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あれから十数年。その封筒は、まだ開けていない。

150: 大人になった名無しさん 2011/07/20 16:44:29

俺が小学3、4年で夏休みの話。
今の今までマジで忘れてた。

小学校の夏休みとか、遊びまくった覚えしかない。
俺は近所の男子と、夏休み中開放されていた学校の校庭で
午後1時から体力づくりの名のもと遊んでい
※午前中は勉強しろ、と先生が言って、午前中は開放されてなかった。

んで、
大体、午後5時くらいになって解散して、
帰りの50円のアイスを商店街の、とある店で買っていた。

それを食べるとこは、
あまり使われていない駐車場だった。
5時を過ぎると、アイスを食べて雑談している汗だらけの小学生でいっぱいだった。


駐車場のすぐ隣にはバス停と、バス停の後ろには公衆電話があった。


[ 2013/10/08 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

みんなのあの手紙と登校した時のサプライズがどれだけ思い出になったか・・・

126: 大人になった名無し 2009/09/15 22:32:46

なんでもいいんだよな?
中学の時かな・・・
俺は病気で野球部を退部、期待されていたのに・・
それで先輩のいじめが勃発、俺の同級生も俺をいじめてきやがった。
先輩の命令で。
正直胸糞悪くなる話。
俺が不登校になり1年学校へ行かなかった。
先生の努力もあり夜中誰もいない時少しずつ学校に通った。
そして3年生の春。
無事登校。
本当にいい先生だった。
ちなみに9年間同じメンバー23人。
話しはこれからだが。
学校の登校した。
正直野球部の連中とは会話しづらい。
別にいじめられているわけでなないが・・・
自分はもうあいつらは俺の事嫌いになっただろう・・・
と思っていた。
学園祭が近づきずつあった。
今思うと最後の中学校生活。
それに23人で勉強や学園祭が出来るのも最後だ。
なんだかせつなくなる。
ものすごく仲がいいクラスで不良先輩のせいで悪くなった。
だけど今年は変わった。
学園祭当日。
感動したのは最後だった。
雨の中必死の叫ぶ俺達。
学校の名前を叫びそのあとこのクラスサイコと叫ぶ。
そのあとに花火が打ち上がる。
その花火は確かに有名な観光スポットの花火よりかは小さいけど俺達にとっては
もっとも大きな花火だった。
一斉に・・・
1年の時先輩に粉々にされた絆が元に戻ったと思った。
そのあとの記念写真最初は全員で撮りそのあと部活ごとにとった。
野球部が体育館の真ん中に集まる。
俺はもう引退したし・・・呼ばれないだろうと思った。
だけど・・・
あいつら俺を呼んだ。
また野球部の仲間と言ってくれた。
それが嬉しかった。

そのあとの2次会。
3年みんなで集まり話をした。
全員で一言言う事になった。
中には途中泣き崩れる奴までいた。
その時思う・・・9年間小学校からずっと23人変わらない・・だけど・・
もう離れ離れになる。
あっという間だなとその時思った。
その時俺は確かこう言った。
「みんなの励ましで俺は学校に来れた、みんなが居場所を用意してくれたから
俺はこれたんだ。みんなありがとう。もう半年もないけど・・・これからもがんばろう」
そう言った。
いろいろあったけどみんないい奴だった。
中学1年の時は学校は評判の悪い先輩しかいなくて・・・
逆らうといじめを受ける。
俺もそのいじめを受けた一人だった。
もう1度いう。
みんなあの時はありがとう。みんなのあの手紙と登校した時のサプライズがどれだけ思い出になったか・・・

悪い長くなった・・・・


[ 2013/10/07 00:01 ] 学校 | CM(0)

何気なく母の本棚を漁っていたら、かわいい表紙の日記を見つけ、どうやら私が小さかったころの成長記録らしい。

125: 大人になった名無しさん 2009/06/13 02:23:37

当時私が小学生だったころ。
本が大好きで、家にある、自分が読めそうな本を読み漁っていた。
ある日、何気なく母の本棚を漁っていたら、かわいい表紙の日記を見つけた。
どうやら私が小さかったころの成長記録らしい。
母はこういう細かいことが好きで、よく日記とかつけていた。
私は面白半分で日記を開いてみた。


◎年☆月◇日
今日、○○(私の名前)ちゃんが初めて寝返りをうった。
うつぶせになっていたから、一瞬ヒヤっとしたよ。
でも、寝返りがうてるようになったね!

