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好きな女がいたんだ、でも金曜の朝知らない奴と手をつないでいた…

31: Mr.名無しさん 2004/05/30 20:31:00

好きな女がいたんだ、でも金曜の朝知らない奴と手をつないでいた、
俺は友達といたんだが友達は俺がその女を好きな事を知っていた、
友達は「おい?」と言ったが俺は、いい天気だなぁとしか言えなかった。


[ 2013/09/16 00:01 ] 恋愛 | CM(0)

昔共通の友人だった男とつきあってるとかつらい…知らない奴だったら諦めもつくのに…

29: Mr.名無しさん 2004/05/30 20:25:00

昔好きだった女と久しぶりに会い、メール交換するようになった。
性格があまり変わってなくて、また好きになって映画を見に言った時に告白した。
昔共通の友人だった男とつきあってるそうな。泣けた。


[ 2013/09/15 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

高校のとき好きだった女を8年ぶりに見かけた。

27: Mr.名無しさん 2004/05/30 20:18:00

高校のとき好きだった女を8年ぶりに見かけた。
信号待ちの俺のほうをびっくりした顔で見つめていた彼女に
最初は気付かなかった。すっかり大人になっていたからだろうか。
柴犬連れて散歩してた彼女を一瞥して「あれ?なんか見たことある顔だな」と
思った。気付いたのはしばらくたってからだった。
たいして仲良かったわけでもないから覚えててくれたのかなってだけで充分。
ただあの落ちついた感じからすると・・・結婚したのかなぁと思う。


[ 2013/09/15 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

この感覚を都会の郵便局では感じることが無くなっているのが現状です。

141: 〒□□□-□□□□ 2003/07/27 20:59:00 ID:X4zHjfDd

支社報に掲載される「善行職員」の記事を見ると、世知辛い時代だけども、まだまだ我々の職業も捨てたものではないと思う。
職業柄そのような状況に遭遇しやすい環境にある中で、実際に出くわした時にどれだけのことを一人の人間としてできるか、あるいはしたかである
と思う。決して郵便局員だからではないはず。

俺も田舎の郵便局で郵便窓口の仕事を数年やった。
お客の大半は「おじい」「おばあ」であった。
子供に送ってやると言って新聞紙に包んだ「乾し椎茸」をもってきた「おばあ」がいた。
「このままじゃ送れないよ」と言うと困った顔をしていたので、事務室の隅に置いてあった段ボールで梱包し
てやった。字が書けないと言うので、宛名も書いた。
帰り際「おばあ」は俺を拝むように2度3度深々と頭を下げ「ありがとう」「ありがとう」と言って帰っていった。
しばらくした日に、その「おばあ」が来て、この間のお礼といって「ミカン」を持ってきた。
決して特別なことではなく、同じようなことは何回もあった。

今の時代では、段ボールをくれるくらいなら「包装品」を売れ、あるいは、事務室の片隅に段ボールなど置いておける状況では
ない。(残留事故防止のため段ボールは撤去)
俺が思うには「サービス」=「ヒューマニズム」だと思う。
上辺だけの行為がサービスだと勘違いされてきている。
一対一のやりとりの中で、どれだけのことができるか、そして、その結果相手がどう感じたかでその結果がでるもの
だと思う。
決して特別なことをやった訳ではないけれど、「ありがとう」と感謝された時の、少し照れくさくなる感覚が、今言う真の
「真っ向サービス」じゃあないかと思う。

でも、この感覚を都会の郵便局では感じることが無くなっているのが現状です。


[ 2013/09/14 16:01 ] 未分類 | CM(0)

ああ、あの時は、あんなに元気そうに見えたのにな…と そう思ったら少し泣きたくなった。

139: 〒□□□-□□□□ 2003/07/24 22:23:00 ID:7/O4SVFy

切なくなる、という程の話でもないかもしれないけど。

少し前、貯保の相続手続きに関する問い合わせの電話をもらった。
近所に住むじいちゃんの奥さんからだった。
そのじいちゃんは、ほんの数ヶ月前、カンポの契約者に関する
本人確認手続きをしに、わざわざ来局してくれた人だった。
奥さんは忙しそうだったので、時間を作って書類を届けに行った。
出された保険証書の裏面に、自分が手続きした本人確認済みの印があったので、
その時の話をした。
「この時、一時退院して来てたんですよ。
当人は、また帰って来るつもりだったから…
私は何もわからないんです。来てもらえて助かりました」
奥さんが言った。
その家では、じいちゃんが全部お金の出入りを管理していたそうだ。
テレビの上に、じいちゃんの写真が飾ってあって、
ああ、あの時は、あんなに元気そうに見えたのにな…と
そう思ったら少し泣きたくなった。

