人気記事
逆アクセスランキング
このサイトについて
このサイトについて

ソストラダーニエでは、相互RSS・相互リンクを募集しております。
ご検討いただける方は上記リンクを閲覧頂き、
メールフォームにてお問い合わせください。
RSS
RSSICON
月別アーカイブ  [ 2014年05月 ] 

≪ 前月 |  2014年05月  | 翌月 ≫

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | CM(-)

今道友信さんの「暖かいスープ」というお話。

330: 癒されたい名無しさん ID:irwybNeq

教科書に載っていた話です

フランスに、一人の日本の留学生がいた。
彼が渡仏したのは、第二次世界大戦が終結して間もなく、日本がオリンピックに
参加することもままならなかった頃のこと。

彼が最初に訪れた下宿先では、彼が日本人と分かるや否や断られた。
「夫の弟がベトナムで日本人に虐殺された。あなたには何の恨みもないが
この家に日本人をいれたくないのです」

その後住居は定まったが、貧しい学生生活を送ることになった。
彼は大学から少し離れたレストランで毎週土曜は夕食をとった。
そこは若い娘と母親が営む小さな店で、パリの雰囲気を漂わせていた。
彼は「今日は食欲がないから」などと言いながら、いつも
一番安いオムレツを注文した。

ある夜のこと。通い慣れたそのレストランで、娘さんが黙ってパンを二つ出した。
パンは安いので、会計の時にそのまま支払うことにした。
食事がすみ、レジの前で二つ分のパンの料金を払おうとすると、他の客に
分からないように人差し指を口にあて、目で笑いながら静かに首を振り、
一人分の料金しか受け取らなかった。彼は、かすれた声で「ありがとう」と
言った。それ以降、いつも半額の二人前のパンが出た。


スポンサーサイト
[ 2014/05/31 22:01 ] 貧乏 | CM(0)

よみがえった改心

325: 癒されたい名無しさん ID:c/usNfEl

あるところに、開けられない金庫はないと言われる金庫破りがいた。
男の仕事はすばやく、都会の金持ちや警察に噂される人間だった。
男の名前はジミーバレンタイン。

ある日、ジミーは田舎へ仕事に出かけた。それとなく街の様子を伺いながら、
銀行へ立ち寄ったとき、彼は出てきた女性に目を奪われた。
彼女は銀行の経営者の娘だった。
その美しさに見せられたが最後、彼は仕事をすっぱり辞めた。
街の靴屋になった彼は、周囲にラルフ・スペンサーと名乗ることにした。
1年後、ラルフは彼女と婚約し、前途ある美しいカップルとして羨ましがられた。

結婚が迫ったある日、彼女の銀行に最新式の金庫が届けられた。
それを見に集まった人の後ろに、笑みを浮かべた一人の男が立っていた。
ジミーを追い、彼を捜し続けた探偵だった。
その時事件は起こった。


[ 2014/05/31 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

お父さんが授業参観に来てくれる話

313: 癒されたい名無しさん ID:21IVYnI7

週間ストーリーランドって番組の「天国からのビデオレター」ってのを覚えている人いない?あれはマジですか泣いた。


[ 2014/05/31 10:01 ] 父親 | CM(0)

俺は馬鹿だった、世間知らずで臆病だった。初めて友達の前で泣いた。

311: 癒されたい名無しさん ID:21IVYnI7

17才の時、俺は親父が嫌いだった。友達の前でも親父の愚痴ばかり・・・しかしその友達の親父は友達が小さい時に死んでいた。俺は馬鹿だった、世間知らずで臆病だった。初めて友達の前で泣いた。


[ 2014/05/30 22:01 ] 死別 | CM(0)

最初は悲しくて半泣きだったのに、最後のほうは感謝の気持ちで涙をこらえながら帰った。

309: 癒されたい名無しさん ID:wmpQSaNO

このスレいいな。
俺の話は涙を誘うほどではないが聞いておくれ。

俺が小6の時の話。
山の学校でいろんな活動の中から好きなものを選択できるものがあって、
俺は「マウンテンバイクで山道を走る」みたいなの選択した。
それは二日間あって、一日目はそれなりに楽しんだ。
でも、マウンテンバイクの中にもにも調子がいいのと悪いのとあって、調子が悪いやつは
切り替えが利かなかったり、ブレーキが利きにくかったりした。
一日目が終わったあとマウンテンバイク選択者の間に「赤いやつ(20台くらいある)が調子がいいらしい」
という噂が流れていた。実際一日目に俺が乗っていたのも赤いやつだった。
二日目。俺に渡されたのは緑色のタイプだった。
そこで当時(今も!?)自己中だった俺は、となりの奴が赤いのをもらっていたので
そいつが少しおとなしめのタイプだったのをいい事に「交換しないか?」ともちかけた。
そいつも赤いやつが調子がいいという噂を知っていたらしく結構ちゅうちょしていたが、
俺は半ば強引に交換した。