●年△月□日
今日、○○ちゃんが“あいうえお”を読めた。
すごいすごい!偉いネ!
次は“かきくけこ”に挑戦だ!







日記には、私が赤ちゃんのころからの成長記録が丁寧につけられていた。
内容はほとんど覚えていないけど、
一言一言がすごく愛おしかった。

いつの間にか私の視界は涙でぼやけていた。
私は誰にも気づかれずに、静かに泣いた。
その時は、なんでこんな日記を読んで泣いているのかとか、
母親の愛情とかがよくわからなかったけど、
なんだか胸が熱くなった。


お母さん、私を産んでくれてありがとう。
苦労ばっかりかけてゴメンね。


[ 2013/10/06 22:01 ] 母親 | CM(0)

あの時の俺、止める勇気無くてごめんなさい。

122: 大人になった名無しさん 2008/12/26 21:38:11

すいません。男です。
小学1~2年生の頃、とても貧乏な家の女の子のまんまんを見ました。

その娘は体も小さく、いつも煤けた顔にぼろぼろの服で毎日登校してきました。
3年生になるとクラス替えで特殊学級に入ったらしく、顔を見かけなくなりました。
家庭でもまともな教育を受けていなかったんだと思います。
ある日、授業と授業の合間の休み時間だったと思いますが、
当たり前のようにスカートめくり(当時はやってました)が始まり、ターゲットが
その女の子に・・・。
その娘は、パンツを履いていませんでした。
(貧乏で買えなかったか洗濯中だったか。それくらい貧乏そう)
3~4人の男子が笑いながらその子のスカートをめくっていました。
その女の子はめちゃめちゃ泣いていましたが、
当時、小学低学年の自分はその行為を見て「醜いことするなー」とは思いつつ
止める勇気もなく野次馬の1人になりました。
栄養の行き届いてない小さいガリガリの薄汚れた肌にタテスジをはっきり見た
思い出があります。
この歳になって今も悔やまれます。かわいそうだったなー。
どんな思いだったんかなー。悔しかっただろうなー。
3年生になり、特殊学級(知恵遅れのクラス)に入ってから全く見なくなり(まとも
な教育を親から受けていないと思われ)
その後は気にもしなかったのだが、同じ年頃の子供をもった今頃、やけに
思い出す。
元気で素敵なおかあさんになっていたらいいなー。
あの時の俺、止める勇気無くてごめんなさい。


[ 2013/10/06 00:01 ] 学校 | CM(0)

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

121: 大人になった名無しさん 2008/12/26 15:33:06

693 :名無しの心子知らず:2008/12/26(金) 13:36:27 ID:ZLuBX3wZ
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

    「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。


[ 2013/10/05 22:01 ] 子供 | CM(0)

この歳になって言うのもなんだけど、母さんごめんなさい。

92: 大人になった名無しさん 2006/09/28 23:58:46

今日正社員の面接行ったのね。もうこれで11社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車で母も用事があったし、近くだったんで、
母さんが運転するよ、と付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
たばこふかしながら履歴書見て「何この転職回数?あんたもう36だろ?」
「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」
「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、
辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろう。
母さん、就職できたらおごってくれたお礼に、今度は何かおごるよ。
うまくないカツ丼じゃないところに行こう。
この歳になって言うのもなんだけど、母さんごめんなさい。


[ 2013/10/04 00:01 ] 母親 | CM(0)

