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ボコボコにされながらも幸せそうないつもの教室の景色

669: 大人になった名無しさん 2007/03/01 16:36:18

6年生の頃だった
体も声も大きな幹也君は、頭がよく 曲がった事が大嫌い 
流石に学級委員だけの事はあるが、少々お人よし…つまり単細胞だった
一方、すなお君は…直ですなおと呼んだような気もするが…まあいいや、そんな事

事の発端は すなおが幹也の単細胞ぶりに気がついたことから始まった
当時透明ボンドを手のひらに出して乾かすと大人のパックみたいにペローンと
はがれるのが おもしろくて流行った
そのうち すなおが空気を混ぜて透明ボンドを手のひらで作ると
唾みたいに見える事を発見した

                         続く


[ 2013/08/16 16:01 ] 学校 | CM(0)

俺は何も言わず、あふれてきそうな涙を必死に我慢していた。

666: 大人になった名無しさん 2007/02/28 18:09:13

俺が中1だったころの話。
T=俺 K=親友(クラス違う) JとN=クラスメイト(まあまあ仲いい)

ある日、体育でバスケをやっていた。Jは、バスケで足をケガしてしまい、立つのもやっとというかんじだった。
その日は、みんな「大丈夫?」などといってJのことを心配していたが、次の日からはみんなそのことを忘れていた。
俺も、あまりJのことを心配していなかったから、Jは足をケガしていることなんて忘れていた。
数日後、教室の端のほうで下をむいて突っ立っているJがいたから、俺は
「なーにボーっとしてんだよ!!」と、冗談で軽くJを突き飛ばした。
すると、Jの足はまだ完治していなかったため、Jはその場でくずれおち、近くにあった机で頭を打った。

Jは「いてえ」としか言わなかったから、頭にケガはしていないだろうと思ったが、よく見ると、Jの頭から血が流れていたのが分かった。
俺が、ヤバイと思ったころには、近くにいた担任が気づいていて、そばにいた。
担任が「どうした?」と言ったら、Jは「Tが……いきなり押し倒した!!!」とクラス中に聞こえるくらい大きな声で言った。
その後、Jの頭から、血が止まらなかったためJは病院へいった。
俺は、担任、副担任、学年主任、教頭の4人から廊下でひどく怒られた。

給食前、先生たちの説教はやっと終わり俺は教室にむかった。そのとき俺は、下をむいて、しょんぼりしていた。
いつも、俺が先生に怒られて教室にもどると、クラスメイトたちは
「何怒られてるの~バッカじゃ~ん」とか「どんまいどんまい」などといって励ましてくれるのだが、その日は違った。
Jは結構クラスで人気が高かったためか、俺が教室に入ってくるなりクラス中の奴ににらまれた。
遠くのほうで、「T最低じゃん」という女子の声も聞こえた。俺はそれは気にしなかったが、
一番ズキンときたのは友達だと思ってたNの「T最悪!もしJが死んだらアイツ殺人犯だな!」の一言だった。
俺は、大好きな給食を一口も食べなかった。というか、食べれなかった。

給食が終わって昼休み。俺はいつも、JやNとその友達、俺の親友のKと運動場でサッカーをしていた。
NかJが、「T~サッカーしようぜ」と誘ってくれるのがとても嬉しかったが、その日は誰も誘ってくれなかった。
俺は教室の隅にぽつんと1人立っていた。教室内には、俺と数人の女子しかいない。
ふと運動場をみると、Nたちが楽しそうにサッカーをしていた。そこに、Kも入ってきた。
「ああ、きっとNは俺の悪口をいっているんだろう。どうせKも、Nたちの仲間なんだな。」俺はそう思って、運動場を見るのをやめた。

こんなに寂しい昼休みはなかった。俺はただ、教室のすみっこで1人立っていた。



いったん終了。


[ 2013/08/16 00:01 ] 友情 | CM(1)

家の番犬はお前だけだから。

652: 北斗と南斗交わる時 2007/02/13 05:30:53

自分が生まれて物心ついた時から一緒に育った犬・・・
雑種だったが、真っ白でかわいかった。
自分が小さい頃、悪ガキで小便かけたりひどいこともした、
そのせいか、小さい頃はあまりなついてくれなかった。

家の犬は変な性格で、知らない人が来たら居なくなっても10分ぐらいずっと吠えてたり、
車が通ると、すごい興奮してものすごい暴れながら吠える。
そのせいで、壁に特攻して飛び出た釘に鼻がジャストミートして血が噴き出した事もあった。