長くなりそうなのでとりあえずここできる。


[ 2014/05/30 16:01 ] 友情 | CM(0)

一度も手を上げなかった赤田先生が洋平を思い切り殴りました。

296: 癒されたい名無しさん ID:iyogfq5G

中学校の時、もともと不良っぽい問題児だった洋平って奴がいた。
そんなに怖がられるような奴ではなかったし暴力騒ぎはおこさなかったが、
洋平の大学生の兄がバイク事故で亡くなった。
洋平は荒れて、学校に来ない日が続き、ようやく出席しても特に先生に対する
暴言、暴力を振るった。更には同級生にまでささいな事で一方的に喧嘩をふっかけた。
担任の赤田先生はそれでも洋平にストレートにぶつかっていた。
洋平は赤田先生に平気で暴力をふるうまで荒れて、手が付けられない、そんな状態でした。

しだいに生徒の親やPTAで問題視され学校側も対策を考え出したみたいでした。
ある日、洋平はいつも通り赤田先生に注意を受け、暴言で返し、再度注意を受けると
赤田先生に蹴りを入れました。
「いちいちうるせぇんだよ!死ねよ!」
洋平は赤田先生にそう言いました。


[ 2014/05/30 10:01 ] 学校 | CM(0)

父は、思慮深くこう言ったのです。

294: 癒されたい名無しさん ID:q7rVV597

ある作家は、次のような体験を語っています。


子供の頃、私はひどく短気で、そのためにしばしば怒りが昂じて、
残酷なことを言ったり、良くないとわかっている事をしたりしました。

ある日、私が遊ぴ友達に対して怒りを爆発させてしまい
泣いているその友達を家に送って帰ってくると、父は言いました。

「おまえが怒って、思いやりのないことを言うたびに、
門の柱に釘を打ち込むことにしよう。
だが、おまえが、忍耐強くいて、親切で優しい言葉を言う度に、
一本釘を抜いてやろう」と。

数カ月がたちました。
その入り口を通るたびに、釘の数がどんどん増えているのが見え、
どうしてもその理由を思い出さずにはいられません。

そこで私はついに、その釘が抜かれるようにするのはチャレンジになるから、
最善を尽くしてやってみようと決めたのでした。

とうとう、待ちに持った日がやってきました。
最後の一本の釘を父が抜いてくれた時、
私はそこらへんを飛び回りながら、誇らしげに言いました。 

「お父さん、やった、釘が全部なくなった!」

父が穴だらけになった柱をじっと見つめている様子が今も目に浮かびます。

父は、思慮深くこう言ったのです。

「ああ、確かに釘は全部なくなった。だが、痕は残っている」


[ 2014/05/29 22:01 ] 父親 | CM(0)

「そうか。そいつは今週で一番の良い知らせだ」

285: 癒されたい名無しさん ID:ZY8XoXJE

アルゼンチンのプロゴルファー、ロベルト・デ・ビンセンツォはあるトーナメントで優勝し、
賞金の小切手を受け取って帰る準備をしていた。
彼が一人で駐車場に向かっていると、一人の女性が彼に話しかけてきた。
彼女は彼の勝利をたたえた後、
自分の子供は重い病気にかかって死に掛けているが
お金がないために、医者に見せることもできないのだ
と彼に伝えた。
それを聞いて哀れに思ったビンセンツォは
「これが子供のために役立てば良いのだけど」といって、
獲得したばかりの賞金の小切手を彼女に握らせた。
 翌週、彼がカントリークラブで食事をしていると
テーブルにゴルフ協会の職員がやって来た。
「先週、駐車場にいたやつらが、君がトーナメントで勝った後、
そこで若い女性に会っていたといっていたが・・・」
ビンセンツォはうなずいた。
「実は」と職員は続けた。
「彼女は詐欺師なんだ。病気の赤ん坊なんていないんだ。
結婚すらしていないんだよ。君はだまされたんだ」
「すると、死に掛けている赤ん坊なんていないのか?」
「そのとおりだ」
すると、ビンセンツォは笑いながらこう言った。
「そうか。そいつは今週で一番の良い知らせだ」と。


前スレ見て、ゴルフ好きの友達にコピペして送ったメールが残ってました。

お役に立てたでしょうか?