遠い親戚の葬式で違う人と間違われたのだが、その俺そっくりさんは…

81: 大人になった名無しさん 2006/02/18 21:59:34

 昨年の夏休みの話

  会ったこともない遠い親戚の葬式。親父が出席するはずだったんだけど、
 どうしてもいけなかったので俺が代わりに出席することになった。
 新幹線乗って田舎町へ。

 周りも見たことない人しかいないので、重い空気に沈鬱していた。
 葬式が終わり退出しようとしたとき、出口で見知らぬ婆さんに突然腕をつかまれた。
 けれども、つかんだきり何も話さず目を丸くしているだけ。
 かなりの高齢だったのでぼけているのかと思い、何でしょうかと質問すると、
 ○○さん?○○さん?としかいわない。やはりぼけているのだろうかと思い、
 周りをみても誰も知り合いがいる様子にない。この人も俺と同じく遠縁のひとらしかった。

  婆さんは俺を見ながら「あんれえ帰ってきて下さったん、まっとっ…」と黙り込んでまたしばらく動かない。
 すると今度は婆さんに食事に連れて行かれた。お腹も空いていたので一緒に食事をすることに。
 食事中、婆さんは昔話ばかりしていた。食事の後も俺はあちこちに連れまわされた。
 この建物はいつ作られただとか、あの建物はなくなったのとかそういう話ばかり。
 俺は特に語らず、聞き手になっていた。

  帰りの新幹線の時間もあるので、婆さんにそのこといって別れようとすると引止めにかかられた。
 もういってしまうのか、今度は直ぐに帰ってくるのかと聞き取りにくい方言で何度も俺に聞いてくる。
 めんどくさかったので、また直ぐに会えますよと返事をしつつ別れることになった。
 婆さんは駅まで一緒に行くといい、途中何度も行かないでくれといわれ、引きとめられた。
 結局、新幹線には乗り遅れた。散々な目にあったと思い帰宅。

  数日後、また親戚の葬式の連絡。今度は親父がこの間よりも近い親戚なので俺にも来いという。
 バイト仲間にまた葬式かと冷やかされて葬式にいった。

  そうしたらなくなった人はあの御婆さんだった。
 驚きつつも、そうか、亡くなったのかぐらいにか思っていなかった。
 葬式の喪主は婆さんの弟がおこなっていて、どうやら婆さんはずっと独身らしかった。

   
 
 
  
 

 


[ 2013/10/03 16:01 ] 死別 | CM(0)

私がアンの世話をサボらなかったら・・・

79: 大人になった名無しさん 2006/02/02 07:44:13

私が小学生の時、野良猫が家になついて子猫を生んだ。メス一匹とオス三匹。
内、オス二匹は病気やら事故やらで死んだ。
生き残ったメスとオスはアンとトラって名前を付けた。
私たちはメチャクチャ可愛がった。
アンは女のくせにおてんばでった。いつも一緒の布団で寝ていた。
ある日、親父がアンを勝手に避妊手術に出した。
帰ってきたアンは・・・、手術の失敗で障害猫になっていた。
歩くこともできず、食べることもできずにそれでも一生懸命生きようとしていた。

私はアンに生きていて欲しかったから、一生懸命世話した。
えさを細かく切って食べさせたり、親にはダメって言われてたけど、
家の中に入れて温めた。
その甲斐あってか、アンは次の春には歩けるようになり、えさも自分で
食べられるようになった。
それに安心しちゃって、私はアンの世話をあんまりしなくなっていた。

月日は流れて、また冬がやって来た。アンは、弱っていった。
そして・・・アンは死んだ。最後の日は不思議と元気があり、自分で
えさをがつがつ食べたのだそうだ。
死因は、えさがのどに詰まったことによる窒息死。
私がアンの世話をサボらなかったら・・・。
ごめんアン、とても苦しかったでしょ??ごめんね。
あなたが苦しみから解放されたことだけが、唯一の私の救いです。」


[ 2013/10/02 22:01 ] ペット・動物 | CM(0)

