
子供が生まれた。
女の子だった。
親父はバカみたいに喜んで、金を送ってきたり
40万もする雛人形を買ったりした。
でも、嫁はなぜか離婚してくれとのことだった・・
親父に虐待を受け、男性恐怖症なのは知ってた
俺は彼女にとって特別な男性だと思ってた
でも違ってたらしい・・・
離婚の理由は・・
喧嘩したことから俺のダメなとこまで全部あげられて
人間を否定された気分だった。
しかし、俺には人には理解しがたい彼女の本当の理由がわかってた
「旦那さんは要らないけど子供はほしいの」
付き合う前の彼女の言葉だ
生まれたばっかりの子供を二度ほど抱いて俺は離婚することになった
身を引きちがれそうな思いだった
親戚中に言いふらされた
俺は言葉の暴力と性的暴力を振るったと
いつ死んでもいいと毎日思ってた
今はいってる保険が子供に入るように設定した
何度も首をつろうとしたが涙ばかり出て足がすくんで動けなくなった
そんな時親父が電話口からこういった
「俺はお前とずっと一緒にくらせて幸せだった。」
「お前のいまの気持ちは想像絶するものだろうな」
「頼む、死なんでくれな」


[ 2014/08/26 22:01 ] 子供 | CM(0)

病室で祖母を見たとき、痩せこけていて驚愕した。

113: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/20(金) 12:41:00

さっき、私の祖母が死んだ。原因は聞いていない。聞いたって何にもならないから。病室には祖母が眠っていて布団の上に花と子供のメッセージカードが乗っていた。涙は出なかった。
昨日の11時頃に危篤だと聞いて病院へ向かったんだが、病室で祖母を見たとき、痩せこけていて驚愕した。祖母が目を開けた。「久しぶりだね」と言って手を握ってやるとうんうんと頷いてくれた。私だと分かったみたいだった。


[ 2014/08/26 18:01 ] 祖父母 | CM(2)

帰りの通路の途中私は嬉しくて泣きました。

109: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/20(金) 05:51:35

私が小学校高学年の頃の話です。
家族でディズニーランドへ行きました。
その当時トゥーンタウンという施設が出来たばかりで
その中にミッキーの家がありました。
なんでもそこではミッキーに会えるということで
小さい頃から彼のファンだった私は当然そこに行きたがりました。
しかし私以外の家族は全く興味なく、またそこには長蛇の列が並んでいたので敬遠し、
しかたなく私は一人で並びました。

1時間位並んだでしょうか。ミッキーに会えるという期待感で胸が本当にワクワクしていました。
とうとう中に入れた時、ミッキーの家の夢溢れる内装に心踊らせていました。

最奥の部屋には待ちに待ったミッキーが待っています。私はドキドキしながら足を踏み入れました。


[ 2014/08/26 12:01 ] その他 | CM(0)

「アルツの上司だぞ好きにやってしまえ!期待してるぞ!」

106: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/20(金) 01:34:43

会社の机に部下である僕らの席と名前を書いた紙をセロテープでとめて

手帳は僕らの特徴で真っ黒

10年付き合った若年性アルツハイマーの上司

彼の書いた注文書を確認する担当

彼の受注をもう一回お客さんに確認する担当

彼のアルツハイマーシフトは僕らのせめてものお返しだった

笑って「アルツの上司だぞ好きにやってしまえ!期待してるぞ!」

という笑えないジョークで涙を誘うバカな上司

新入社員の倍手間のかかる上司

新入社員を俺と勘違いして10分説教してしまう上司

まちがって俺に辞表を提出した彼は会社をやめることができなかった

最後に彼の率いる支店はダントツの一位をとって

「勇退」という花束を僕らは渡した


[ 2014/08/26 10:01 ] その他 | CM(0)

今日、学校から帰ってきたら両親に突然知らされたよ。 俺が捨て子だったってことを。

102: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/18(水) 00:32:57

そう言われてみると、俺の家には俺の小さい頃の写真が一枚もなかった。
姉貴の写真はたくさんあるのにな。
まあ、そういう家なんだと勝手に納得してた。

今日、学校から帰ってきたら両親に突然知らされたよ。
俺が捨て子だったってことを。

父さん母さん、赤の他人なのに今の今まで育ててくれてありがとう。
血が繋がってないのに、食事をさせてくれたり、学校行かせてくれたりしてありがとう。
今まで生意気言ったりしてごめん。

あー、なんか不思議な気分。
明日からどういう風に振舞えば良いんだろう。


[ 2014/08/25 22:01 ] 母親 | CM(0)

俺の嫁さんは結婚して子供産んでから、急に体が弱くなった。

88: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/06(金) 14:03:43

携帯からスマソ
俺の嫁さんは結婚して子供産んでから、急に体が弱くなった。医者の話によると、甲状腺の病気だそうだ。
そのため、入退院を繰り返す日々が一年位続いた。そんなある日嫁さんの妊娠が発覚した。
医者に相談したら、「今は無理だ」とのこと。(もっとオブラートに包んで言ってました。)嫁さんにも子供にも申し訳なくて、ただただゴメンと謝るしかできなかった。
一週間位、入院し手術する事になった。入院中、担当してくれた看護師さんはどうやら新人らしく、常連である嫁さんの事をしらなかった。
「はじめまして!今回担当する事になった、Tです!宜しくお願いします!」
めちゃくちゃ元気いっぱいな子で、入院中は嫁さんも俺も気分が落ち込むことがあまりなかった。


[ 2014/08/25 18:01 ] 恋愛 | CM(0)