滅多に散歩行かなかったけど、そのたまに行く散歩のときはものすごい力で引っ張って、
見事鎖が手から抜け出したこともあったな・・・。

俺も大きくなって、小さな頃みたいに嫌がらせとかしなくなって、すごくなつく様になってくれた。
仕事に行く時、帰って来た時、尻尾を振ってこっちにずっと遊んでくれと言わんばかりに
アピールして来た。それで、俺は1,2回撫でて、仕事行ったり、家に入っていった。

俺が21歳の時、夜中家の犬が変な声出して泣く様になった。
心配で見に行くと、横になりながら手足をばたばたさせてもがいている。
恐らく立てなくて、辛かったんだと思う。
飯も前ほどの食欲が無いし、散歩に連れてっても、前みたいに引っ張って歩かないし、
車が来てもさほど吠えなくなった。

俺と親は、「まぁ、19年も生きてるから、そろそろ寿命だな」と頭では割り切ってた。
それに、夜あの泣き声聞いて、あの姿見ると、正直楽にしてあげた方が幸せなのかもと思った。
そして、数日後仕事から帰って来たら、死んだと聞かされた。
俺は「まぁ、犬で19年も生きたんだからすごく長生きしたな。」と言った。
そしたら、家の親父が「いや~・・・俺も分かってたんだけど、涙でちゃったな~」
以外だった、家の親父はぶっきらぼうで、泣くとかそんな男じゃなかったから・・・。
そうこう話して、自分の部屋に入った俺も、泣いてしまった。(我慢してたんだけど)

今まで、散歩に滅多に連れて行かなくてごめん。
小さい時、ふざけていじめてごめん。
もうちょっと、かまってあげなくてごめん。

19年間、家を守ってくれてありがとう。
ずっと鎖つながれた範囲の中で飼い主以外の人間は吠えて、車にも吠えて。
ずっとその狭い範囲の中で番犬としての役目を毎日毎日やってくれたね。
毎日、同じ場所で退屈で苦痛だっただろう?ごめんな、ダメ飼い主で。
そんなダメ飼い主に文句も言わずけなげに役目をやってたお前は、立派な番犬だった。
ありがとう。

親と俺は、話会ってもうペットは買わないことにした。
正直、お前の死は家族みんな辛すぎた。
それに、家の番犬はお前だけだから。


[ 2013/08/15 16:01 ] ペット・動物 | CM(4)

旅行先から帰ろうとした時「今日夕方タロが亡くなりました」

631: ペット(家族)2 2007/02/11 13:00:28

 ゲンタはとても元気がよく起きている間は常に動き続けているような性格だった。
妹はゲンタの写真を撮りまくり部屋中に飾っていた。
母も俺らが学校にいっている間、ゲンタとの散歩を散歩を楽しんでいた。
俺も余の可愛らしさに自分の鼻とゲンタの鼻を誰も見ていないくっつけたりして遊んでいた。
なんだかんだ言っていた父もこっそり大人になった時のゲンタの犬小屋をこしらえていた。
ゲンタは・・・本当の家族だった。

 でも、悲しみは突然やってきた。俺のせいで・・・
 


632: ペット(家族)3 2007/02/11 13:25:59

 あれはゲンタが家族になって1ヵ月が立とうとしていたころ、
俺は車の免許をとる為、教習所に通っていた。家が田舎のため教習所行きのバスに乗るには
車で送ってもらわないといけなかった。(国道から10キロ離れている)
いつものように母が「M(俺)、そろそろいくよ」と声をかけてきた。
ふたりそろって玄関で靴を履いていると、ゲンタがシッポをふりながら奥から出てきた。

 「ゲンタ君もいっしょにいこうか」と母が言うと、ゲンタをだっこして助手席に載せた。
俺は、後ろに座って可愛らしく助手席に座っているゲンタと、うれしそうに運転する
母を、微笑ましく見ていた。

 バス停は反対車線にあったので母はUターンしようとしてたが俺は「いいよ、ここでとめて」と
道路脇に停車させた。
 車の後ろはスライド式のドアなので、俺は車がきていることも確認せずに勢いよくドアを
開けた。       

