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先生がいなかったら、今の私は無いと思う。

315: 大人になった名無しさん 2009/01/11 21:47:40

小学生の頃、私は酷くトロい子だった。
運動は苦手、食べるのも遅い、とにかく何もかも要領が悪い。周りの子から「のろま」と呼ばれていた。
それで全く自分に自信が無かったが、一年生の半ば、授業で書いた読書感想画で賞を取った。
当時担任だった先生がそれをめちゃめちゃ褒めてくれて、
「君は絵がすごく上手だ。確かに走るのは遅いし給食食べるのも遅いけど、
君の絵は才能だよ。それ一つだけで、君は素晴らしい子なんだよ」
と言ってくれた。
それがきっかけで絵が好きになり、毎回何らかの賞を取る事が出来て
自分に自信も付いた。

小学校を卒業する直前、その先生が交通事故で亡くなった。
お葬式に行ったら、先生の奥さんから
「うちの人、家でもあなたの絵をすごく褒めてたよ。あなたにはそういう道を進んで欲しいって、いつも笑いながら言ってたよ」
と聞いた。

先生が見てくれてると信じて絵を描き続け、今は美大にいる。
先生がいなかったら、今の私は無いと思う。
先生、本当にありがとうございます。

長文失礼しました。


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[ 2013/08/31 22:01 ] 学校 | CM(0)

凄い美人の幼馴染の結婚式に出ました。

298: 大人になった名無しさん 2008/12/12 14:35:11

830 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 10:19:53 ID:b9QGIJW20
188 :('A`):2006/04/13(木) 20:01:15 0
俺は凄い美人の幼馴染がいて案の定中(挨拶程度)→高(ほぼ会話なし)と疎遠になっていったのだが
上京して大学生で一人暮らししてる時突然電話してきて
「今度、東京に住むことになったの(短大出で就職したらしい)
 知り合いが居なくて心細いからあーくんの近くに住みたい」
最初冗談かと思ったんだが、本当に上京してきて、一緒に部屋探してあげて
同じマンションの空き部屋に住むことになった。

青春期の時が嘘みたいに昔みたく仲良くなって、ほとんど毎日俺の部屋に居た。
実家が隣なので里帰りも一緒。でも、恋愛とかエロいことは一切なかった。
本当に中のいい友達。

こないだその子の結婚式に出ました。
お酌をしに行って「おめでとう」って言ったら
不意に涙が出た。その子も泣いた。
理由はわからない。幸せになって欲しいと心から願う。

831 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 10:38:03 ID:78WB4AfA0
>>830
ええ話や…
832 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 12:11:08 ID:BvdP8vNt0
>>830
切なくてすごくいい
188がほんとにいい人っぽい
833 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 12:12:00 ID:POdCaDDQO
>>830
これ見て思い出した。
私の友達にも異性の親友がいた。
結婚式の時も普通に新婦の友達席にいた程。
私も新婦を通じて何度か会っていたので、
少し酔った感じのその人は、
「旦那を紹介したのは自分だ。」と私に話していた。

キャンドルサービスをしている新婦を見つめるその人の顔は、まるで娘を送り出す父親の顔。
少し悲しそうな笑顔で…こっちまでキュンとした。

後日この事を話したら、新婦は目に涙を溜めてた。


[ 2013/08/31 00:01 ] 恋愛 | CM(1)

今、彼女は笑っているだろうか。 あの石には、そうであるよう願いをこめてある。

292: 大人になった名無しさん 2008/11/24 21:05:32

小学1年のころの思い出です。
学校から帰るとき、いつも一緒にいる女子がいた。家が近くて、
待ち合わせしていたわけじゃないけど、なんとなく毎日手をつないだりおしゃべりしたりして
ふたり並んで下校してた。
冬になったばかりのころ、その年初めての雪が降ったある日、
彼女が帰り道の途中にあった月極駐車場(石ころだらけの)に突然入りこみ、
石ころをひとつ、宙に放り投げた。幼い僕は不思議に思って、
「どうしたの?」と尋ねた。すると、彼女はいつも通りの笑顔でこう言った。


[ 2013/08/30 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

何度でもぶつかりながら、ゆっくりでもいいので、好きを深めていきたいです。

280: 大人になった名無しさん 2008/11/15 22:50:02

泣かすつもりはないけど。


俺今年で高校生になりました。毎日すっごい充実してます
それもこれも全部今いる彼女のおかげなんですけど。
その彼女が俺の彼女になるまでの話、聞いてください。

高校の入学式のとき、クラスで自己紹介したんです。
へんてこな自己紹介だったんですけど、それが逆にウケまして、
その場に溶け込めたんです。

それから毎日新しい勉強とか始まったり、部活とか始まったりして、ただただ学校生活を楽しんでたんですけど
ある日、Kが話しかけてきたんです
「あ、(自分の名前)だよね?よろしく!」って。
俺は少しきょどって「はい」って返事したんだけど、なんとなくそのときにすげードキドキして

それが始まりだったんですけど。
次いきますね


[ 2013/08/30 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

お前辛かったんやな。寂しかったんやな。 すまんかった、最高にええヤツやったのに。

243: 大人になった名無しさん 2008/09/10 19:53:58

大していい話でもないんだけど。
このスレ読んでたら思い出したから書かせてクレ。

幼なじみの明ってやつが居たんだけど、保育園の頃からガキ大将で
小学校の高学年の頃には、中学生の不良たちとつるんで
原付バイクを乗り回したり、集団で万引きなんかしてて
地元では(田舎ということもあり)知らない人は居ないってぐらいの
ワルになっちゃってた。
その後、中学生になると、ますます明の暴走は止まらず
400ccのバイクに乗って通学したり、気に入らない先生に暴力をふるったり
まさにやりたい放題。体も当時の中1にしては飛びぬけて大きく
一部の人を除いて、上級生でもビビッて目も合わせないような奴になってた。
だけど、俺も含め同じ小学校出身の同級生や後輩に対しては、変に威張ったりとかは一切せず
学校で会えば「よう!Kちゃん(俺の消防時代の呼び名)お前ちゃんと勉強してるか?」
なんて、無邪気な笑顔で話しかけてきてた。
保育園のころから知ってる俺たちは、明は妙に正義感が強くて弱いもの苛めを絶対にしない
根はとってもいい奴ってことは知っていた。