旅の終わりは、非日常から日常へと還ってゆくことだ

72: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/03/19(月) 13:44:33

ある夏のツーリング。
初めてのロング。初めての北海道。出逢いと発見の連続だった。
その旅路も終わりに近づいたころ、直江津郷津で一人の老人に出逢った。
その日の朝は快晴だった。
数日続いた雨で荷物が濡れていたこと、またキャンプ場が海水浴場を兼ねていたこともあって
俺は荷物とともに日光浴をしていた。まるで干物になったような気分だ。
「もう何日目?」
ふいに声がする。目を開け、強い日差しのせいで青色がかった視界に入ってきたのは、

白髪でサングラスのご老人と車。話を聞けば、先々で出逢った人に聞いたおすすめの所や名所をたどる、
予定のない旅をしているそうだ。
「私はね、病気で胃もほとんど取ってしまったし、もう長くはないんだ。だからね、
向こうへの土産のつもりでね、この旅してるんだよ。」
昔の人は言っていた。旅は日常から非日常へのシフトだ、と。そして旅の終わりは、非日常から日常へと還ってゆくことだと。
またある人は教えてくれた。


[ 2014/08/25 12:01 ] その他 | CM(0)

子供の頃、父が飲んだくれだった我が家は極度の貧乏だった

67: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/03/15(木) 15:26:02

子供の頃、父が飲んだくれだった我が家は極度の貧乏だった
しかし明るい母は4人の子供とアル中の父を抱え朝は築地の魚市場、
昼は貝類加工場、夜は寿司屋の店員と3つの仕事をこなしていて
寝てる間に帰って来る、目が覚めるともういないの繰り返しで
1週間のうち、貝類加工場が休みの土曜日の昼間だけしか顔を見る事が
出来ない毎日だった。そんなある土曜日、母がまだ就学前だった私を
野草摘みに連れて行ってくれた。普段、母と過ごす時間が無い私には
春の野原で母と2人、つくしやフキを積んだ事が本当に楽しく嬉しかった。

それから数十年が経ち飲んだくれだった父は他界し子供達も大きくなった。
今では昔の苦労が嘘のような楽隠居生活を送る母に、ふっと野草積みの事を
思い出し「あ~ちゃん(母の事)と野草積みに行ったよね!普段は顔も
満足に見られなかったから、あの時は本当に楽しかった!」と何気なく
言った私に「あの頃は貧乏だったからね…。あんな野っ原に生えてる
草まで食べさせて…すまなかったね。」と母が泣いた。

子供だった私には、ただの楽しい野遊びだったけど母に取っては
子供達を飢えさせない為の苦肉の策だったんだね。ありがとう。
それ以来、毎年この季節になると、あの楽しかった野草積みを
思い出しては、ちょっと胸がつまる…あ~ちゃん長生きしてね!


[ 2014/08/25 10:01 ] 母親 | CM(0)

私が高校に上がったら出ていく、とママは宣言した。

58: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/03/07(水) 13:50:43

私の父と母は、昔から仲が悪かった。

喧嘩する仲というよりも、冷え切っていた。それは、小学生だった頃の私にもわかる程だった

気付いたら父が別居していたりと、どちらかというと母と一緒にいた記憶のほうが多い。

強くて美しい母は、私には冷たかった。理由は未だにわからない。

母が夜に遊びに出掛けるのを、私が泣いて嫌がると、重いソファーに潰して出掛けたり

学校帰りが少しでも遅くなると、遠くから走って家に入ろうとする私を、母は玄関から冷たい目で睨み、玄関の鍵を締めたり

とにかく、嫌われていた

そして私は、どんどん壁を作った

傷つかないように

大好きなママに、これ以上嫌われないように

続きます


[ 2014/08/24 22:01 ] 母親 | CM(0)

私が幼稚園くらいの頃に描いた下手くそな絵が 大事にしまわれてた

50: ほんわか名無しさん 投稿日:2007/03/04(日) 20:49:30

すこし長くなりますが、父の話をします。
うちは5人家族に犬が2匹、父は小さな会社の平社員で、決して裕福な家庭ではありませんでした。
無口でシャイな父は、普段から家族ともあまり話さず、友人も少ないようでした。
私はそんな父が大好きでしたし、時々休みの日に何も言わず遊びに連れ出してくれるのが、とても嬉しかったです。
母、姉、妹は明るくてお喋りでしたが、私だけは父に似たのか小さい頃から物静かで、
父とは言葉を交わさなくても、一緒にいるととても幸せでした。
今まで母には数え切れないくらい叱られ、叩かれたことも星の数ほどあります。
でも父に叱られた記憶はありません。もちろん叩かれたことも。
母に叱られて泣いている私を、やんわりと庇ってくれる優しい父でした。

そんな父が、突然入院しました。私が高校2年生の夏でした。
身体が大きくて丈夫だった父ですから、私も最初は軽い気持ちで、すぐ退院できるものだと考えていました。
でも、日を追うごとに父は痩せ細り、お見舞いに行く度に酸素マスクやら呼吸器やらが増えていきました。
それでも父は私がお見舞いに行くと嬉しそうで、特に言葉も交わさず、
病室に備え付けられたテレビを長いこと一緒に観たりしていました。
しかし、入院してから1ヶ月近く経ち、父は自分で呼吸ができなくなりました。
体内に機械を入れて呼吸しなければならない、
でもそうすると物も食べれないし言葉も話せなくなると、先生に言われました。
父は「治ればまたもとに戻るんだから」と言って、機械を入れる直前も、
特にたくさん物を食べたり話したりすることもありませんでした。

それから1週間も経たずに、父は眠るように亡くなりました。入院から1ヶ月とすこしでした。
私はすぐに現実を受け入れることができなくて、涙が出てきませんでした。
まだあのベッドに父が横になっているような気がして。
また父が家に帰ってきて、靴箱の上に自転車の鍵を置く音がするような気がして。


[ 2014/08/24 18:01 ] 父親 | CM(0)


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