 助手席に座っていたゲンタが、さっきまでの大人しさが嘘のように車から飛び出した。 

 その瞬間・・・
ゲンタは後ろから追い越そうと猛スピード来ていた車のタイヤの下敷きになった。  


633: ペット(家族)4 2007/02/11 13:46:15

 本当に一瞬の出来事で何が起きたかわからなかった。ゲンタを引いた車は走り去った。
(たぶん引いた事すらきずいていないだろう)
目の前で無惨な姿になっているゲンタを呆然と見下ろしていた。
『ゲンタ!!」 悲鳴にも似た声で叫ぶ母。
母はあきらかに即死であろうゲンタに「家に帰ろうね」「痛かったね」と
話しかけながら抱き上げると車に乗り走り去った。・・・
 俺は呆然としながらバス停まで歩いてベンチに座った。 座ったとたん涙が溢れてきた。
「俺のせいだ」「俺が車が来ていることを確認しなかったから」
まったく身が入らなかった教習所の帰り道は10キロを歩いて帰った。
家に着くと明らかに悲しみにつつまれた空気がただよっている。ただ父だけが
明らかにムリをしてテレビを見ながら笑っていた。
母は台所にいた。  「ゲンタは・・・?」 と聞くと
「助からなかったよ・・・M、歩いて帰ってきたの?電話くれれば迎えにいったのに」
  俺「ごめん」
  母「何が・・・?しょうがないよ事故だから、Mのせいじゃない」
  俺「妹は?』
  母「部屋に閉じこもってる・・・謝ったけど返事はなかったよ」
  俺「母さんのせいじゃない。おれが謝ってくる」
   
 俺は妹の部屋の前で立ち止まってノックをした。


634: ペット(家族)5 2007/02/11 14:12:15

 扉越しに涙声で
 妹「何?」
 俺「母さんのせいじゃないんだ・・・俺が・・・」
 妹「いいよ、誰のせいでもないの解ってる母さんにも謝っといて」
 俺「・・・わかった」

 その日の夕食、暗い雰囲気を打ち消すように父が
 父「いつまでもメソメソするな!!笑ったほうがゲンタも喜ぶ!」
 と明るい父らしい言葉で家族を元気づけた。
たぶん、父は遅かれ早かれ先に逝くゲンタへの悲しみが家族を暗くするのをわかっていた
のだろう。 
 10年経った今では元の明るい家族を取り戻している。でもまだ
妹の部屋にはゲンタの写真と物置小屋には使われる事のなかった犬小屋がある。
実家に帰るたびに思い出す俺のセビアな悲しい思い出。

 


635: ペット(家族)お詫び 2007/02/11 14:16:49

ごめん仕事中に描いたから誤字脱字だらけ。
でも、実話だからゆるしてください。


636: 大人になった名無しさん 2007/02/11 14:19:26

>>630
漏れの家でも犬の死に二度ほど遭遇している
死をもって生きていることの大切さを学べたのでよかったと思う
命あるものは、いつかは死を迎える
この事実を体験できたと思う


637: ペット(家族)お詫び2 2007/02/11 14:24:04

あと変な文章になってるwww
すいません。


[ 2013/08/14 22:01 ] ペット・動物 | CM(0)

私の高校生活最後の思い出に華を添えてくれて、本当にありがとう。

625: 1/4 2007/02/11 05:21:11

今から数年前の秋――高校三年の体育祭。

うちのクラスは運動神経いい人が多く、毎年「獲得得点全学年総合一位」の
有力候補と言われていたが、あと少しというところでいつもその栄冠を逃していた。
(うちの学校の体育祭では、良い順位を取るごとにポイントが加算され、
最も高得点だったクラスは閉会式の時に表彰される)

受験生とはいえ、高校最後の体育祭。
やはり「全学年総合一位」という有終の美を飾りたい一心で、
みんな勉強の傍ら、各競技の練習に励んでいた。

いつもひかえめで、ちょっと困り顔で柔らかく笑うYくん。
普段ののんびりした言動からは想像できないが、クラス一、足が速かった。
彼は男子数人でのリレーとクラス対抗リレーのアンカーに抜擢された。


すみません、つづきます。


[ 2013/08/14 00:01 ] 学校 | CM(0)