[ 2013/08/29 22:01 ] 友情 | CM(0)

俺はお袋が死ぬまで生きなきゃならない、それが俺にも出来る、唯一の親孝行

217: 大人になった名無しさん 2008/08/21 05:46:16

一昨年ばあちゃんが死んだ

最後に会ったのは俺が中学生の時だったかな
葬式の為に20年越しでばあちゃんの住んでた田舎に行った

次の日遺品の整理をする為に俺とお袋、それと叔父の三人で
もう誰も帰って来る事の無い家を訪れた

じいちゃんは戦争でとっくに亡くなってたし
ばあちゃんも亡くなる1年前からボケもあって入院してたから
実際には誰も住んでなかったその家の中は埃だらけだった

それなのにまるで昨日までここで生活していたかの様な光景

洗った食器がそのままの台所
新聞が広げられたままの食卓
部屋の隅に畳まれたままの布団

そして小さな冊子が乗ったままの小さなちゃぶ台

叔父がその冊子を手に取って
「こんなものくらいしか楽しみが無かったんだなぁ」
と言って、声を上げるでもなく静かに涙を流してた

近寄って覗いてみると、お袋と叔父の若かった頃の写真、それとまだ子供だった頃の俺の写真だった
写真は指紋だらけで、カラーだったはずの写真は全部色褪せてセピア色になってた

ばあちゃんは足腰が立たなくなってから入院までの間
テレビもラジオも無いこの部屋のこのちゃぶ台で
俺達の昔の写真を手に取って眺めながら一人で何を想ってたんだろう

そう思うと辛かったけど、何とか涙は堪えた

ばあちゃん

ばあちゃんには会いたいけど、もう少しだけ待って欲しい
俺にはまだこの世にやり残してる事があるんだ

俺はお袋が死ぬまで生きなきゃならない
それが親不孝ばかりだった俺にも出来る、唯一の親孝行だからね


[ 2013/08/29 00:01 ] 祖父母 | CM(0)

俺『お前やるな!母ちゃん守ってやったな!!』 ガキ『お前が守ったれ!アホウ!!』

203: 大人になった名無しさん 2008/08/19 23:18:46

泣けるかどうかわかりませんが、個人的には涙の思い出があります。

中2で同じクラスになったR穂に対して、僕はお互い好きなんだろうな、という
感触を抱いていました。たとえば僕が級長になった1学期には彼女が進んで副
級長を務めてくれたし、2学期の運動会では男子リレーの鉢巻を女子が作るこ
とになったのだけど、彼女が僕の分を作ってくれ、当日は飲み物まで用意して
くれりしたようなことがあった。


[ 2013/08/28 22:01 ] 恋愛 | CM(2)

あの姿が一番エロティックだったように思う…

193: 他スレで見つけた泣ける話1 2008/08/18 22:48:54

俺の高校3年間を通じての恋人は、ほしのあきそっくりだった。
ほしのあきは165cmということらしい。俺の彼女、美来は高1のときにそのくらいの身長だった。
ほしのあきそっくりというのは童顔で細身の巨乳だったということなんだ。
俺は同じクラスになった彼女が、背が高くほっそりした童顔の女の子だと感じたものの、
俺の好みではなかったので、実は全く関心がなかった。俺はきりりとしたきつめの目をした女性が好みだった。
当時でいえば女優の中島ゆたかみたいなちょっと悪女っぽい大人の雰囲気の女性に憧れていた。
だから美来のことは眼中になかった。彼女は明るく世話好きで人気があったし、勉強もよくできた。
体育の時間に女子と一緒にグランドに出たとき、彼女の胸がただものではないことに男子全員が気づき、俺の周りは
「おい、H(美来の姓)、ブルンブルン揺れてるぞ、すげぇなぁ」と言っていたが、俺は巨乳(当時そういう言葉は
なかった)にもそれほど関心がなかったので、特に反応しなかったと思う。
5月下旬の中間考査が終わった日に、俺は美来から手招きされた。それまで親しく喋ったこともなかったので、何事かわからず、
俺は彼女に歩み寄った。すると周囲に素早く目を走らせた彼女はさっと俺にメモを渡した。その場で見るのはまずそうな気がして、
何気なく歩いて廊下に出てから見た。「今日の放課後に■(地名)の●(店名)に来て下さい。どうしてもお話したいことがあります」
と書かれていた。一瞬俺ラブレターかなと思ったが、俺と親しく話したわけでもないし、彼女から俺に親しく話しかけてきたこともない。
すると彼女と仲のよいE美が、俺を・・・・と思った。というのはE美は細身のきりりとした顔立ちで、俺は好きというわけではなかったが、
ついついE美とよく話していたのだった。
俺は指定された●に出向いた。そこには美来が待っていた。
「ごめんね。試験の後なのに。あのね」と彼女は何か言いそうになり、「うん、その前に何か飲もうよ、わたし奢るから」と店員さんに合図した。
俺は自分の好みで紅茶を頼んだ。美来はそれを聞いて「あっ」という表情になり「私も」と同じものを頼んだ。
俺はかなり紅茶好きだった。だから●にあるような「紅茶」とだけ書かれたメニューでは美味しいものが飲めないと思っていたが、
日頃の好みで頼んだのだった。
紅茶が運ばれてくるまで俺は話すことは無いし、彼女も黙っていた。変な緊張感を漂わせている彼女に俺はいらいらした。
彼女の童顔も俺をいらつかせるのだった。
紅茶が運ばれてきた。ひとくち飲むと彼女は「ふぅ」と息を吐き、「わたし、T田君(俺)とつきあいたい!」と大きな声で言った
ので、俺は思わず周囲を見回してしまった。彼女は立て続けに言った。「高校の入学式で会った瞬間にこの人だって思った。運命だって。
同じクラスになったときに死ぬほど嬉しかったし、傍でT田君を見ていて、思った通りの人だったので、本当に運命なんだって思った。」
そして俺が答える間もなく「ね、いいでしょ!」と同意を求めてきた。
俺は断りにくくなった。彼女の上気した満面の笑みを見ていると、仕方ないなと思い「いいよ」とOKしてしまった。
だが紅茶を飲み終わってからはどうすればいいのだろう?そう思ったが、彼女との話は尽きなかった。話しているうちに
性格的にも俺と凄く相性がいいことがわかり、俺は驚いた。俺にとっても運命かもしれないと思った。俺は正直に最初は
断ろうと思ったこと、だけど美来の笑顔を見ていると断れなかったこと、でも話しているうちにこんな出会いがあるのか
と驚いたこと、今このとき美来を本気で好きになってしまったことを話した。
美来は笑っていた。その日の内にお互いのことは語りつくすくらい語り合った。