[ 2014/05/29 16:01 ] その他 | CM(0)

世界の美しさで目が灼けるような日だった。

276: 癒されたい名無しさん ID:kaiiNWiV

遠藤周作「死海のほとり」より
(第二次世界大戦末期、収容所にて)


あの日は前日に雨が降って、朝の点呼の時に地面には水溜りや小さな沼ができていて、
その水溜りには労働監督に追い立てられながら整列した囚人たちの影がうつっていました。
彼等から離れた場所に小柄な男が立たされていて、我々にも彼が何のためにそこに
立たされているのか、もうわかっていました。それは他のバラックから脱走した囚人で、
これから見せしめに飢餓室に連れていかれるのでした。
男は泣いていましたが、我々にはどうすることもできなかった。
戦争はいつ終るかわからず、終ることがわからぬ以上、自分たちと、今、
殺される彼の運命とにどんな違いがあると言うのでしょう。

…皆はただ空虚な疲れはてた眼で雨あがりの空の遠くを見ていました。
ナチの職員や親衛隊の前では決して目立たぬことが、この収容所で生きのびる
もうひとつの方法だったのです。

背広の独逸人が男の肩を押して歩くように命じ、労働中隊が作業場に向って歩きはじめた時、
囚人の列から眼鏡をかけた誰かが離れて進んでいきました。…彼は拳を口にあてて
咳をしながら、背広の独逸人と親衛隊の将校に脱走者を指さして何か話しかけていました。
やがて彼は二人に連れられて、ゆっくりとその場から姿を消しました。
…雨はやんでいたものの、鉛色の空の下を家畜の群れのような列が動きはじめ、
何事もなかったようでした。


[ 2014/05/29 10:01 ] 死別 | CM(0)

「もしこの先、生まれてくる子どもが障害をもってたらどうしよう…」

278: 癒されたい名無しさん ID:1zzEilyx

20代半ばをすぎて、母親に結婚しろ~孫見せろ~と言われ続ける日々。
そりゃ結婚に憧れはあるけども、
やりたい事もまだまだあるし、何より相手いないしねorz

そんなやりとりの中で、私は母にひどい事を言ってしまいました。
心のどこかで、ずっと封印してきた漠然とした不安。

「もしこの先、生まれてくる子どもが障害をもってたらどうしよう…」

私には知的障害者の妹がいます。
母方のいとこにも知的障害者がいます。
「遺伝」ということはないのだろうか。
差別するとかそんなんじゃなくて、私に育てられるんだろうかと。

この考えは、今を一生懸命生きてる妹やいとこはもちろん
親戚や母自体をも否定してしまうことになります。
だから今まで誰にも言えなかった。
言った瞬間の母の顔・・・。

「そんなんお母さんが育ててあげるやん!」

母はすぐにニヤっと笑って言い放ちました。
障害もった子は、この人なら育てられると神様が親を選んで授ける、と
聞いた事がありますが、本当かもしれません。
たったひとことでいろんな不安が小さくなって、涙がでました。

この母に、育ててもらった私ならきっと大丈夫です。
本当にひどいこと言ってごめんね。
早くいい人みつけるからね。お母さん。


[ 2014/05/28 22:01 ] 母親 | CM(0)

「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」

262: オカ板 心霊ちょっといい話スレからコピペ ID:xlotNDTc

これは俺が3~4年前の夏、イタリアのローマで体験した話です。
俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学4年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、
その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビル(参照:
www.mediawars.ne.jp/~tanimura/a_map/foreign/form/italy/eur.html)を1人でブラブラ
見に行ったんだ。

直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて
涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。そしたら、ちょっと
前まで誰もいなかったんだけど、いきなり3つ揃えのスーツをバシッと着た小さい90ぐらいの爺さんが俺の
肩を後ろから叩いて、「よう!ロベルト、久しぶりだな!」って声かけてくるんだよ。俺も、不意打ちだった
もんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに
「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」ってキッパリ言ったの。
そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して「やっぱりロベルトじゃないか!」って益々大きな声で言い
だしたんだ。俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな?って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思っ
たから、「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」って言ったら、爺さん
は笑いながら「そんな事は知ってるわい!」みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。
以下、俺と爺さん談(イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。)


[ 2014/05/28 16:01 ] 祖父母 | CM(0)

その子は世に言うおばあちゃんっ子どころかおばあちゃんが母親以上の存在なんだ

254: 癒されたい名無しさん ID:RkvkHznc

昨日も見舞いに行ってきたんだけど,子供の頃からもう20年以上世話になっている
叔母さんがね,末期の食道ガンで年越せるか越せないかって状況なんだ
その叔母さんの話させてもらうね