私は静かにただ泣いておかんの話を聞くことしかできなかった。

618: ボン 2007/02/09 16:43:50

初めて2chに書き込みします。

私は去年の4月に短大に入りました。

医療秘書の資格を取りたかったので兵庫の田舎カラ上京して大阪へと引越しました。

親は受験間近まで…いや、おとんゎ私が合格しても反対してたと思う。

おかんは私のしたいことはさせてくれたからしかたなしって気持ちがあったんだと思う。

親が反対したのは、まずうちがお金なくて借金かかえてるぐらいだから

これ以上お金使ってほしくなかったってのが一番。

おとんは私が一人娘だから、女を都会に出すのが嫌だったみたい。

それでも親は『がんばれよ』って言って私を大阪に行かせてくれてん。

でも11月のある日-。

私は同じクラスの女の子に呼び出された。

私は前から自分のHP持ってて、そこの日記に愚痴を書いたのをみて

その子らがキレた。

そりゃキレるだろう。

だってその子らの悪口みたいなんのネタみたいにして書いたんだから。

言い訳っぽくなるが、私は学校でのつらかった事も嫌なことも誰にも言えずにいた。

だからどこかで解消する場所がほしかった。

その解消する場所が私のHPの日記だった。

そこしかなかったから私は学校でのつらかったこと、いやなことを書いたつもりだった。

でもそれが書けば書くほど悪口になってた。

呼び出された時ゎ1対1だったのだが途中から違う子がきて2対1で話した。

周りには高校生も通っている場で私はどなられた。

『しばくぞぼけ』

怒鳴られてもしかたないって思って、私はただ謝った。


[ 2013/08/13 22:01 ] 母親 | CM(2)

ええ話や・・・ まるで感動系のギャルゲーのようだ・・・

598: 大人になった名無しさん 2006/11/20 17:42:23

誰もが一度は耳にしたことがあるだろう童謡の1つに、「あめふり」ってのがある。
僕は子供時代、その歌が嫌いで嫌いでたまらなかった。

小学校にあがる少し前、母は僕の入学式に出席することができないままこの世を去った。
車での買い物の帰り道、大型ダンプと正面衝突をして、ダンプの運転手ともども即死だった。
覚えているのは人の大きさをした大きな布の膨らみと、
それにすがりつきながら「痛かったろう、痛かったろう」と大声で泣き喚く父の後ろ姿だけ。

あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

ちょうど事故で母が死んだ日も、路面が滑りやすい雨の日だった。
この歌が雨の日の給食時間に放送で流れると
保育園に迎えに来てくれた優しい母の顔を思い出し、僕は耳をふさいだ。

その日もそんな雨の日で、ごたぶんに漏れず給食時間の放送からはあの歌が流れていたと思う。
朝の天気予報では晴れマークが出ていたので、傘を持ってくるのを忘れた僕は、
下校のときのことを想像するたび憂鬱な気分になっていた。

母の件のせいにするつもりは毛頭ないけれど、その頃の僕はおせじにも可愛い子供ではなかった。
当然友達なんかいないから傘に入れてくる人なんかいるはずないし、
父は仕事で今日も遅いから、まさか僕の傘のために仕事を抜け出して迎えに来てくれるはずもない。
むしろ当時の僕は本当に可愛くなくって、「もし父がそんな風に迎えに来てくれたとしたら、一体どんな顔をしたらいいんだろう」
なんていう風に、子供らしくないネガティブな悩みかたをしていたのを覚えている。

でもそんな悩みなんかもとから不必要で、結局父が迎えに来てくれることはなかった。
当然だ。片親で子供一人を学校に通わせるのは今思えば楽なことではない。
大工であった父はその日も屋根の上で雨に濡れながら家族のために必死に働いていたんだろう。
どんどん強まっていく雨足と、ぽつりぽつりとクラスメイトが減っていった薄暗い教室は、今思い出しても寂しい気分になる。
一度寂しいと思うと、その寂しさはどんどん膨らんでいくもので、そんな時に母の顔を思い出してしまった僕はもうどうしようもなかった。

もしお母さんがいてくれて、傘をさして迎えにきてくれたら、この雨もどんなに楽しいだろう。
そう考えたとたん、涙がぽろぽろこぼれてきて、僕はまだクラスメイトもちらほら残っている放課後の教室で泣き出してしまった。
それに気づいたクラスメイト達も何事だとこっちをうかがいはするが、もちろんなぐさめてはくれない。
やりきれなさと寂しさで胸がいっぱいになっていたところへ、担任の先生が声をかけてくれた。