[ 2013/08/28 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

「あの人誰だっけ」と言う友達に「初恋の人だっちゃ」と答えてAちゃんは去っていった。

186: 大人になった名無しさん 2008/08/17 15:12:54

自分的にかなりせつない話しを一つ。興味無い人はスルーで。

俺の出身地は当時日本で最も共産党員が多い市で、
しかも同じ地区内に公明党員がわんさかいるという非常にあれな環境だった。
少し離れた地区にいくといわゆる「地」の人間で固められた自民党地区もあったが
うちの地区はまるで境界線でも引いたようにスパッと共産/公明とわかれていた。
選挙がある度に二つの熱心な党員が無党派の人間を巻き込んで毎度トラブルを起こしていた。
俺の家庭はというと親父は頑なに国労を貫き通す鉄道マン、お袋は世間知らずのお嬢様で
頼まれると断れない性格らしく、一時期聖教新聞と赤旗新聞を同時に取っていた。
で、いつのまにか熱心な共産党員になってしまい(多分良くしてくれていたババアが共産党の幹部だった)
生協は始めるは近所にビラをくばりまくるはで今思えばかなり痛い状態だった。

話しは少し飛ぶが俺が小学生の時近所に凄いかわいい子がいた。
その子(以下Aちゃん)はクラスも同じで席も近かった事もあり
仲良くなっていつのまにか二人で遊ぶようになった。多分初恋だったと思う。
ある時地蔵盆があって俺は意気揚々と友達と出かけたが肝心のAちゃんが見当たらない。
誰に聞いても茶を濁したような答えで要領を得ない。
しばらくしてせめてお菓子だけでも届けてあげたいと思い、ジュースやらポテトチップやらを
隙を見てゴッソリくすねた俺はAちゃんの家へと走った。
ドキドキしながらチャイムを鳴らすとAちゃんのお袋さんが顔を出して出迎えてくれたので。
Aちゃんにお菓子をもって来た事を伝えて「何故Aちゃんは地蔵盆に来ないのか?」
そう聞くと一瞬顔色が変わったが「Aちゃんは風邪を引いて寝ている」と言われ俺は帰らされた。
せめて夜の盆踊りぐらい来れないかと思った俺はAちゃんの家の前に立ち尽くしていたのだが、
しばらくして家の中から怒鳴り声が聞こえてきて、Aちゃんが大泣きしていた。
多分地蔵盆に行きたいとねだるAちゃんに、あんな奴と付き合うなと
Aちゃんのお袋さんが怒っていたんだと思う。


[ 2013/08/28 00:01 ] 恋愛 | CM(0)

俺は悪い孫ですよ… ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ …

165: 大人になった名無しさん 2008/08/12 17:06:32

長いんだが(゚Д゚)ゴルァ!させてください・・・

ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら
 5 0 万 もはいってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
渡されるとき変だな変だな~って思ってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ
でもな、ばあちゃん
何やってんですか(゚Д゚)ゴルァ!
50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか?
ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゚Д゚)ゴルァ!
曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゚Д゚)ゴルァ!
金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゚Д゚)ゴルァ!
漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ
四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって
声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゚Д゚)ゴルァ!


[ 2013/08/27 22:01 ] 祖父母 | CM(0)

自分は感情の起伏の無い子供だったが、祖父が亡くなったとき生まれて初めての感覚が…

163: 大人になった名無しさん 2008/08/12 16:48:13

小学校1~2年生まで自分は感情の起伏の無い子供だったらしく、
両親がとても心配してよく児童相談所や精神科みたいな所に連れ
ていかれていた。
その時も面倒くさいとも楽しいとも思った事は一切無く、自閉症気味
と診断されていたそう。
今親に聞くと、赤ん坊の時からめったな事では泣いたり笑ったり
する事も無かったとか。
でもきちんと人の話は聞くし、知能も高かった事から親以外からは大人
しい良い子だという風に受け入れられていて、上手く言い表せない自分
の両親は心配しながらも、少し不気味に感じることもあったそうだった。
でも自分の爺さんは、そうやって不安がる両親に対して「こいつには
こいつのペースがあるんだ。放っておけ」と言うだけだった。
別段爺さんは自分を甘やかす事も無く、だからと言って無視したり虐待
するでも無かったけれど、婆さんと両親は爺さんを冷たいと怒っていた。
ある日、爺さんが風邪をこじらせて肺炎になり入院した。
母親に連れられて見舞いに行ったとき、母親が花を花瓶に入れる為に
病室を出て行った。
自分と爺さんが二人だけで病室にいて、何も話す事は無く物音一つしなく
て二人共動く事も無かった。
ふと自分の頬の側の空気が動き、見ると爺さんが青い小さなみかんを自分に
差し出していた。
それをそのまま機能的に受け取って、爺さんも自分も何事も無かったように
母が来るまでじっとしていた。
そのみかんをどうしたかは記憶が無い。
きっと家族の誰かが食べたんだろうとは思うけれど。


[ 2013/08/27 16:01 ] 祖父母 | CM(0)