その叔母さんね,まったく血の繋がってない中学生の孫娘がいるんだ
叔母さんが結婚した相手が再婚だったのでその時に連れてきた娘の子がその孫ね
で,ここまではまぁよくある話なんだろうけど
普通とは違うのは,その孫娘の母親がね離婚しててしかも生活保護受けてて
何度も入退院を繰り返すぐらいの精神病らしいの
無論,そんな母親に一人で育児なんてできるわけなくて
叔母さんがその子の母親代わりになって育てたんだって
小さい頃はパートに行く自転車に孫娘を乗せて保育園に通わせてたらしい
当然,その子は世に言うおばあちゃんっ子どころかおばあちゃんが母親以上の存在なんだ


[ 2014/05/28 10:01 ] 祖父母 | CM(0)

それを聞いた大人は唖然とした。

246: 癒されたい名無しさん ID:wx6waphN

幼い男の子が尋ねた
「どうして戦争はおこるの?」
大人は答えた
「大人には色々があって仲が悪くなったり場所を巡ってけんかしたりするからだよ」
「ふーん…」
「じゃあジャンケンで決めたらいいのにね。」
それを聞いた大人は唖然とした。そんなことで解決できる物じゃない。という気持ちからではなく彼ら子供にとってけんかや争いはその程度のことだということに。

もし世界中が子供だけだとしたら、彼らは戦争なんて言葉も知らずに遊ぶことを優先してただろう

子供って ほんとは大人よりずっと 人間として価値があるんじゃないかな


[ 2014/05/27 22:01 ] 子供 | CM(0)

母に、大丈夫だから心配しないでといってんの、駄目な私

231: 癒されたい名無しさん ID:GvrLpaX/

この前円形脱毛症になったんですよ。初めてね、
で、生まれて初めて変わり果てた自分の姿を見た訳ですわ
正直最初は円形脱毛症なんて大したことないと思ってたのよ、皆普通になってるからさ
あのね、私が間違ってた、あれは女の子がなるもんじゃない
変な病気だよね、なんでこんな病気があるのかね
最初に病院行った時さめちゃめちゃびびって顔そろ~っとあげて医師に頭を見せたのよ
10秒くらいかけてさ、で なんか恥ずかしくなって下むいちゃったのさ
そしたら医師がさ『ちゃんと見せて』とか言うの
同じ過ちは繰り返さないのが私よ


[ 2014/05/27 16:01 ] 母親 | CM(0)

これ以上辛い思いはさせないよう、俺はじいちゃんを目標に強く生きてる。

226: 癒されたい名無しさん ID:vnKhjN42

俺のじいちゃんの話。
じいちゃんは母方の人で、すごく厳しかったけど、すごく優しいひとだった。
うちは両親がほぼ駆け落ちみたいにな感じで結婚して、
とてつもない苦労をじいちゃんたちにかけた。
しまいに父は金遣いが荒く、借金をしては請求書をじいちゃんに
叩きつけ、借金が嫌いなじいちゃんはいつも肩代わりをしていた。
幸いにもある程度の資産があったので、生活の危機には陥らなかったが、
じいちゃんはひどく悩んでいた。

時は過ぎ、両親は離婚すると母は俺と姉二人をつれて家を出た。
新しい男と暮らすために。
後になって聞いたところだと、じいちゃんは母の知らないところで
俺らのために家を用意していてくれたらしい。
そして俺らが出て行ったのを知るとひどく落ち込んだらしいのだ。

そして時が流れ、俺も小学生の高学年になっていた。
ある日、一通の手紙がきた。
その内容は、じいちゃんが死んだってこと。
韓国人のじいちゃんは日本で成功するために人種差別などに耐え努力した。
そして会社を立ち上げるまでに至ったが、その日々はかなり寿命を縮めていたらしい。
手紙は叔母からで、亡くなってからかなり日が経ってはいるが
三回忌には出てもらいたくて血眼でさがしたのだ。

三回忌で叔母たちに会うと、みな涙を流した。
そして俺らが出て行った後のことを聞くと、
じいちゃんはひどく落ち込んだが、ずっと俺らのために家を残していてくれた。
決して弱音は吐かない人で、病にかかった後でも、辛い、悲しいなどとは
全く口にしなかったのだ。
いつしか寝たきりになり、痴呆もでてきて、もうそんなに長くないといわれていた。
そして峠を迎え、親戚たちがじいちゃんのとこに集まって、最期を見届ける時、
ばあちゃんが「今、一番会いたいのは誰?」と聞くと、
「…あっ、………………。」
じいちゃんは10年以上会ってない俺ら三人姉弟の名前を口にしたのだ。
そしてゆっくり瞳を閉じ、帰らぬひととなった。

それを聞いた俺は自然と涙が流れ、声にならない声で泣いた。

今では死に目に会えなかったことが悔やまれるけど、
これ以上辛い思いはさせないよう、俺はじいちゃんを目標に強く生きてる。


[ 2014/05/27 10:01 ] 祖父母 | CM(0)