馬鹿な上司たちは、そういうことも営業にしか繋げない。
名義人が亡くなったのだから、自払いを奥さんの通帳に
変更してもらえ、とか。
それで公共料金が5件上がった、とか喜んでいるのは、
かなり寒い光景に思えたよ。

営業を否定する気はないけど、もっと大事なことがあると思う。
少なくとも、このスレに来てる仲間は、それをわかってるんだと
心強く、嬉しい気持ちになった。
自分も、まだまだ頑張るよ。


[ 2013/09/14 00:01 ] 死別 | CM(0)

「あぁこの人が○○さんか」といつも郵便物の宛名だけで本人会った事なかったけど最初で最後かと思うと寂しかったです。

70: こぴぺ 2002/12/25 02:20:00 ID:o6FKauHc

漏れゆうメイトしてるんですけど先日配達区域の病院のゴミ集積所に郵便物
らしい紙袋が放置されてたんです。
郵便局の定形外だったらどうしようって見に行くとクロネコの宅急便でした。
漏れはゆうメイトになって2ヶ月であんまり郵便とかよく解らないんですが、
宅急便って普通の郵便物とちがってハンコもらったりするんじゃないの?
それがなんで道端に放置されてるの?
ワケわかんないけどとにかく郵便局には関係無いし、もし「落ちてましたよ」
とか代わりに持っていっても漏れが配達事故起こしたんだと誤解されたら嫌
だから知らん顔してたんですよ。
でも先週って雨続きだったじゃないですか、もう雨の中どろどろになってる
郵便物がなんか物凄く可哀相で…それにこの荷物を待ってる人が居るのかと
思うと、クロネコがメール便間違えて配達して代わりに漏れらが怒られる怒
りより、郵便待ってるお客さんへの申し訳なさの方が勝っちゃって。
毎日行ってる配達区域の人のだったらと思うと拾わずには居られませんでし
た。
で、やはり自分で持っていく訳には行かないので伝票に書いてあるCSセンター
に電話して放置されてる事を伝えてすぐに取りに来るように言いました。
置いてある場所とかも住所や目印も丁寧におしえて。
もう!荷物適当に置くなよなークロネコドライバー!
お客さんに届かんかったらどうしようとか思わんのかね。
メール便もポスト入らなかったからって凄い適当にドアの下とかに平気で置
いてるし…
そりゃ早く配達して回らないといけないんだろうけどさ。
お客さんが可哀相だよ。

お客さんといえば、最近漏れの配達してる所で三軒も葬式が出ました。
一軒なんか玄関先入っていったら病院のストレッチャーで今まさに運ん
できた所。
「あぁこの人が○○さんか」といつも郵便物の宛名だけで本人会った事
なかったけど最初で最後かと思うと寂しかったです。
ちょっとウツだ。


[ 2013/09/13 22:01 ] 死別 | CM(0)

「妻は半年ほど前倒れて入院の甲斐なく亡くなりました」

26: 〒□□□-□□□□ 2002/11/27 22:15:00 ID:youHcZoA

新採でポカばっかりやってても
「いいよ急がないからゆっくりやんな」って
すごく可愛がってくれたおばあちゃんがいた。
このおばあちゃんのお陰でオフ扱いや国債なんかの
ややこしい取り扱いをかなり勉強させてもらったんだよね。
それが半年ぐらい来なくなってどうしたのかなって思ってたら
御主人がはじめて窓口に来られたんで
「いつも奥様に可愛がっていただいております。
最近お見えいただいておりませんがお元気でらっしゃいますか?」
と聞いたらいきなりぽろぽろ涙こぼされて・・・
「妻は半年ほど前倒れて入院の甲斐なく亡くなりました」
目の前真っ暗になって、こっちも涙こぼしながら
「失礼いたしました、奥様には心から御悔やみ申し上げます」
と言うのが精一杯だった。
それから何度か局に来る度御主人は
「あんたの顔見ると妻を思い出すよ、ありがとう」
と涙声で言ってくれた。
・・・でもその御主人も後を追うようにすぐ亡くなったらしい。
遠くに住んでる長男の嫁が
めんどくさそうに相続の手続きの説明聞きにきて知った。
そんな態度見るのが嫌で他の人に担当してもらったけど。

あの世でも仲のいい夫婦でいてほしいな。


[ 2013/09/13 16:01 ] 死別 | CM(0)

悲しいかな、そのおばさんは顔は全く思い出すことができない。

23: 20 2002/11/26 01:59:00 ID:bIi5Ty4y

先日、集金先のおばさん(昭和17年だから人によっては「おばあちゃん」
かな)が無くなった。先月の集金の時もおばさんではなく、お父さんが
出てきて、でもお父さんも知っていたので普通に話をしただけ、その1ヶ月
後におばさんが無くなった。
悲しいかな、そのおばさんは印象に残る方ではなかったので顔は全く思い出す
ことができない。集金先と言っても2回だけで3回目はお父さん。
しかも配達中はお父さんの方がたくさん会ってるし。
いつか、休みの日に弔問に行ければと思ってる。
でもそんな日も無いし。。。