当時僕の担任の先生というのは結構なお年の女性の方で、杉本先生といった。
ぽっちゃりした体型と人懐っこい笑顔に派手めな眼鏡で、生徒からはおばあちゃん先生なんて呼ばれていたけど、
本人はむしろその呼び方に愛着を感じているらしく、微笑みながら応対していたように思う。

どしゃ降りの雨がふる教室のなかで、小学校2年生の子供が泣きじゃくりながら事情を説明する言葉なんて、一体どれだけ聞き取れただろうか。
先生は膝をおって同じ高さまで顔をもってくると、僕の背中を優しくさすりながら「そうね、そうね」と独特の九州なまりであいづちを打ってくれていた。

僕がやっと泣き止むと、杉本先生は僕に「そんなら先生と一緒に帰ろうか」というと、やっぱり派手めな赤いチェックのはいった小さな傘を差し出した。
途中杉本先生の家にあがらせてもらい、色んな話をした。「今度から雨の日は先生と一緒に帰ろう」と言ってくれたのが、僕は嬉しくてたまらなかった。
なんだかんだで恥ずかしさも伴い、一緒に下校したのはそれっきりだったけど、僕はそれからは雨がそれほど嫌ではなくなっていた。

杉本先生、お元気にしてらっしゃいますか?
僕は今年、夢だった教師になることが出来ました。
先生のことを思い出したのも何かあるのかも知れない、なんていう言い訳を抱えて
実家に帰省した折にはご挨拶に伺わせて頂きたいと思っています。


[ 2013/08/13 16:01 ] 学校 | CM(0)

親孝行したい時に親は無し…運命・寿命とさめてた俺も最近になってやっと分かってきた

587: 大人になった名無しさん 2006/10/06 22:17:08

漏れが19歳の時、母が病気で入院した。
それまで一度も病気をしたことがなかった母なのですぐに良くなると思ってた
・・・が2週間ほどして父が漏れにこういった『母はもう助からない』
癌だった。中学・高校(中退)時代ぐれて暴走族だった漏れは家にも寄り付かず
家族の交流もほとんどなかった。
見舞いに行った次の日母は亡くなった。
葬式で親戚が集まる中涙は見せれないという若い変なツッパリ意識の中だった。
棺おけの蓋を閉めるので思い出の品を一緒に入れてやろうとなり
妹と母のタンスの中を整理していたら鍵のかかった箱が見つかった。
ガキだった漏れはダイヤでも入ってるのかも^^・・と思ってあけてみると
そこには漏れが幼稚園児時代に母に書いた手紙や手作りのお守り、
修学旅行で沖縄に行った時にお土産で一番安いからとの理由で買った¥300の花の香水、
初めてのバイトでもらった給料のなかからやった¥5000が封筒に入ってた。
こんなのわざわざとっとかなくても・・・と思うと同時に思いっきり涙があふれてきた。

それから死に物狂いで働いて父と半分ずつ出して母の墓を立てた。
あれから早18年、父ももういい年になってきた・・
相変わらず会話は少ないし合う機会もあまり無いが親孝行したいと思います。
(親孝行したい時に親は無し)
運命・寿命とさめてた漏れも最近になってやっと分かってきた


[ 2013/08/13 00:01 ] 母親 | CM(0)