パッとしない女と話したんです。ほんとパッとしない女。 そしたらなんかめちゃくちゃ好きな人ができたらしいんです。

216: 癒されたい名無しさん ID:b8YYj3l1

コピペだけど、これにはちょっと泣いた。
ちゃんと最後まで読めよ。

昨日、パッとしない女と話したんです。ほんとパッとしない女。
そしたらなんかめちゃくちゃ好きな人ができたらしいんです。
で、よく見たらなんかほんのり化粧してて、アイラインとか引いてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、好きな人ができたぐらいで普段してない化粧なんてしてんじゃねーよ、パッとしないんだから。
つくりの問題だよ、つくりの。
なんかリップも引いちゃってるし。女の子らしくメイクってか。おめでてーな。
ちょっとは見られる顔になったでしょ、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前な、鏡やるからその化粧落とせと。
パッとしない女ってのはな、すっぴんでいるべきなんだよ。
席替えで隣になった男子からボロクソ言われてもおかしくない、
私は女を捨ててます、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。ピエヌだのメイベリンだのは、すっこんでろ。
で、やっと話がそれたかと思ったら、はぁ~恋って切ないね、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、お前にはそんなもん必要ねーんだよ。パッとしないんだから。
得意げな顔して何が、恋は切ないね、だ。
お前は本当に恋をしているのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、恋してるって言いたいだけちゃうんかと。
情報通の俺から言わせてもらえば今、お前のアノ人には、
カワイイ恋人がいるんだよ。残念だったな。
気付かず本命チョコでギョク砕。これがパッとしない女のコクり方。
手作りのチョコに、告白カード。これ。
で、実は彼女がいることを知ってあぼーん。これ最強。
しかもカード付けると、実は義理だったなんて言い訳できない。
パッとしない女にはお薦め出来ない。
まあお前みたいなブス女は、早いところオレの気持ちに気付けってこった。


[ 2014/05/26 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

あの店員のおかげで距離が近づいた。Thanks!

214: 癒されたい名無しさん ID:kYyGzt35

ぃぃ思い出です…軽く聞いてください。
映画を二人で観て、ご飯を食べにいった。この時、すでに俺は好きだったが、きっかけがつかめず思いを伝えれていなかった。席に座り、メニューを見ていた彼女、(当時はまだつき合っていなかった…)Mが二つのメニューで迷っていた。店員に聞いてみる。
「おすすめってどっちですかぁ?」
店員は四十を越えた、落ち着きのある女性だった。
「どちらもおすすめですよ。よろしければ彼氏さんと一つずつ頼んで、食べさせていただいたらどうですか?」
2人で恥ずかしながらも注文した。あの店員のおかげで距離が近づいた。Thanks!
外にでる。俺は近くの公園に誘った。いつも通りの、他愛もない会話が続く。続く。続く… と、雨が急に降ってきた。俺達はとりあえず避難。雨宿りをしながら話していた。
「雨よ止むな!」
と思っていたのは俺だけだっただろう。しかしこれが止まない。Mは困っていた。Mは家から電車で来ていたが、電車は当分来ない。この場には、俺の自転車と傘が一本あるのみ。自転車だと一時間はかかる距離。
俺の決断は正しかったのだろうか?

「後ろ乗り。いつまでも待ってられんし、遅くなるやろ。Mは傘さして道案内してぇや」

その後一時間、雨に打たれながらも家まで送った。その時の俺には、体温がないくらいの勢いだった。と、ふいに俺の手を握ってきた。いつもと違うMの表情。決意した。
「今ようやく言える、好きだったんだ…だから、つき合ってくれないか。」
あれからまだ2ヶ月。これからもずっと幸せな2人でいることだろう…。
雰囲気壊す余談だが、その日童貞卒w
以上、あまり構成力のない駄文終。読んでくれた方は感想を書いたりしてくれると嬉しいです。まぁ叩かれるくらいならスルーで構わないけど…スルーしてくれた方はそのままでドゾー。


[ 2014/05/26 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

203: 癒されたい名無しさん ID:hCJPqqua

小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。
足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を
周りの子供は笑う。N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することに
なったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。生徒代表で
お別れの言葉を言う人が必要になった。先生に一番世話をやかせたのだから、
A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。お別れ会で一人立たされて、どもる姿を
期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。水彩絵の具の色の使い方を教えて
くれたこと。放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。N先生がぶるぶる震えながら、
嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。


[ 2014/05/26 10:01 ] 学校 | CM(0)