泣ける2ちゃんには載せんなよ(w


[ 2013/09/13 00:01 ] 死別 | CM(0)

ほぼ毎日郵便の来る、一人暮らしのおばあのトコに配達にいったが、その日は珍しく出て来なかった。

1: 〒□□□-□□□□ 2002/11/23 03:08:00 ID:7eAGjFUm

ほぼ毎日郵便の来る、一人暮らしのおばあのトコに配達にいったが、その日は珍しく出て来なかった。
いつも俺が配達に行くと玄関に出てきて他愛もない話をして・・・
俺のおばあは俺が小さい時に死んでて記憶になかったがそのおばあが俺のおばあの様な気持ちで接してた。

配達に戻りかけて・・・イヤな予感がしておばあの家に戻り声をかけたが返事は無かった。

いつも戸締りを忘れたらダメだよとあれだけ言ってたのにドアに手をかけると
鍵がかかってなくて覗き込むと倒れてるおばあの足が見えた。

その後は、正直良く覚えていない。

次の次の日、配達に行くとおばあの家では葬式の準備をしていた。
弔文レタックスを渡そうと受付に行くと、おばあに似た顔をしたおばさんが
俺の胸章をしばらく覗き込んだかと思うと少し待ってて欲しいと言う。

言われるままにまっているとおばさんは白い封筒を持って来た。
おばあの、俺への手紙だった。おばあは遺言と一緒に保管してたそうだ。

手紙にはいつも書留の受け取りに書いてくれたのと同じ
ちょっとヨレた、細かい字で俺への感謝が綴られていた。
おばあは自分が学校に行けなくて字をあまり知らないと言ってたが
ひらがながいっぱいのその手紙は一所懸命書いたのが良く分かった。

最後まで読みきる前に涙が出てきて止まらなくなった。


俺は郵便屋になって良かった。


[ 2013/09/12 16:01 ] 祖父母 | CM(0)

小遣いがなくなったころにアイツが缶コーヒーを奢ってくれた。

588: 大人になった名無しさん 2012/04/13 08:00:45

そこまで昔でもないけどさ

彼女なんて一生出来ねえと思っていた俺が、奇跡的に結婚して子供が産まれた。
とにかく少しでも稼ごうと思って一生懸命働いてたら知らない内に嫁さんと溝が深まってたんだ。
当時の俺からしたら嫁さんと子供が大事だから躍起になって働いてたわけだし
「少しは家にいたらっ!」なんて言葉、素直に家にいて欲しいって言えよ、寂しいってい言えよ
女って勝手だなぁぐらいにしか思ってなかった。

その日の朝も出勤前に玄関で口論して、泣きわめく子供見ながらなんだか嫌になってポスト見てたの
そしたらなにか入ってる様子だったから内側から取り出し口の扉を開けてみた。
なんにも書いてない無地の封筒。普段、新聞も取ってないから俺も嫁さんもポストなんか確認しない。
いつから入っていたのか分からず裏を返すと「出産祝いです」とだけ書いてある。
中を見るとクシャクシャの千円札が5枚と、5千円札が1枚で計一万円が入っていた。


[ 2013/09/11 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

天国の先生に恥じぬよう、俺はもう負けない。

571: 大人になった名無しさん 2012/01/24 20:54:02

あの子を救って欲しい。
あなたの事はあなたが救ってあげて欲しい。

俺に先生は言った。
登校拒否になるほどのいじめを受けた俺は奴を憎んでいた。

先生の言葉で翌週、学校に行き、奴に死にたい事を伝えた。すべてをぶちまけた。
俺は泣いた。
奴も泣いた。
先生は笑っていた。

奴は俺を信じてくれた。
やはり先生は笑っていた。

月日が経った。
今人間関係で悩んでいる。
天国の先生に恥じぬよう、俺はもう負けない。


[ 2013/09/10 22:01 ] 学校 | CM(0)

面接に行った俺を迎えてくれたのは転校したHだった。

562: 大人になった名無しさん 2011/10/24 01:34:05

俺んトコは田舎で私立小学校に通ってる奴は珍しかった。と言うか皆無に近かった。
Hを見掛けるようになったのは俺が五年生の頃だった。


[ 2013/09/10 16:01 ] 学校 | CM(5)