病気病気で追いつめられた母親が、私の頭を金槌で殴るという異常事態…

89: 大人になった名無しさん 2008/06/13 20:47:21

楽しかった記憶というと、いつも思い出すのは、高校時代のことだ
それ以前にも幸せな記憶はあるのだけれど、一番って決めてしまうと、
高校時代しか思い浮かばない。

私は父親がずいぶんなDQNだったらしい。生後10ヶ月程度で父母は離婚し
母は私と2歳上の姉を連れて祖母の家に戻った。
祖母は私たちの世話はやってくれたが、基本的にねじくれた性格の人で
物心付かない私たちを捕まえて「お前は人間じゃない!絶対に幸せに
なんかなれない!」等ストレス解消にわめくのはしょっちゅうだった。
姉は朗らかな性格で学校内の人気者になったが、私は陰気な性格で
あまり友人も出来なかった。姉が私のことを面白おかしく周囲にばらまくので
年上の人が何故か私のことを知っていて、からかわれたりもした。
(全学年が聞くクラス放送で「私の妹はゴジラみたいです」と流された
恨みは一生忘れられない)
小4になったとき、姉が網膜剥離になり、手術が必要だと聞かされた
友達は少ないながらも、平和な毎日を送っていた私は、引っ越しによって
状況が一変した。
その引っ越し先で、今でも馬鹿だと思うのだが重大なヘマを犯して、
私はいじめられっこになった。
いじめられっこになった私は、昔の写真ばかり懐かしむようになった。
それが「自分だけが不幸」な姉には気に入らなかったらしい。古い
友人の写真をこれでもかと破かれた。学校でしかもらえなかった、
行事の写真で、小4で引っ越した私には卒業アルバムもない、そういう
写真だった。特に妹なので写真は少なく、今残っているのは数枚だ。
そんなとき、誰が助けてくれただろう、親も助けてくれなかったのに。
そう、誰も助けてはくれなかった。

姉の病気は何度も再発し、中学で(成績のことで)ちょっとした有名人になった私は
性的ないじめを受けた。男の子とろくに話も出来ないような子だったのに。
それについては、姉が「妹が迷惑を掛けた」と思い込んで謝らせる、という
異常事態があった
時過ぎて高校、部活に入った。漫画イラスト研究部だ
優しい先輩や同級生に恵まれて私は幸せだった
そんななか、病気病気で追いつめられた母親が、私の頭を金槌で殴るという
異常事態が起きた。
1週間は意識不明だった。誰も病院になんて連れて行ってくれる筈もなかった。
2週間は経って、やっと部活に戻れた。そして昼、先輩はこう言った。
「なーお(仮名)、フライいるー?」
一番安いからあげ定食を頼んだ私への言葉だった。
私はぽろぽろと涙をこぼした。


[ 2013/08/26 16:01 ] 友情 | CM(0)

俺がもっと話し掛けて一緒に笑ってたら、ばあちゃんまだ元気だったかな?

29: 大人になった名無しさん 2008/04/18 05:17:06

先日ばあちゃんが亡くなりました。
俺は今実家を離れて学校に通っているので、夜中に電話でその事を伝えられました。
俺が高校の時に足を悪くして以来、ずっと車椅子だったばあちゃん。
丁度その位から手術やらを何回もするようになって、一気に体調を崩し始めた気がする。
ばあちゃんと俺は昔は仲がよかった。
けど、大人になっていくにつれ何故だかばあちゃんとうまく話せなくなってきた。
目上と話すのに気を使ってしまうようになってしまっていたから、ばあちゃん話すのを避けていたのかもしれない。
いつのまにか、俺は自分からばあちゃんに話し掛けなくなっていた。


[ 2013/08/25 00:01 ] 祖父母 | CM(0)

なんだか緊張の糸が切れてずっと涙が止まらなかった。

21: 大人になった名無しさん 2008/04/10 22:47:27

俺の祖父は医者だった。
っていっても金はなく家はボロボロで食事なんか庭の野菜とお茶漬けと患者さんからの頂き物だけ。
毎朝4時に起きて身寄りのいない体の不自由なお年寄りの家を診察時間になるまで何件も往診して回る。
診察時間になると戻ってきて待合室に入りきらないで外まで並んでる患者さんを診察していく。
昼休みはおにぎりを片手にまた往診。
午後の診察をこなし食事をすませてまた往診。
夜中に玄関口に患者が来たり電話があればいつでも駆けつける。
一年365日休みなど無かった。
自分の体調が悪くなっても自分を必要としている人がいるからと病院にもいかず診療を続け無理矢理家族に
病院に連れて行かれた時にはもう手遅れ。
末期がんだった。
でもどうせ治らないなら入院はしないと痛みをごまかし死ぬ間際まで往診続けてた。
遺産なんか何もなし。残ったのはボロボロの家だけ。
聞けば治療費を支払えない人ばかりを診察・往診していてほとんど収入なんか無かったんだって。
でも葬式のとき驚いた。
患者だけで1000人ぐらい弔問に訪れ、中には車椅子の人や付き添いの人に背負われながら来る人もいた。
みんな涙をボロボロ流して「先生ありがとう、ありがとう」と拝んでいた。
毎年命日には年々みんな亡くなっていくからか数は少なくなってきてはいるけど患者さんたちが焼香に訪れる。
かつて治療費を支払えず無償で診ていた人から毎月何通も現金書留が届く。
いつも忙しくしてたから遊んだ記憶、甘えた記憶など数えるぐらいしかないけど今でも強烈に思い出すことがある。


[ 2013/08/24 22:02 ] 祖父母 | CM(0)

そこで僕はもう一人の自分に気づくことになったのだ。

796: 大人になった名無しさん 2007/07/18 23:12:45

ドイツから帰国して早一年になる。
二年間ドイツの大学の修士かで勉強していて修士を取ってちょうど一年前に帰ってきた。
最初の半年は地獄だった。
理解できない授業、冷たいドイツ人の視線、なれない文化、友人なんかいない
毎日帰りたいと思っていた。
ある日本屋で授業の合間の時間つぶしをしているとき、すごく顔が整った美青年が僕に声をかけてきた。
彼はドイツ人と日本人のハーフで医学を専攻している学生だった。(以下J)
Jは日本にも住んでいたことがあり、ドイツ語日本語両方とも流暢。
その後僕らはカフェに行った。彼の話は面白かったが、僕はそれ以上に彼の容姿にずっと気がいっていた。
彼の顔はすごく美形で体もたくましかった。
僕は日本にいるとき彼女がいた。
ウクライナ人で日本でモデルの仕事をしている18歳の少女だった。
それまで僕は自分は白人の少女しか愛することができないロリータだと悟っていた。
しかしそこで僕はもう一人の自分に気づくことになったのだ。
むろん彼はバイセクシャルだった。
彼は僕のためなら何でもしてくれた。人の本当のやさしさに出会えた。
今東京のビルに囲まれながら遠く離れたドイツのJのことを思っている。