ミサンガを見るといつも思い出す俺の甘酸っぱい思い出…

584: 大人になった名無しさん 2006/10/03 22:54:50

小学校6年の時俺には好きな子がいた。今年成人式に出る俺の20年の人生の中で
一番好きになった女の子かもしれない。
あれは多分夏休みのちょっと前くらいだったと思う。友達数人の強引な
進めで俺はその子に電話で告白することになった。今から8年くらい前だから
まだ携帯なんてそんなに普及してないし、自宅に直接電話することになる。
さんざん渋ったあげく俺はその子に電話し、告白した。緊張で何て言って
告ったのか覚えてない。けど返事はOKだった。それから毎日学校へ行くのが
楽しみで仕方なくなった。
まぁでもそこは消防だし、休みでもその子が俺んちに来て漫画読んだり
いろんな話したりでデートらしいデートなんてした記憶はない。
けど俺はすごい幸せたった。
彼女から夏休み明けに転校すると言われるまでは。
それから俺は彼女とあんまり話さなくなった。何話して良いかわかんなかった
し今考えると本当バカなんだけど彼女がウチに来ても居留守を使ったりしてた。
覗き穴から覗いたときの彼女の悲しそうな顔は今でも鮮明に覚えてる。
そんな俺を見てた友達はしびれ切らしたしたらしく彼女の家に行って来い
と無責任に言った。奴らにしてみりゃ興味本位だったと思うけど
今思えばまぁ多少は感謝してる。俺はほぼ無意識に彼女のお気に入りの
漫画だった魔法陣グルグルを5冊持って彼女の家に走った。
インターホンを鳴らすと彼女の母親が出てきた。
「あ、あの○○(自分の名前)ですけど××(彼女の名前)さんいますか・・・?」
「あら、ちょっと待ってね、××~○○君が来たわよ~。」
ちょっとビックリしたような彼女の声が聞こえた後、彼女が玄関に出てきた。
「これ、あげるよ、転校した学校でも元気でな。」
そう言ってグルグル5冊を渡す。彼女は驚いて俺を見た。彼女の目は赤かったと思う。
「ありがと・・・○○君も元気でね。」  少し震えた声で彼女が言った。
何を思ったのかわからないが俺は握手を求めるように手を出した。
彼女は俺の手を握ってくれた。初めて触った彼女の手はすごく小さくて
暖かかった。
夏休みが明けると彼女はほどなく転校していった。俺に置きみやげを置いて。
あれから8年経つけどグルグル1~5巻が抜けた本棚と彼女が俺にくれた
ミサンガを見るといつも思い出す俺の甘酸っぱい思い出です。


[ 2013/08/12 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

俺が生まれる前に亡くなった兄。その兄の歳に今年なる。

576: 大人になった名無しさん 2006/09/04 18:16:44

オレの母親には姉と兄がいた。姉の方は今年おばあちゃんになった。
兄は23歳の時、大工さんをしていて、屋根から転落して亡くなった。
その6年後オレは生まれた。
オレが成長するにつれて、母親や、ばあちゃんが、死んだ母の兄の小さい頃にそっくりだと言う。
オレは高校卒業したら大工さんになると親に言った。反対はされなかった。
オレは今大工の世界でがんばっている。
まだ覚える事ばかりだ。そんなオレも今年23歳になる。
母親やばあちゃんには、どんな風に映ってるんだろうか・・・


[ 2013/08/12 16:01 ] 兄妹 | CM(0)

体中の痛みと爺さんから解放されたんだな、よかったな婆さん。

566: 大人になった名無しさん 2006/08/16 20:13:10

こないだ亡くなったばあさんの遺品整理をしていたら、ばあさんが生前毎日
つけていた日記(の保管分)がでてきた。
家族でパラパラめくって、こんなことまで書いてる~なんて笑っていた。

内容はほとんど仕事(農作業)のことだったけど、そのほかの内容を読んで
ばあさんの苦悩と忍耐にだんだん切なくなってきた。

仕事(農作業)のこと、爺さんに暴力を振るわれ泣いたこと、
親父の独身時代とお袋との出会い、俺が生まれたときや、闘病生活のこと。
150㎝の小柄な婆さんに、爺さんの平手打ちが常だったらしい。親父は子供の頃から
それを目の当りにしている。俺は実際には見たこと無かったけど。
結婚後、半世紀近く夫の暴力に耐え(←親父談、止めにはいると逆上してさらに婆さんに当たるらしい)、
昼も夜もくたくたになるまで働いた母親だったそうな。


去年婆さんが倒れ、入院→手術となったとき、癌の大元は切除したものの、
すでに全身に転移で手遅れだったらしい。
盆前、朝早くにお袋から「婆さんにまだ意識があるうちに会ってくれ」と言われ
仕事を欠勤し急遽帰省した。

病室の婆さんを見たとき、酸素吸入器をつけてやっと生きている状態だった。
ベッド横に附けられた採尿バッグの中は紫色の尿が入っていた。
足や手は冷たく赤黒い、聞けばもう血液が通ってないとのこと。
蚊が鳴くよりもかすかな声だったけど、そんな状態になりながらも「ありがとうな」
と俺に言ってくれた。

「ばあちゃんの顔見に来ただけじゃん……」

婆さんの手を握り、人目も憚らず23にもなる俺はボロボロ泣いた。
仕事が忙しいのもあり、その夜の新幹線でトンボ帰りをしたが、その途中で
婆さんが息を引きとったと連絡が入った。