障害者体験で目の見えない講師に点字で…

558: 大人になった名無しさん 2011/08/09 22:49:04

泣けるコピペ見てて思い出した体験談
どこに書き込めばいいから分からないからここに投下

中学生の時障害者体験っつーのがあった。目隠ししたり、車いす乗ったり、割と本格的。
その中で点字を学ぶ授業があった。講師はサングラスをかけた、目の見えない人。
決められた文字を打つのが割と忙しくて、授業終わりに余った紙をあわてて、
「これ余ってます!?いいですよね!?」と奪うようにもらって点字を打って、
「ありがとうございました」と書いて講師の人に渡した。
でも慌ててたから「ありがとうござました」になってて、その人が一字一字読んでいるうちに
気がついて、顔からファイヤー。しかし、講師の人は泣きだして、紙を握った手で私の手を握り、
感謝しまくってた。片づけでどたばた忙しい中泣いている人がいる事態に気付いて、
いじめっ子が「お前泣かせてんじゃねーよバカ」みたいなことを言ってきたが、
私は講師の人の優しい声と、涙と、手の感触で半ば幽体離脱状態。
誰かがいじめっ子をいさめてた気もするが、私にはそんなものいらなかった。
つい流れで「泣かせてしまってごめんなさい」と言った気もするが、それは私の感覚じゃなかった。
担任の先生に褒められた気もするが、それでも私はどこかに行っていた。


[ 2013/09/10 00:01 ] 学校 | CM(0)

母が生きていた頃と同じあのカレーを作れるのは俺だけ

556: 大人になった名無しさん 2011/06/12 17:56:54

母を亡くしたのは俺が二十歳の時だった。

当時、妹はまだ高校生で、いわゆる“お袋の味”は大半が失われてしまった。
だけど、母が作ってくれたカレー、うちのカレーのレシピだけは俺が教わっていた。
母が生きていた頃と同じあのカレーを作れるのは俺だけ。

だけど、親父は再婚したし、妹はカレー自体があまり好きではないので、作る機会が無い。


[ 2013/09/09 22:01 ] 母親 | CM(0)

お前は俺にとって命よりも大切な友達だ。

551: 大人になった名無しさん 2011/04/02 10:32:21

【友人代表】
おとといの朝、少し寝坊して朝練に遅刻しそうになったから、お前の家に電話出来なくて、
「朝練に行く。」と伝えといてと頼んで家を出た。

朝練を終えて教室で話をしていた。すると、いつものとおり先生が教室に入ってきた。
そして、「今日残念な事がありました。」と言った。

先生はこの言葉をよく使うので、あまり気にしなかった。

そして、お前の名前が出てきて、昨日死んだと言っている。
俺は、心臓が一瞬止まった。耳を疑った。気が付いた時には、汗を沢山かいていた。それから、
その後は頭の中が真っ白であまり記憶がない。

そして、部活を早めに終えて家に帰った。家では母が泣いていた。やっぱり本当だと思った。

それから、お前の家に行ってお前の顔を見た。死んでるなんて思えなかった。
家に帰っても頭の中は真っ白で、何が何だか分からなかった。
次の朝起きると、目から涙が溢れ出た。それから、お前の事が頭の中へ浮かんできた。
涙も次から次へ出てきて止まらなかった。

お前と知り合ったのは小学校1年1組で同じクラスになった時からだ。
俺は遠くの保育園から来たので友達がいなかった。
おまけに、体は大きいくせにいじめられて、泣き虫で、運動神経は最低中の最低で、頭もあまり良くなかった。
お前は人気があって、走るのは速いし、塾にも行っていないのに一番頭が良くて、面白くて明るくて、そして誰よりも優しかった。
俺は、そんなお前に憧れていたし大好きだった。


[ 2013/09/09 16:01 ] 友情 | CM(0)

彼女は一年後、母親と同じ場所で同じ死に方をした

536: 大人になった名無しさん 2010/07/01 00:47:13

幼稚園から中学まで一緒だった女友達がいた
高校で別々になり疎遠になっていたけど大学受験に失敗してたのは知ってる。母親が自殺したことも他の友人から聞いていた。
彼女はその一年後、母親と同じ場所で同じ死に方をした
そして私は何も出来なかった

背恰好が似ていて、誕生日も名前の順でも近かった私たちは同じグループになることが多くてすぐ仲良くなった
性格はまるで逆だったからいつもいる仲良しグループは別々だったけど行事の時はなぜかいつも同じ担当になってた
音楽祭・ピアノ担当になって彼女は課題曲「翼をください」を私は自由曲「モルダウ」を弾いた
陸上大会・対抗リレーの1番手が私、彼女が2番手 二人のタイムがほぼ同じだったのでスタートで私が好位置につけてそれを維持するのが彼女の役目にいつもなっていた
部活3年間、クラブ(クラブは年ごとに選び直せた)もずっと一緒だった
二人で一緒に何かをすることがとても多かった