[ 2013/08/23 00:01 ] 恋愛 | CM(0)

子供ながらに「なんて大人は勝手なんだ!」と憤りを感じた。

788: 大人になった名無しさん 2007/07/05 22:48:08

小学4年の時の思い出。
当時の仲良しグループの中の一人がある日突然転校することになった。
その話を先生から聞いて、理由を本人のA君から問いただした。
理由は所謂家庭の事情というやつで、父子家庭だったA君の父親が再婚し、
結婚相手の連れ子と新しい家庭を築く為にA君だけ祖父母の所に
引き取られることになったらしい。
その経緯を仲間の前で涙ぐみながら話してくれたA君を見て、
子供ながらに「なんて大人は勝手なんだ!」と憤りを感じた。
そして、俺達でA君をなんとか助けよう!大人はあてにならない!
とその場にいた友達4人でA君救出作戦が開始された。
そこで話し合いの結果、A君を父親と一緒に住まわせるには法律の力に
頼るしかないという結論に達した。
法律といえば図書館だ、ということでA君を含めた5人で近所の図書館に向かった。
顔なじみの受付のちょっと可愛いお姉さんに「法律の本はどこにありますか?」
と質問して「あそこのコーナーだよ。どうしたの?みんな恐い顔して」
「ちょっと、ね」4人は真剣そのものだった。A君は少し申し訳なさそうにしていた。
早速みんなで手分けして分厚い本を読み漁るのだが、所詮小学生に理解出来る訳がなかった。
それでもA君を助けたい一心で、なんかいい法律はないかと探した。
結局何の進展もないまま閉館の時間がきて、それぞれ家路につくことに。
みんながっかりしながらトボトボと歩いていたが、A君が
「ありがとう。じいちゃんばあちゃんと仲良くやっていくから大丈夫」
と精一杯の笑顔を見せて言ったので、みんな泣いた。A君も泣いた。
今思えば、法律の本を見てどうするつもりだったんだろうと思うけど、
そのときは本気でなんとかなると思っていたなぁ。


[ 2013/08/22 22:02 ] 友情 | CM(0)

俺は生徒のむせび泣く声の中で、嬉しげな先生のその言葉を今でも良く覚えてる。

783: 大人になった名無しさん 2007/06/12 23:56:10

泣けるかどうか分からんのだが、一つ。
もう10年ぐらい前になるんだが、国語科でかなり気さくな先生(以降恩師)いたのな。
その先生が突然夏ごろに学校来なくなったのよ。理由は病気で静養中だと。
代役の先生の授業はつまらんかった。もう、恩師の先生が偉大すぎて。
「今日はあっついのー!こんなんで授業やっても頭に入らんわ!今日はやめじゃ、やめ!」
と言ってガハハと笑いながら授業潰したりした。授業中に冷たい飲み物振舞ったりしてくれた。
で、調子にのって悪い事して、先生の注意をふざけて聞き流してたら
「このあほう!口で言うても分からんなら、どついたる!こっちゃこい!」
で、口論+つかみあいになった挙句、その生徒が「帰る」とか言い出したのね。そしたら先生
「おーう!さっさといんでしまえ!そん代わり単位落として留年させたるけんな!」
とか何とか言って、時には厳しく、ときには優しくで、生徒に好かれてる先生だったのよ。

で、恩師の先生と同期の先生に「先生はどうしたんですか?」と訊いてみたわけ。
○○病院に入院してるよ、との事だった。このとき結構ショックだったね。
何故かって、そんな大病してたのか、っていう衝撃が大きすぎたから。


[ 2013/08/22 16:01 ] 学校 | CM(1)

今でもB'zの「春」を聞くと胸が切なくなります。

771: 大人になった名無しさん 2007/06/01 03:47:55

私がまだ20代前半の頃の話 就職先で出会った拓との話。
会社の歓迎会で初めて拓を見た時はあまりいい印象ではなかった。
お酒に酔った勢いでホテルに行ってしまった。でも、これを機に拓と遊ぶようになった。
会社でも噂になってきた頃、先輩から「あの人部署は違うけど彼女いるよ」と聞かされた・・
ある日突然拓から「別れてくれ」と言われた。「(彼女に)酷い事したから」という理由で。
詳しく聞くと「中絶させてしまった」と言う事だった。今思えば「ちゃんと責任取ろうとしてたんだな」って思えるけど、若かったなぁ・・
ずっと拒み続けてた。
車で流していた曲からB'zの「春」のサビの部分「もっと早く出会っていれば何もかもがうまくいったのか」が流れ、聞いた途端涙が止まらず、拓も一緒に泣いていた。
数日後「別れた」と聞き改めて付き合う事が出来、同棲を始めた。でもまだ拓の事を知らな過ぎた。
1年が過ぎた頃から行動が怪しくなった。浮気だった。ある日、私は浮気相手と家で鉢合わせた。修羅場になった。
相手の彼氏も呼び出した。話は付いたけど、拓の浮気癖は治らなかった。1人じゃなかったから。
そんな中、会社の先輩が事故を起こして会社を辞める事になった。拓の尊敬する人だったから、拓のショックは大きかった。
ある日私が髪の色を変えた事に腹を立てた拓が「(先輩が)あんな事になったのにお前何してんの?」って理由で何発も殴られた。
こんな事あっても一緒にいたけど、繰り返される浮気には耐えられなくなった。会社を休んで荷物をまとめ、鍵を置いて家を出た。
会社も辞めた。 1ヶ月後用事があって会社に行くと、拓の後輩から「前の彼女と結婚するんだって。(私が辞めた後)より戻して、2週間前に彼女車に乗せて
事故っちゃって怪我させたのがきっかけなんじゃない?中絶もさせてるし。でもお腹に子供いるって話だよ」って聞いた時には信じられなかった。
浮気相手って彼女か・・って。それから男の人を信じられなくなって、約5年独りでいたなぁ。風の噂で拓に女の子が生まれて、拓と奥さんの名前、1文字づつとって
名前付けたとか聞いた。私自身若かったし、今となっては色々勉強になったかな。
今でもB'zの「春」を聞くと胸が切なくなります。