長崎に住む叔父(親父の弟)も俺と入れ違いに夜、婆さんの顔を見に帰省して
その15分程後に亡くなったらしい。

体中の痛みと爺さんから解放されたんだな、よかったな婆さん。
あの世でいい人見つけて幸せになってください。
俺、また実家に帰ったときに近況報告するから。本当にお疲れ様でした。


[ 2013/08/11 22:01 ] 祖父母 | CM(1)

幼稚園児ながらに感動して自分も泣いてしまった。

563: 大人になった名無しさん 2006/08/09 20:21:57

幼稚園の卒園間近に、
卒園後すぐに引っ越すことになり、皆と同じ学校に通うことが出来ないことがわかった。
んで、まだ幼稚園児なので感情とかも
全然乏しかったのに、卒園式の日にそのことを先生を通じて皆に話したら、
最後に式が終わって門の前でゴチャゴチャしてる時、
友達が「またどこかで会えたらいいね」って、言って、泣いてくれた。
続いて先生もお別れの言葉と別に、自分の為だけに、違う言葉を掛けてくれた。
そこで幼稚園児ながらに感動して自分も泣いてしまった。
その後、見知らぬ土地の見知らぬ小学校に入って、入学式の時、
その幼稚園から、また自分一人の為だけに祝電が来た。 不安とかも吹っ飛んだ。
親が先生から祝電をもらって来て、
今も宝物として大切に保管しています。
長文スマソ


[ 2013/08/11 16:01 ] 友情 | CM(0)

「さっきニュースでN君は助かったと言ってたけど、I君は…」人の死というものがよくわからなかったので頭が真っ白になっていた。

554: 大人になった名無しさん 2006/06/09 20:29:22

皆さんのレスを見てて思い出がよみがえってきたんで書かせてもらいます。


中学校に入学して一年が過ぎ、初めてのクラス替え。自分は人見知りが激しくてあまり周りの人と話せなかった。そのときの自分の前の席にI君がいた。
I君は転校生でさらに一番端の前の席だったので話せる相手は自分くらいしかいなかった。だけど後ろの席の人と友達になってしまったのでI君は誰とも話さないでいつも一人だった。それでもしばらくすると少しずつ話しかけてくるようになって仲が良くなってきた。


[ 2013/08/11 00:01 ] 死別 | CM(0)

家庭環境が最悪で入っていた野球チームを辞めさせられクラスでも常に一人だった俺を救ってくれたのは…

537: 大人になった名無しさん 2006/04/26 23:19:02

俺はガキの頃から夢があった
『野球選手』だ。野球が死ぬほど好きで毎日野球をやっていた
だけど、家庭環境が最悪で、親父が暴力振るったり、大麻に手を出したりなどで
入っていた野球チームを辞めさせられた。高校は入れたけど、野球はやれなかった
クラスでも、同じ中学の奴に家庭環境ばらされて、省かれて、常に一人だった。
だけど、そんな俺にいつも声をかけてくれた人がいる。当時担任だった、S先生だ。
S先生はいつも俺の話を聞いてくれたり、お袋が忙しい時は一緒に飯食ったりもしてくれた。
若くて、弱そうで、情けないっぽい先生だったけど俺は大好きだった。
ある日俺は何気無く、先生に野球の話をした。そしたら先生は『お前はやれるならずっとやっていたいぐらい野球がすきか?』
って聞かれて、俺は頷いた。先生はそうか・・・って感じだった。
ある日、学校に課題を忘れた時に職員室の前を通ったら、S先生の大きい声がした。
なんだろうと覗いてみたら、S先生が野球部の顧問の前で土下座していた。
何かしちゃったのかなって盗み聞きしてみたら・・・
『○○(俺)は凄く野球が好きなんです。彼は心から野球をしたがっています、勝手かも知れませんが○○を野球部に入部させてやってください!』
って言ってたんだ・・・もう俺おお泣きで、どうしていいかわかんなくなって職員室のドア開けて
先生にもういいよ・・・先生ありがとうって言ったんだ。それでも先生は土下座をやめない。
『こいつに思い出を作らせてあげてください』って。。俺は思わず何で赤の他人にここまでできんだよ!って先生を怒鳴っちまった
そしたら先生は『その歳で夢を諦めんな!野球やりたいんだろ?』こう言われて俺もいっしょに野球をやらせてくださいって必死で頼んだ
そしたら顧問がOKしてくれて、俺は晴れて野球部に入部できた。レギュラーにはなれなかったけど
凄く満足できる三年間だった。S先生がいなければこんな満足できなかったし、きっと学校も辞めていたと思う。
S先生は白血病を煩っても、悪化して、もうこの世にはいないけど、先生が死ぬほど好きだ
野球できない時は運動音痴なのに一緒にキャッチボールしてくれたり、ノックもやってくれた。
先生、本当にありがとう、俺の人生で一番の恩師だよ。