友達っていうより縁って感じだったかも…

「ごめんね」っていう遺書があったそうだ
通夜も葬式も連絡が来たのに行かなかった

行きたかったのに行かなかったのは彼女の死を受け入れられなかったからだと思う
ものすごい後悔している
ありがとうとさよならを言わなきゃいけなかったのに…

お墓参りに行こう
私には家族が出来た
仕事真面目で懐深い優しい旦那さんと、ちっちゃい怪獣みたいな女の子がいる。
先月で1歳になった
まだまだ話したいことがたくさんある
都合のいい解釈かもしれないが、なんとなく彼女も待っていてくれてる気がする
もう一度会えば、悲しい思い出がきっと楽しかった思い出になる。
やっと気付いた、遅くなってごめん。


[ 2013/09/09 00:01 ] 友情 | CM(0)

彼女の母親「あの子、一ヶ月前に亡くなったのよ。。。」

511: 大人になった名無しさん 2010/01/26 17:18:18

 いきなりカキコしやす。私の体験した泣ける話聞いてください。
 あの子は俺と大学のゼミが一緒で、研究なんかをやるうちに仲良くなりました。そのうち二人で遊ぶようになり俺は、意を決して告白しました。彼女の返事は
                      「ごめん、付き合えない」
でした。すごい落ち込んでそれからは何もやる気が起きませんでした。そんな矢先その子から話があるといわれ待ち合わせをして会いました。その子は俺に
                      「学校やめたの。家の事情で。。明日実家に帰るの」
                      「最後だから会いたかった」
と言いました。彼女はすごい泣いていました。俺も泣いてしまいでも
                      「俺、お前のこと好きだ。どこにいてもかまわないから付き合ってくれ」 
そう言いましたが、返事はやっぱりダメでした。そして彼女を駅へ見送りに行きました。涙をこらえるのが辛かったです。
 それから半年くらいしたある日、あるおばちゃんが俺を訪ねてきました。それはなんと彼女の母親でした。彼女の母親は俺にこう告げました。
                      「あの子、一ヶ月前に亡くなったのよ。。。」
彼女は、心臓に病気を患っていたのだ。でもどうしても大学で研究をやりたいということで定期的に通院しながら、大学に通っていたとのことだった。
大学を辞めたのも病気のせいだったらしい。生前彼女は俺に渡してほしいと一通の手紙を書いており、彼女の母親は俺に手紙をくれた。
                       
                         大好きなOO君へ
                     突然、ごめんなさい。私は重い病気で長く生き
                    れないとおもうので手紙を書きます。
                    じつは私も好きでした。告白されたときうれしかったんだよ。
                    本当にうれしかったのにこんな体だから迷惑だと思ったんだよ。
                    突然いなくなってごめんね。。できるならあなたのそばにいたかった。
                    あなたのそばでずっと笑ってたかった。結婚して年取ってもずっと一緒に
                    いたかった。ごめんね。ごめんね。ごめんね。本当に幸せだったよ。
 手紙の文字が滲んで見えた。俺はあの子に何一つ幸せにしてやれなかった。彼女の苦しみを考えたら涙がとまらなかった。
 俺はつい最近仕事をやめた。リストラだった。辛いとき空を見たらあの子が笑っている気がした。そしたら思い出してしまった。
 長文すいません
                   


[ 2013/09/08 00:01 ] 恋愛 | CM(2)

食べてる最中母が「お母さん今年中だって。」なんて言うから何かと思った。

471: 大人になった名無しさん 2009/09/08 00:25:39

泣けるかどうかわからないけど。私の

私が中学になる頃から母の体調が悪くなってきた。
名前が長くて難しいから覚えてないけど先天性なんとか。
肝硬変みたいなものって教えてもらった。

一年に一回くらいかな?一週間くらいだから別になんとも思ってなかった。
すぐ直るんだろうって。

それが高校2年くらいに急に悪くなった。ずっと入院してた。
どんどん顔が黒くなって目も黄色い。
やつれていって怖くてぜんぜんお見舞いにいけなかった。
体育祭と文化祭にやっと外に出られるくらい。
それでも明らかに病気って感じだから休んでほしかった。

高校三年生の夏頃、もうやばいってんで生体肝移植することになった。
生きてる人から生きてる人への移植。
三親等以内に母と同じ血液型が三人しかいなかった。
母の弟。母の姉の息子、つか私のいとこか。で、私。

嫁入り前というか女の子にそんな事できないと言って弟(以下叔父さん)にお願いした。
私は別にいいって言ったんだけどね。

当日、手術前に会えるっていうから学校行く前に会いに行った。超早起き。
しかも学校間に合わないから5分しか話せない。
慣れない都心の地下鉄で泣いた。なぜか泣いた。
旨くいくかって不安とか、これでまた一緒にご飯食べれるとか出かけられるとか。
今考えるとあまり親離れできてねーなー。