[ 2013/08/21 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

どうしてそんな事を言ってしまったのか…今となってはどうすることも出来ない…

763: 切ない・・・・ 2007/05/31 15:11:27

俺小4の頃から好きな女子(レイコ)が居て、
初恋だったけど想いを打ち明けるなんてことは到底無理で胸がジクジクする日々だった。
でも5年6年と同じクラスになってそれなりに仲良くなって
俺は不自然にならないように気をつけながら、態度で示そうとしていて、
レイコも薄々俺の気持ちに気付いているのだろうと(勝手に)思い込んでいた。
そう思うとよけいに気持ちが溢れてきて、想いを伝えたい衝動が強くなって、
夏休み前、修学旅行のときに告白しようと、一大決心をした。
ところが出発一週間前になって、レイコが授業中急にお腹が痛いと言い出して
保健の先生が付き添って病院にいくと急性盲腸炎で即入院・緊急手術。
レイコの修学旅行もパー。俺の一大決心もパー。になってしまった。

先生や女子たちが行けないレイコの為に色々と相談しているのを尻目に前の日にコッソリと見舞いに行った。
「男子でお見舞い来てくれたの○○君だけだね」って言われて、照れくさくてあんまり喋れないでいると
急にレイコが枕もとの小さなマスコットを手渡して「これ私の代わりに連れて行ってくれる?」なんて

俺はもう告白しなくてもOKがもらえた気分で有頂天になって、
旅行中もハイテンションでお土産を散々迷って貝殻のアクセサリーにしたり、
記念撮影では何気にマスコットも写るようにしてみたり・・・

で帰ったらやっぱり改めて告白しようと心に決めて、
次の日は振り替え休日だったけど退院予定日だったので遠慮して、
さらに次の日の放課後にお土産とマスコットをもっていくことにした。


[ 2013/08/21 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

学校の勉強だけで優秀かそうでないかが決まるわけじゃない。

760: 大人になった名無しさん 2007/05/16 03:48:27

大したドラマじゃないけど、聞いてください。

うちの死んだおじいちゃんとの話。
高校1年生の入学直後の連休の宿題が「高校入学までの自分史」という作文でした。
当時、志望高校に落ちて滑り止めで入った高校で失望していました。
だから、劣等感から作文に「自分は勉強の成績が悪くて、いわゆる馬鹿だった。」と書いていました。
書いている途中で、おじいちゃんが作文を読ませてくれと来たので読んでもらいました。

そしたら、おじいちゃんが。
「確かにお前の勉強の成績は良くないかもしれない。
でも、じいちゃんはお前の優しい所や良い所をたくさん知ってる。
そう簡単に、自分自身を馬鹿と言ってはいけないんだ。」

と言ってくれました。
自分は思春期で弱反抗期だったため、
「皆が受かった○高に落ちたんだから、馬鹿なんだよ。」と言いました。
おじいちゃんは、困った顔をして苦笑いして言いました。
「お前の頑固は、誰に似たのかな。でも、じいちゃんは自分自身を軽々しく馬鹿と言ってはいけないと思う。」
と頭を撫でてくれました。自分は、ぽかーんとしてしまいました。

最近、時は過ぎてその言葉が急によみがえって来ました。
この新年度から色んな事で挫折や修羅場、大失態を迎えて、落ち込んでいる成長した自分がいます。
味方もいません。生きている意味も解らなくなっていました。

でも、このおじいちゃんの言葉を思い出して、なんとなくでも落ち着けたような気がします。
自分を、優しく愛のこもった眼差しで見守ってくれる存在がいただけでも、
自分は幸せな星の元に生まれた。そう思います。

まだまだ、情けないくらい弱い自分です。
でも、この言葉を噛み締めて生きて行こうと思います。
おじいちゃん。もちろん欠点もあったけど、大好きです。ありがとう。

泣ける話でもなくてごめんなさい。


[ 2013/08/21 00:01 ] 祖父母 | CM(1)

でっかいダンプの横に人の形には見えないぐちゃぐちゃの赤い丸い物体が転がってた…

742: 大人になった名無しさん 2007/04/26 02:16:17

ガキの頃の話。

小学生の時から俺の両親は共働きで二人とも家に帰ってくるのが遅かった。土日すらあまり休んでなくていっつもいなかった。
だから俺は当時保育園だった妹の世話を頼まれてた。

俺は友達と遊びたい時期だったから、よく妹を家にほかって遊びに行った。
家を出ようとすると、よたよたしながら追っ掛けてくる妹をうっとーしく思って、振り払ってドアの鍵を閉めると、にーちゃんにーちゃん叫んで泣いてた。少し胸が痛かったけど、ほっといて遊びに出掛けた。

それでも妹はいつも俺にべったりで、くっついて来るわ、一緒に寝たがるわ、本当うんざりしてた。

そんなある夏の日、久しぶりに夏祭りに行こうと両親が計画してくれた。
家族で出掛けた事があまりなかったから、すごい楽しみだったけど、当日に夏風邪をひいて仕舞い、一人ぼっちで留守番するはめになった。
家族が帰ってきた時に、妹が俺に手に持ってた林檎飴を差し出した。
それを受けとる時にいつも酷い事ばっかりしてるのに、優しい妹の気持ちが嬉しくてこっそり泣いた。

それから


[ 2013/08/20 22:01 ] 兄妹 | CM(0)

これから、思い知ればいいと思う。親の気持ち、親の思いを。

739: 大人になった名無しさん 2007/04/25 13:46:35

去年、でき婚した。
俺はもうすぐ29歳になる。
5人兄弟の末っ子でわがままに育った俺。
うちが貧乏だったのはすべて親のせいだと思っていた。
当然のように親の事を恨むではないが見下していたし、好き放題な暮らしをしてた。