俺の今日の泣ける話

199: 癒されたい名無しさん ID:6JR+0qHX

俺の今日の泣ける話

俺: あれ?なんか髪形変えた?
かおりん: うん
俺: かわいいね
かおりん: そんな~
俺: ドキッとした
かおりん: ・・・
俺: そうやって照れるところがすき
かおりん: よく言えるね
俺: かおりんにならね
かおりん: うふふ
俺: んじゃ今日のみに行こうか
かおりん: うん
俺: かおりん彼氏いるの?
かおりん: いない
俺: じゃあ付き合って!
かおりん: やですよ


[ 2014/05/25 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

TDLにある食堂で本当にあった話。

175: 癒されたい名無しさん ID:B/D0rxcP

TDLにある食堂で本当にあった話。

ある若い夫婦がお子様ランチを2つ注文しました。
食堂の主任さんが、
子供もいないのになぜだろうと不思議に思い訳を尋ねました。
その夫婦の娘さんは、TDLに来てお子様ランチを食べるのを
とても楽しみにしていたのに、その夢もかなわず亡くなってしまいました。
その思いを大事にしたくてお子様ランチを頼んだそうです。
そこで主任さんはお子様ランチを3人分と子供用の補助椅子を持ってきて、
「これは当店の気持ちです。どうぞ娘さんとご一緒に・・・。」
と言ったそうです。
夫婦は大いに感激し、娘さんとの食事を楽しんだそうです。


[ 2014/05/25 16:01 ] 子供 | CM(0)

ステージ前に立つ小さな人影を見ました。 あの日のおばあさんでした。

162: 癒されたい名無しさん ID:Ffs4hUDe

大学のサークルで吹奏楽をやっていた頃の話です。
ある日楽器を持ってバス停に立ってました。
するとそこに居合わせたおばあさんが、「楽器弾くのかい?」と声を掛けてきたので、「ええ、近々演奏会があるので良かったら聞きに来て下さい」と答え、軽い会話程度でバスが来たら別れました。
そういえば正確な日付や時間も教えなかったな‥などとバスの中で思い返しましたが、次第にその出来事は雑踏の中に消えて行きました。


[ 2014/05/25 10:01 ] 祖父母 | CM(0)

エチケットを完全に解する青年実業家は、野生児と化した。

140: 癒されたい名無しさん ID:XcACaKG5

昔O・ヘンリーの短編を読んだ記憶から。

田舎から上京してきたある男が、立ち上げた事業を成功させ億万長者になった。
彼は都会人としての習慣を身につけ、完全にニューヨークの人間と化していた。
その後一人の金持ちの女性と結婚した。完全なアクセントと、少し冷たげで
美しい横顔をもつ女性は、名家の出だった。
周囲も羨む完璧な夫婦に、ある日一通の手紙が来た。それは男の母親からの
ものだった。田舎でのとりとめのない出来事を記した手紙には、教養のない
人間の、息子への愛情にあふれた手紙だった。
それを見た妻は、夫の実家に行こうと言い出した。彼女はまだ一度も彼の田舎を
訪れたことがなかった。
妻の大量のスーツケースを一個に押しとどめ、二人は汽車に乗り、長い時間を
かけて小さな駅に着いた。
馬車に乗って彼の家にむかう道は、畑だらけだった。その空気を吸った瞬間、男は
田舎の素晴らしさを記憶の中から呼び起こされた。緑の香りと遠くの山々は、
家に到着する前には、彼を素朴な青年に変えてしまった。隣に座る寡黙な貴婦人は、
他人のように思えた。
実家にたどり着いた彼は美しい妻を放って、家族にキスし、方言丸出しで大声で笑い、
兄弟を庭で追いかけまわし相撲をした。妻の青ざめた顔は目に入らなかった。
それから、成功した都会人の息子に気後れする父親のブーツを自分の手で脱がし、
夕食を平らげ、歌を歌い、ジョークを連発し、手品をし、家族を爆笑の渦に巻き込んだ。
その間、彼女は自分のベッドへ引き下がっていた。

宴が終わり、彼が夫婦の寝室へ戻ったとき、彼は自分の行った数々の行動を
思い出した。眉間にしわを寄せ、偏屈そうな笑みを口の端に浮かべた、
エチケットを完全に解する青年実業家は、野生児と化した。彼はじっと窓際にいる
妻の言葉を待った。判決が下るのを耐えるように。妻の冷たい声が響いた。
「私、あなたのことを紳士だと思っていました」
「でもその前に、あなたは一人の素晴らしい男だったのね。さあキスをしてちょうだい」


[ 2014/05/24 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

中学時代、私はいじめられっ子だった。

128: 癒されたい名無しさん ID:tkA9edT3

中学時代、私はいじめられっ子だった。最初は友達だった女の子達も気付いた時にはいじめっ子に変わっていた。高校になり、また新しい友達ができた。今度はどんな時も裏切らない友達が欲