時間通りに学校着いたのにサボりました。すんません。
保健室の先生は事情知ってたから、泣きながら喋ってた。今日でやっと終わるんだー的な事を。
今思い出した。この頃友達ともうまくいってなかったんだ。
だから保健室に頻繁に出入りしてた。学校マジで行きたくなかったんだ。


[ 2013/09/07 22:01 ] 母親 | CM(3)

忘れられるって想像以上にキツいぞ…

467: 大人になった名無しさん 2009/09/03 10:51:01

俺の母方のおばあちゃんはつい2、3年前からアルツハイマー(老人ボケ)になった
最初のうちは症状は軽かったが、夜に徘徊したり、あり得ないとこで小便したり、食べ物に変なもの入れたり散々だった
おばあちゃんは福島に住んでて、俺ら家族は埼玉に居るからおばあちゃんは老人ホームに入居した
でも全然会ってないためか最近俺のこと忘れちまったらしい
俺の名前を母が言っても、誰?状態で、写真見せても分からないらしい
家事を独りでやってたおばあちゃんの背中は曲がって腰も痛いはずなのに、寝付けない俺をおんぶしてくれたっけな
眠くて仕方ないのに、昔話を何時間も話してくれたっけな
大学が受かったときも母親よりも喜んでくれて、わざわざ会いに来てくれたっけな
あーやばい涙出てきた
ごめんなばあちゃん
俺の事忘れてるだろうけどばあちゃんに会いに行こうかな

前に実況板にも書いたけど、老人ボケに苦労してる人はもう一度考え直してほしい
忘れられるって想像以上にキツいぞ


[ 2013/09/07 00:01 ] 祖父母 | CM(0)

俺が高校時代に付き合ってた女の子があと僅かな命…

453: 大人になった名無しさん 2009/08/28 07:33:26

電話を取ったのは当時五歳の娘だった。「おとう、電話。」
子機を受け取って「もしもし・・」
「もしもし、私。覚えとる?N・Yやけど・・・」中学の同級生。
「実は・・・Kちゃんなんやけど・・・」Kちゃんと言うのは、俺が高校時代に付き合ってた女の子だ。
俺に逢いたがっている。
入院している。
あと僅かな命。
同級生は電話の向こうですすり泣いていた。
「ご主人も子供もおるやろ?俺にも同じように嫁や子がおる。二十年近くも昔の、それも学生の頃、子供の頃の話しやないか」
「旦那さんが是非って」同級生は入院先と面会可能な曜日と時間を俺に告げた。
「わかった。旦那さんのおる時間に、お前も一緒に行ってくれ」携帯番号を告げて電話を切った。


[ 2013/09/06 00:01 ] 恋愛 | CM(2)

祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。 その時の手紙です。

421: 大人になった名無しさん 2009/05/23 23:11:04

627 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/20 14:08 ID:ietIbiLR
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。

その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。


[ 2013/09/05 00:01 ] 祖父母 | CM(3)

今でも母の月命日には、絶対にそのミートソースを食べる。

413: 大人になった名無しさん 2009/05/20 09:36:54

うちの母が作るミートソースは、目茶苦茶旨かった。
家族全員大好物だったんだが、そのレシピを聞かないうちに急性白血病で亡くなった。

亡くなって数年経った時、父が「あのミートソース食いたいな」と急に言い出した。
私も弟も食べたかったので、あの味の再現をしてみようという事に。

ベースは某メーカーの缶詰ミートソースだというのは知ってた。
が、そこに何を足せば母の味になるのかがわからない。
私と弟で色々とブレンドし続け、三日くらい連続で夕飯ミートソーススパゲティ。朝もミートソーススパゲティ。
そろそろ飽きが来る……って時に、弟が作ってみたミートソースが、偶然母のと同じ味になった。
最初は皆で「コレ!コレだよ!」と絶賛しながらがっついてたが、
次第に言葉が無くなり、食べ終わる頃には皆して泣いてた。
今でも母の月命日には、絶対にそのミートソースを食べる。


[ 2013/09/04 16:01 ] 母親 | CM(0)

祖父は、私のことももう会ってもわからないかもしれない、という状態だった。

385: 大人になった名無しさん 2009/04/14 01:18:42

この季節になると思い出すことを吐き出させて。

昔から親と、特に母親と上手くいかなかった。
小生意気で口が立ち、かつ強情だった性格も原因なのだろうけど
結構早い段階(4~5歳くらい)から、ケンカの度に
虐待に近い暴力を受けていたり、でも父はそれを止めてくれなかったり。
実家を出るまでは、家族の中で自分が孤立している印象しかない。