結婚も色々問題はあったが何とか無事にすんだ。
子供が生まれたある日ある日、姉から手紙が届いた。



すったもんだと大変やったけど、無事に赤ちゃん、元気に生まれてよかったね。
本当におめでとう。これから、この子の為に、頑張っていかないかんね。

私が小学校2年生の時、入院していたお母さんが黄色い産着に包まれた
かわいい、かわいい赤ちゃんを抱いて座ってた。
私が「かわいい~。どこんちの子?」って聞いたら、
お母さんが「あんたの弟よ」って言ってね。
こんなにかわいい弟ができたって、本当に嬉かかった事、今でも鮮明に覚えとるよ。

お母さんは、あんたを身ごもった時、何とかして流産できんものかと苦しんだ。
何でだかわかる?
上に4人も子供がおるけんとかじゃないとよ。
4人も産んだ母さんが、子供のかわいさをしらん訳がないやろ?
あんたも自分の子供を持った今ならわかると思う。
子供は一人でも二人でも同じ、みんなすべて平等に愛しいものよ。
そして、どの子にも、みな、同じように幸せになってもらいたいと思うものやし、
どの子にもみな、同じように幸せな環境を作ってやりたいと思う。
その親心、今のあんたならわかってもらえるかな。
だからこそ、貧乏のどん底に居て、どうやってこの子を幸せにできるか、苦しかったとよ。
私は女やし、子供を産んだからわかる。とっても。
あんたが生まれてくる事を拒んだ訳じゃない。
親ならわかる。幸せにできんのなら、産まない方がいいかもしれないという選択は間違いとは言えんやろ?
それでも、おなかの中のあんたの生命力に突き動かされて、
どんな事してでもこの子を守ろうって思ったって言いよったよ。

続く


[ 2013/08/20 16:01 ] 母親 | CM(4)

なぜか留守電が入ってるとすみずみまで探してしまう自分がここにいる。

733: 大人になった名無しさん 2007/04/23 18:38:41

もう随分前の話だが・・・。

俺が小1の時にお袋が今の親父を連れて来た。
親父は連れ子である俺にも本当の子どものように優しくしてくれた。
話は親父とお袋が結婚する少し前の話だ。
お袋と一緒に親父の実家に言ったときに俺は初めてそのじいちゃんに会った。
亭主関白の家だったらしく、長いテーブルの正面にドンと構えていた。
始めはものすごく怖そうな人だと思った。
でも実際はそんなことはなかった。
毎週電話をかけてくれては話を聞いてくれた。
「学校はどうだ?」
「楽しいよ。友達がまたできたんだよ。」
「勉強も難しいだろ。」
「簡単だよ。だって僕がんばってるもん」
毎週の電話で自慢話をするのがすごく楽しみだった。
旅行にも山登りにも海にも・・・。
いろんな所にも連れてってくれた。
そんなじいちゃんが俺も大好きだった。


[ 2013/08/20 00:01 ] 祖父母 | CM(0)

兄ちゃんは生きたかったのに、生きられなかった。

728: 大人になった名無しさん 2007/04/23 12:05:41

数年前の話。

実は、精神科に入院してた。薬を減らすためなんだけど。
同じ病棟に7つくらい年上の兄ちゃんがいて、すげー明るかった。
何でこの人がこんなところに?って思うくらい。
坊主頭で、コワモテの兄ちゃんだったけど、なぜか私は懐いてた。
兄ちゃんも、すごく可愛がってくれたよ、姫とか呼んでw
その兄ちゃん、白血病だった。本来は内科病棟にいた。
病名聞いて、パニくって、首吊ろうとしたから、精神科に移ったって。
笑って話してた。いっつも笑ってセッタ吸ってた。
たまに、タバコたかられたりしたw
身体に悪いだろ、って言って、あんまりあげなかったけどね。
途中から、兄ちゃんは抗癌剤での治療が始まって。
治療と治療の間は、ぱやぱやに生えてきてた髪の毛、また抜けてった。
男前が台無しだなって自分で言ってたから、たまにこづいたりw


[ 2013/08/19 22:01 ] 死別 | CM(1)

姉妹萌えな俺にはもうたまらない。

723: 大人になった名無しさん 2007/04/22 05:34:11

いつも喧嘩ばかりの私と妹
妹が中学に入学して合唱部に入った

で数日たってから偶然母さんと部活の話をしてるのを盗み聞きした
そしたら妹
「先輩にね!おねーちゃんにそっくりな人がいるんだ
顔とか声とかは全然違うんだけど、なんでかなーうれしいな!」
ってはなしてた(´・ω・`)
自分だったら
こんな素直になれない
こんなことイエナイ(´・ω・`)
これからもくだらない喧嘩しちゃうとおもうけど
もっと妹思いやろうと思った瞬間でした

なんか
うまくかけないや
おやすみ


[ 2013/08/19 00:01 ] 兄妹 | CM(0)

こんな生活嫌いじゃないよ、だって夢で彼女に会えるんだもん。

712: 大人になった名無しさん 2007/04/11 21:42:19

はじめてカキコしてみよう。
おれには大好きな彼女がいた。2年前に別れたその人にはだんながいていわゆる不倫
というやつだったが、限られた時間のなかだったから泊まりの旅行もできなかったし、
会えるのはいつも昼間だったから夜景のきれいなレストランなんかにも行ったことは
なかった。当時はフリーターだったから金もなかったから買ってあげられるプレゼント
と言えばお揃いのキーホルダーとかそんなもんくらいしかなかった。でも、彼女とい
るときはほんとに幸せでずっとこの時が続けばいいと思ってたよ。よくあるセリフ
だけどほんとに思ったよ。
でも時間ってほんとに怖いね、ふられた。
それから彼女と会うのはいつも夢の中だけ。


[ 2013/08/18 22:01 ] 恋愛 | CM(1)

彼女の家に携帯を忘れたので取りに戻ったら…

707: 大人になった名無しさん 2007/03/27 12:55:16

ついこの間のことだけど
彼女の家に携帯を忘れたので取りに戻ったら家の中に隠れてたらしい
男と彼女の笑い声が外まで聞こえた。すごく楽しそうだった。
そのまま帰宅しました。