[ 2014/05/24 16:01 ] 友情 | CM(0)

殆内記憶というのがあるそうで、こんな話

112: 癒されたい名無しさん ID:a0WYVWe8

殆内記憶というのがあるそうで、こんな話↓


不妊に悩む女性がいて、やっと子宝に恵まれた。

子どもが二歳になり、いろんな言葉も覚えた頃に「お母さんのお腹の中のこと、覚えてる?」と聞いてみた。
「おかあさんのとこだけだれもならんでなかったから、ぼくがならんであげたんだよ。」


[ 2014/05/24 10:01 ] 子供 | CM(0)

色々な事が重なって、友達に「死にたい。こんな自分嫌い」とうざいメールした。

71: コピペだけど・・ ID:1RCvKf2P

660 癒されたい名無しさん sage New! 04/10/28 00:13:20 ID:8iKtAvol
色々な事が重なって、友達に「死にたい。こんな自分嫌い」とうざいメールした。
夜中だったし絶対寝てると思ったら五分後、
「何があったか知らないけど、私の好きな人の事を嫌いとか言わないでくれる?」と返事がきた。まじめに嬉しくて涙がでた


[ 2014/05/23 22:01 ] 友情 | CM(0)

こんな 連中を見ると無性に腹が立ってしょうがないんです。

55: 26 ID:ySPpXsXn

◆以前私は自分の製造会社を経営しているときのこと。数ある外注のなかに東京都の
身障者教育施設があった。比較的簡単な作業をこなすことを通じて施設が預かってい
る身障者が少しでも自立できるように教育する機関である。

◆私はその主旨に共鳴して、外注担当者に命じて適当な作業を発注させていた。施設
の先生(指導担当責任者)が時々来社してくれて、“お陰さまでこんな仕事まででき
るようになりました”と報告してくれるのが喜びでもあった。

◆そんな付き合いをしていたある日、彼が訪ねてきて身障者たちが不自由な身体でい
かに頑張っているかを話してくれていた。その時突然見知らぬ1人の青年が顔を見せ
た。“私はアフリカの恵まれない子供たちのために募金活動をしています。ご協力く
ださい・・・”

◆それを聞いた、かの身障者施設の先生が青年のところにすっとんで行って大声で怒
鳴りだした。“おまえ、今何と言った!アフリカだ!?恵まれない子供だ?!それも
いいけどな、おまえはこの日本にも恵まれないどころか人間扱いもされていない子供
たちがいることを知っているのか!自分の身体すら満足に動かせない子供たちが大
勢いるんだ。そのことをまず勉強してから外国のことを考えろ!”と大変な勢いであ
った。

◆彼は私に言った。“足元の問題を直視しないでかっこよさみたいなもので海外の恵
まれない人たちのためになどと言うようなエセボランティアが多いんですよ。こんな
連中を見ると無性に腹が立ってしょうがないんです。”

◆私はこの身障者施設責任者の日々の苦労がどれほど大変なものかをこの言葉と怒
りから理解することができた。今回のイラク人質事件の報道を聞くにつけて思い出さ
ざるを得ない。

◆世に尽くすことは重要だがまずお膝元から、即ち家族、地域、そして日本やがて世
界とステップを踏まなければ地に足が着いた行動にならない。前述の身障者や老人介
護など身近にやらなければならないことが山ほどある。

http://www.mirai-j.co.jp/mmback/mda186.htm より


[ 2014/05/23 16:01 ] その他 | CM(0)

オレがひそかに尊敬していた上司からこのようなことをいってもらえた

57: 癒されたい名無しさん ID:Z38ZUADS

涙が出るほどいい話ではないが、個人的にはとても感動してしまったので
書き込みます。

これはオレの上司の係長の話。

オレは今の職場(の今の係)に採用されて3年目の若造。
採用一年目の時は、オレの話など聞く耳もたず、何をそんな次元の低い
話をするんだ、みたいな態度だった。
この係は3人いて、係長、オレと、もうひとり先輩がいて、ほとんどその先輩でもっている
ような係だった。
2年目になってその先輩が異動になってしまい、その先輩がやっていた仕事を
すべてオレがやることになった。もちろんオレは1年ですべてを吸収できるはずもなく、
あれこれ試行錯誤しながらとにかくがんばった。
そんな状況でも係長はとくになにかアドバイスるわけでもなく、オレのやる仕事について
はミスがない限りはあれこれいう人ではなかった。
だが、そんな係長も3年目になると異動が近いということもあるのだろうか、オレにいろいろ
アドバイスをしてくれるようになった。
組織の中で仕事するときの考え方、今自分がやろうとしていることの他係への影響、
将来への影響など、その仕事の持つ意味や、広い視野で仕事に望むことの重要性について
などである。
このときは、係長として当然のアドバイスなのだと思って聞いていた。
と同時にその指導が、係長への尊敬の念を産むことになっていった。