そんな私の唯一の味方は父方の祖父だった。
通学路に祖父の家があったのでよく遊びに行っていた。
親子ケンカで家をたたき出されて夜中に泊まりに行ったこともあった。
母は親戚一同に私のあることないこと言っていたようだけど
親戚の集まりの際、そんな状況になっても
「(私)は優しくていい子なんだ」と言ってくれたと叔母から聞いた。
涙が止まらなかった。


[ 2013/09/03 22:01 ] 祖父母 | CM(0)

先生の事一生忘れないと思う。 あの先生の一言がなかったら、今の俺はいないから。

368: 大人になった名無しさん 2009/04/02 10:52:28

余り泣ける話じゃないかもしれないけど、自分の高校受験の話。

筆記が終わって、次の日に面接を受けた時の事。
すげぇアガリ症の俺はこれ以上ないぐらい緊張してた。
もう頭真っ白で脈拍が半端じゃない。
実際、面接中に何聞かれたかも覚えてないから余程緊張してたと思う。
そんな俺でも、未だに忘れてない事が一つだけある。
周りの奴だって皆ガチガチだったから、空気の重い控え室。
そんな空気を一瞬で変えてくれたのが、高校の先生だった。

「大丈夫だ、もっと落ち着いていきなさい」

そう言われた時、その場が急に和んだんだ。
で、上で言った通り聞かれた事何も覚えてないけど俺は無事受かった。
高校に入ってすぐ、俺はその先生にお礼を言いたくて事務室に行ったさ。
覚えてる限りの特徴を言って、やっとその先生が誰だかわかったんだ。
けど、一足遅かった。
俺の入学と同時に、その先生は転勤になってたんだ。
結局、高校の3年間でその先生に会う事は出来なかった。
でも多分、その先生の事一生忘れないと思う。
あの先生の一言がなかったら、今の俺はいないから。

本当に、有難う御座いました。
俺、元気にやってます。


[ 2013/09/03 16:01 ] 学校 | CM(0)

どんな相手でも笑わせることが出来る。俺もそうなりたいと思っている。

364: 大人になった名無しさん 2009/04/02 03:03:37

あまりセピアじゃないけどとりあえず。
スレチとかだったらごめん。

俺の誕生日は3月20日なんだ。
3月20日って、地下鉄サリン事件があった日であり、イラク戦争開戦日でもあるんだ。
つまり、俺の誕生日はいろんな人が死んでるんだ。
だけどたくさんの人が死んだ日、てよりも俺には一人の人間の命日である事の方が大きかった。

いかりや長介の命日。

俺は小さい頃からドリフが大好きでさ。
その中でも、長さんが何故か一番好きだった。
本来嫌われ役の長さんなんだけど、俺は何故か好きだった。
だって、面白かったじゃん。
みんな笑ってるし。
ちょっと憧れたな。俺面白くなかったから。

ある年の誕生日、浮かれた気分で帰ってきてテレビつけたら、長さんが死んだ、てニュースが流れたんだ。
それ見て、唖然としたよ。
一瞬、自分の誕生日だということ忘れたわ。

で、その日は号泣した。
元気そうにしてた長さんの姿思い出すたびに泣いた。
後日放送された葬式での、加藤茶の話でも泣いた。
あまりに号泣してて、家族からも心配された。
それだけ、俺の中の長さんはでかかったんだ。

今でも、誕生日になるとまずは黙祷してる。
長さんが死んだのは中学生の時。
もう大学生。つまらない、とよく言われていたあの頃とは別人のように変な奴になった。
回りを笑わせるのが好きだ。自分が、長さんの変わりに人を笑わせていられる気がして。
自己満足かもしれないけど、これが俺なりの長さんへの追悼なんだと思う。

お笑い芸人になる!と言ったら全力で反対されたよ。
流石に、親としてはそれは嫌なんだろうな。
結局、普通に大学進学しちゃったし。
今は、お笑い芸人じゃなくても人を笑わせられる職業探してる。

どんな相手でも笑わせることが出来る。
長さんがそうだったように、俺もそうなりたいと思っている。


[ 2013/09/03 00:01 ] 学校 | CM(0)