[ 2013/08/18 16:01 ] 恋愛 | CM(2)

「お父さんが夢に出てきて、私のお尻をなでて『やわらかいなあ』って言ったの!」ととても嬉しそうな母

706: 大人になった名無しさん 2007/03/24 03:59:06

うちの父と母は同い年で、生まれた頃からの付き合いだったというのおさななじみ
20の時に結婚したって話だから、ゴールまで20年というそれこそ大恋愛の末に結婚したそうな
いい年こいたおっさんとおばさんがそのへんのバカップルよろしく茶の間で四六時中イチャイチャしてるような環境で育ったおかげで
ちょっとやそっとの下世話な話や街中で平然と抱き合うようなバカップルでも全く腹が立たないのは、まあ教育のたまものともいえるかもしれないな・・

そんなはた迷惑な中年であったうちの両親だったのだけど、
父が42の時に癌で死んでしまうと、いつもはニコニコと笑顔の絶えなかった母が、人が変わったように暗くふさぎこんでしまうようになった。
息子で長男の俺は、父の死も束の間に、どんどんと痩せ細っていく母をなんとか励まそうと色んな観光旅行に行ってみたり、
趣味になるようなものを色々と勧めてみたりしたけれど、やっぱり母は以前のようないやみのない笑い顔を見せることはどんどん少なくなった。

2つ年の離れた妹と一緒に頭を抱えて、眠れない夜を過ごしたある明け方に、
急に前のような笑顔を顔に浮かべた母がおきてきた。「何かいいことでもあったの」と聞くと、
「お父さんが夢に出てきて、私のお尻をなでて『やわらかいなあ』って言ったの!」ととても嬉しそうな顔で母は言った。
何がそんなに嬉しいのかと呆然としている俺達兄妹を尻目に、その日から母はまた少しずつ元気を取り戻していった
このことを思い出すたびに、呆れる気持ちと一緒に「自分もそんな、それこそ一生もんの相手にめぐりあえるといいな」と羨ましい気持ちもこみ上げてくる。

なんとなく実家に帰って母の顔を見たら思い出したので書き込んではみたものの、泣ける話かどうかは怪しいです


[ 2013/08/18 00:01 ] 母親 | CM(1)

痛みに負けずに一生懸命に笑っていた彼女を覚えていようと思う。

689: 大人になった名無しさん 2007/03/06 12:19:21

僕には好きな人がいる。

別に僕の彼女ではないし、話したこともない女子で、
ただ、同じクラスというだけだ。

僕は、いつも明るく笑顔で笑っている彼女が好きだった。

僕は彼女に片想いをしていた。



ある日を境に、彼女は学校に来なくなった。
先生や友達の話では、
下校途中に、信号無視の車と事故にあい、今は、病院で入院しているらしい。
少し前まで、危険な状態だったようだ。

僕は友達ではないから、お見舞いに行くことはなかった。恥ずかしかったんだ。


[ 2013/08/17 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

相手はきれいな思い出だけ残して 自分はどんどん年を取る…

673: 大人になった名無しさん 2007/03/02 01:51:24

僕と彼女は小学校から中学まで一緒だった。
僕は小学校から彼女の事が好きだった。
いつも軽口を言い合い、彼女といると楽しかった。
中学二年生ぐらいに何度か告白しようとした。
でもいつも勇気が出なくて言えなかった。この関係を失いたくなかったから

しかし中学卒業の時に僕は彼女に呼び出された。
そして僕は彼女に告白された。
まさに奇跡だと思った。僕は嬉しくて飛び上がりそうになったけど、付き合う事は出来ないと答えた。何故なら僕は美容師になるために大阪の職業訓練校に行く事になっていたからだ。
彼女はそれでもいいと言った。僕は髪が切れる様になったらこの街に帰って来て君の髪を切ると約束した。
彼女はそれまで待ってますと微笑んだ。

それから四年間、僕と彼女は連絡を取り合い続け、他愛もない話、辛かった話、失敗した話。電話や手紙でやり取りを繰り返した。
僕はどんどん彼女を深く好きになって、早く逢いたいと必死に練習した。
そしてとうとう故郷、彼女の居る街に帰る日が後半年に迫ったある日、一本の電話が僕宛に入った。

それは彼女が危篤で有ると言う電話だった。

その日の内に僕は休みをとり、飛行機に乗って彼女の元へ向かった。(なんでこんな事に、生きてくれ)初めて神様に祈る様な気持ちだった。

病院に着いた時、 入り口で彼女の母親が迎えてくれた。
そこで僕は彼女が死んだ事を知った。間に合わなかった。崩れ落ちそうに地面が揺れた様な気がした。

白血病だったらしい。半年前から発病したのだと言った。 僕に心配かけまいと黙っていたらしい。 僕は涙とショックを堪えて歩くのがやっとでまるででも何故か現実感がなかった。

霊安室の扉を開くと、ベットの上に綺麗に横たわる彼女が居た。

久しぶりに近くで見た彼女の髪の毛は薬の副作用で髪が所々しか生えて居なかった。
思わず彼女の頭を撫でた時に、彼女の母親は彼女は毎朝僕に切って貰うのだと言っては微笑んで、みっともなくてもずっと剃らなかったと教えてくれた。

僕は鞄からハサミを取り出して1番太い髪の束を取り出して半分切った。

隻を切ったみたいに堪え切れない涙が零れた。
後から後から溢れて来る涙を抑え切る事が出来なくて大声で泣いた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった。息が詰まって頭がぼーっとして指先が痺れた。

こんなに待っててくれたのに僕は何もしてやれなかった。気付いてさえあげられなかった。

悔しさと寂しさ自分へのいかり。いろんな涙が出た。

そしてあの日言えなかった。君が好きって言葉を言った。
鳴咽でよく聞こえなかったかも知れないけど。

ずっと好きだったんだって。

今は愛してるって。

たくさん言った。

あれから僕はずっと一人ぼっちでいる。

だって彼女より愛せる人なんて何処探したっていやしないから。

なんかみっともなくて情けないな俺。


[ 2013/08/16 22:01 ] 死別 | CM(0)


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