彼と半年前別れました。 思い切り憎まれて別れました。 ・・・・余命宣告を今日受けました。

77: 大人になった名無しさん 2005/12/28 23:43:11

彼と半年前別れました。
思い切り憎まれて別れました。

・・・・余命宣告を今日受けました。
間に合ってよかった。
たとえ憎まれても、彼の記憶の中では元気なままの私で残れる。
辛さや苦しさをぶつけるよりも、この道を選んだことを
悔いていません。

こうちゃん、大好きだよ。ずっと好きだよ。
ひどいことたくさん言ってごめんね。
あなたを傷つけてごめんね。
結婚しようって言ってくれてたのに、こんな形で裏切ってごめん。

誰よりも、あなたの幸せだけを願っています。


[ 2013/10/02 16:01 ] 恋愛 | CM(1)

結婚式、披露宴にじーちゃんとばーちゃんの席をつくった。

68: 大人になった名無しさん 2005/09/02 20:29:47

321 名前: 大人になった名無しさん 投稿日: 2005/08/31(水) 23:29:39
俺、中学の時ばーちゃん死んだんだけど、ばーちゃん、じーちゃんのことすごく愛してたんだろうな
じーちゃんが先に死んだせいか「早く死にたいじーちゃんのとこに早くいきたい」ってよく言ってた
俺ばーちゃんのこと大好きだったから毎日会いに行って「俺の結婚式でて嫁さんと曾孫みるまで死んだらダメ!」って言ってた
結局じーちゃん死んでから二年後にばーちゃんも死んだんだけど、
葬式の時、俺宛てに手紙があって読まれたんだけど、ただ一言「○○約束守れなくてごめんね」
泣いた。人前で泣くのは恥ずかしいって思ってたけど号泣した。
結婚式、披露宴にじーちゃんとばーちゃんの席をつくった。
明日、結婚します。近くで観ていていてください。
貴方達のような夫婦になりたいです


[ 2013/10/01 22:01 ] 祖父母 | CM(0)

彼女は可哀想なんかじゃない、幸せの形は幾通りもあるのだ。

66: 大人になった名無しさん 2005/09/02 00:59:33

小学4年の時、何かの事情でお祖父さんと二人暮しの女の子がいた。
ある日、そのお祖父さんが倒れて救急車で運ばれた。その子が泣き叫ぶ姿が印象的だった。
お祖父さんは結局そのまま亡くなってしまった。

ちょっとして学校に出てきてが、友達や先生が心配してもダンマリ。
先生が「可哀想に、みんなで励ましてあげないといけないよ。」と言った途端、
「私、可哀想なんかじゃない!可哀想なんかじゃないから!」と泣き叫んだ。

不思議にそれ以降のその子の思い出は無い。転校でもしたんだろう。
彼女は可哀想なんかじゃない、幸せの形は幾通りもあるのだ。
そう思いたくて仕方がなかった。


[ 2013/10/01 16:01 ] 学校 | CM(0)

俺の片想いから必死にアプローチで付き合ってくれた彼女の言葉に馬鹿みたいに泣いてしまいました。

63: 大人になった名無しさん 2005/09/01 00:32:24

親父がサラ金で借金つくって逃げた。
遠の昔に別居していた母さんと住む事になった。
友達にも母さんにも明るく振る舞ってるけど正直まいってる。
あんたは強い子やなとか言っとるけどずっと一緒に暮らしよった親父やぞ!!と言いたいけど言えるわけもなく。彼女に当たってしまいました……
いつものようにまた喧嘩かなと思いました。
でもそいつは
私でよかったら支えちゃるし助けてあげる。
でもあんたはお母さんの支えになってあげないかんやろ?
がんばろうや。辛いことあったら私が支えになっちゃるし聞いてあげるきん。 がんばろ?

俺の片想いから必死にアプローチで付き合ってくれた彼女の言葉です。
馬鹿みたいに泣いてしまいました。
長くてすいません


[ 2013/10/01 00:01 ] 恋愛 | CM(0)


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