あれから十五年以上経つけど、オッサン元気にしてたらいいなと思う。

362: 大人になった名無しさん 2009/03/31 13:00:50

小学生の頃、秘密基地を作るのが校内での流行だった。
田舎だからボロ小屋とか防空壕、山の中とかに段ボール持ち込んで。
でも下級生がいい所見つけて基地作っても、すぐ上級生に見つかって占拠されたり破壊されたり。
それでも自分のグループはあちこち基地を作り続けてた。
何回目かの基地は山の中で、雨風凌げる木の穴みたいな所だった。
作って数日後、放課後に行くと、そこに知らない汚いオッサンが寝てた。
置いてたお菓子が食われてて、自分らはオッサンを叩き起こして猛然と抗議した。
するとオッサンは、小学生の自分らに頭を下げて謝ってくれ、ポケットからこれまた汚い十円玉を出し、一個づつくれた。
そしてニコニコ笑い、「良かったら俺をここの管理人にしてくれ」と交渉してきた。
人が良さそうな笑顔だったし、なんか可哀相になって、自分らはそれを了解した。
オッサンは時々いなかったけど、大抵はいつも基地にいて、出所不明の果物とかをくれたりした。今になって思うと、畑から盗んでたんだと思う。
それでも基地を改造しててくれたり、横の木にブランコ作っててくれたりで、いつの間にかオッサンと自分らはいい友達になってた。
しばらくそんな生活してたが、ある時、基地が上級生に見つかった。
が、上級生は管理人のオッサンにビビって逃げて行き、基地は占拠されずにすんだ。
自分らはオッサンを褒めたたえたが、その時の上級生がオッサンの存在を親にチクったんだ。
翌日、大人達によってオッサンは追い出され、基地も「危ないから」と撤収させられた。
数日後、道端でうろつくオッサンを見つけて話しかけたら、オッサンは
「ごめんなあ、ごめんなあ」
って泣いた。なんだかよくわからなかったけど、自分らも泣いた。
オッサンはその後行方をくらまし、どこでどうしているかもわからない。
ただ、自分にとっては、今も友達だ。
あれから十五年以上経つけど、オッサン元気にしてたらいいなと思う。


[ 2013/09/02 22:01 ] その他 | CM(0)

ひぃばぁちゃんが亡くなるちょっと前に、まるで懺悔のするかのように私に話してくれたお話。

361: 大人になった名無しさん 2009/03/22 04:59:00

ひぃばぁちゃんが亡くなるちょっと前に、まるで懺悔のするかのように私に話してくれたお話。

ひぃばぁちゃんはそりゃーもう、気の強い、たくましい人だった。
隔世遺伝だか何だかで、その性格はうちの母にしっかりと受け継げられている。

それに対し、ばぁちゃん(ひぃばぁちゃんの娘)は気立てのいい、優しく穏やかな人だったらしい。
でも、ばぁちゃんは若くして、ガンで亡くなった。
ばぁちゃんの死は家族に絶大な衝撃を与えたと聞いている。
それほど、良き妻であり、良き母であった人らしい。

ばぁちゃんは幼い頃からそんな感じで、
ひぃばぁちゃんに口答えはおろか、逆らったこともないらしい。
もちろん、親子喧嘩になったこともないと言っていた。
いつも、穏やかでにひぃばぁちゃんに従順な子だったという。

だからこそ、ひぃばぁちゃんは娘の行く末が心配で
娘の意見なども聞かずに、地主さんの息子さんとの縁談をさせた。
もちろん、娘も文句一つ言わずにそれを受けた。

お相手はばぁちゃんの事を大層気に入り、縁談は順調に進み結納も済んだ。
いざ明日は嫁入り!と、いう晩にばぁちゃんはひぃばぁちゃんにこう言ったそうだ。
「お母さん、やはり私は嫁ぎたくないんです。」
後から思えば、それはばぁちゃんの最初で最後の反抗だったらしい。
とても申し訳なさそうに、泣きそうになりながらの物言いだったんだという。
でも、ひぃばぁちゃんは理由も聞かず、すごく強い口調でそれを咎め、黙らせてしまった。

翌日、何もなかったかのように嫁いでいった娘に安心してると
夜になって、家に「先生」という人(多分、どっかの教授なんだと思う)がやってきて
「娘さんを僕に下さい!!」
と求婚してきたそうだ。
先生は随分と前からばぁちゃんと恋仲で、結婚を誓った仲だったらしい。
でも、嫁ぐことを知らなく、たまたま求婚してきたのが嫁いだ日の夜だったのだ。
ひぃばぁちゃんは事情を説明して、先生にはお帰りになってもらった。

他に愛する人が居たことを、ばぁちゃんは死ぬまで誰にも話さなかったらしい。
ひぃばぁちゃんも、先生があの夜求婚してきたことは誰にも言わなかったという。

どうしてあの夜、娘が嫁ぐのを嫌がる理由を聞かなかったのか。
どうしてあの娘の初めての反抗を、強い言葉で咎めてしまったのか。
普段、反抗なんて絶対しない心優しいあの娘の気持ちをどうして汲み取ってやれなかったのか。
ひぃばぁちゃんはその事を人生で一番後悔していると言っていた。

ばぁちゃんに似てるという私に話すことで、懺悔のつもりだったのかもしれない。


[ 2013/09/02 16:01 ] 祖父母 | CM(7)


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