そうしているうちに係長の異動が正式に決まった。
オレが所属している課でその他の異動者も含め、送別会を行ったときのことである。
異動者からそれぞれ挨拶してもらうことになり、おれの係長の順番になった。
係長は「今の係での仕事は『産む時代』だったと思う。新しいシステムを導入し、運用した。
さらにバージョンアップを2度も行った。この任期の中で常にあたらしいことをし続けた。」
と発言した。
確かにそのとおりであった。そして次の一言が私の胸に突き刺さった。

『そして、皆さんもご存知のとおり、一人の若者を育てた。』

もちろん一人の若者とはオレのことである。
そして、「育てた」という言葉は『成長した』という意味である。

オレはうれしかった。
いままで仕事でそんなほめ言葉をもらったことはない。
しかも、「産む時代」と発言した中のひとつとして、オレのことを全員の前で
話してくれたのだ。そして、そんなことをめったに話すような人ではない
ということはこの3年でわかっていた。
さらに、係長の最後の3年目の指導がオレの今の仕事に対する姿勢や
考え方のベースになっており、感謝し、尊敬している。だからこそ、このときの発言
がとても心にしみるものになった。

こんなこと、普通の人にとってみればたいしたことではないかもしれない。
しかし、オレがひそかに尊敬していた上司からこのようなことをいってもらえた
のは本人にしかわからないうれしさがある。

係長、いままでありがとうございました。

みなさん、長文、駄文、失礼しました。


[ 2014/05/23 10:01 ] その他 | CM(0)

いまも、父ちゃんと絶えず会話をしているような気がする

42: 癒されたい名無しさん ID:k7UbK8UY

新聞に掲載された、画家、原田泰治さんのインタビュー
(この人は小児マヒのため右足が不自由です)
「小児まひの子をもったといっても、父ちゃんは絶えず前向きでした。
遠足とか修学旅行には、学校に反対されても必ず連れていってくれました。
同行です。旅館でまくら投げをするとか、ふろに一緒にはいるとか・・・、
感動はそんな体験をさせなければわかんないって。中学の修学旅行では、
校長とやり合い、「先生」の資格で行った。おれをおんぶしながら、
6、7人のグループを任されました。京都や奈良では他校の生徒とすれ違うんですが、
足の悪い子と行き会わない。
「みんな置いて来られたんだ。障害者の子どもはいるはずだ」って言うんです。
でも、家に泣いて帰っても助けてくれず、逆に「やっつけてこい」でした。
「それには、お前、応援してくれる友達がいなければ勝てない」と。
自分なりに考えて、ちょっと絵が好きだったから、包装紙の裏などを使った教科書
のカバーに絵をかいてあげたりした。仲良くする方法を自分で考えていくわけです。
知恵を生かすように仕向けてくれました。
つづく・・・


[ 2014/05/22 22:01 ] 父親 | CM(0)

夢の中に、写真でしか知らない爺ちゃんが現れて…

39: コピペ ID:NUkRoEqq

197 :その1 :04/05/06 18:51 ID:3sYe4byJ
今から10年以上前に体験した不思議な話です。
母が10歳の頃、両親(私の祖父母)は離婚していて
母を含む4人の子供達は、父親の元で育ったそうです。
「凄く貧乏だったけど、楽しかった」
「私ら子供達は、みんな父ちゃんが大好きやった」
色んな話をしてくれた最後は、いつもこう言い
私が生まれる10年前に亡くなった祖父を
いつも思い出して、涙を流していました。
爺ちゃんの話をして、泣き出す母を見ていると
「お母さんは会いたがってるのに、なんで爺ちゃん来てくれないんやろ?」
そう思うようになり、それから毎晩、寝る前に
「爺ちゃん、お母さんに会いに来て下さい」と
手を合わせてお願いする事が習慣になりました。


[ 2014/05/22 16:01 ] 祖父母 | CM(0)

100年たっても国民が恩を忘れていないって今の日本に学ばせたいね。

26: 癒されたい名無しさん ID:Rk3tTSFC

エルトゥールル号の遭難
http://www.makuya.or.jp/teatime/douwa/ertug/ertugP1.htm

百年以上前の和歌山の人たちが救助したトルコ人と
現代の我々にも関係するお話し。


前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。


[ 2014/05/22 10:01 ] その他 | CM(0)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。