[ 2013/08/10 22:01 ] 学校 | CM(0)

その時、ばあちゃんが亡くなったも泣かなかったじいちゃんが初めて泣いた。

521: 大人になった名無しさん 2006/03/30 21:39:11

俺こういうの書くの下手だから意味わかんなかったらごめんな。

俺は物心ついた時から両親がいなかった。親父の浮気が原因でお袋と離婚して
親父は浮気相手と一緒にどっかに行ってしまった。お袋は離婚のショックから立ち直れずおかしくなってしまった
だから俺は親父の親であるじいちゃんとばあちゃんに育てられた。
じいちゃんとばあちゃんは俺にとっては親みたいな存在。一緒に後楽園も行ったし、授業参観も来てくれた。
テストの点が良かったり。部活で活躍するとうんと誉めてくれたり、悪いことしたらいっぱい叱ってくれた
俺はじいちゃんとばあちゃんが大好きだった。でも中学生の時ばあちゃんが死んだ。
死ぬ寸前まで俺の高校受験を心配してくれた。高校に合格したのをばあちゃんに報告した2週間後、ばあちゃんは死んだ。
俺は悲しかったし、大泣きしたけど、じいちゃんは泣かなかった。ただ、「ありがとう」って言ってずっと下を向いてた

それから、高校生活も順調だったし、毎日が楽しかった。
やがて、高校を卒業して、就職が決まり、同僚と結婚。子供もできてじいちゃんは「ひ孫が見れた」と凄く喜んでた。

でも、じいちゃんは徐々に元気がなくなってきていた。年取ったせいか、目がしょぼしょぼして腰が曲がり
寝たきりになってしまった。でもある日、じいちゃんが急に元気になって息子と遊んだり
散歩に出た日があった。俺も嬉しくなって、じいちゃんと一緒にその夜は酒を飲んだ。
その時、初めてじいちゃんが泣いた。「立派になったなあ~」といいながらじいちゃんが泣いた。
俺はじいちゃんが泣くのははじめて見て驚いた。
ばあちゃんが亡くなったも、就職が決まった時も、俺の結婚式の時も、一度も泣かなかったじいちゃんが泣いた。

だけど、次の日じいちゃんが亡くなった。あんなに元気になったから、ショックだった。
遺書が書いてあった。すっごい素っ気ない遺書だったけど、照れ屋なじいちゃんらしい内容だった。
「正雄、ありがとう。私は幸せでした。これからも夫婦仲良く、末永くお幸せでいてください。お願いします。」

じいちゃん!俺は幸せだ。息子は俺の影響で野球やってるし、嫁はじいちゃんが教えた肉じゃが作れるようになったよ
俺はじいちゃんみたいに立派な親になれるか解からないけど、頑張ってやってみるよ。

ありがとう、じいちゃん。


[ 2013/08/10 00:01 ] 祖父母 | CM(1)

父子家庭の俺の弁当に入ってるにんじんは、いつも星の形をしていた。

510: 大人になった名無しさん 2006/03/27 13:52:48

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。


そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。


[ 2013/08/09 22:01 ] 父親 | CM(0)

祖母は普段泣き顔なんて見せない人だったけど、私の絵を見て…

495: 大人になった名無しさん 2006/02/28 08:07:06

「いつまでも綺麗で元気」と評判だった祖母が、私が高校3年の時に急に胃癌にかかりました。
年頃だった私にとって過保護と言える程可愛がってくれる祖母を多少疎ましく感じていた時期でした。

痛みを訴えないので実感がわかなかった上に
大学受験前で非常に精神不安定だった私は正直心からの心配はできていませんでした。

しかし、ふっくらしていた祖母の頬が次第にこけていき、一人でトイレに行くこともできなくなり、
遂に食事すらまともにとれなくなくなり、
気丈だった祖母の口から「痛い」「苦しい」の言葉が漏れるようになりました。

流石に心配しましたし、「部屋に一人きりで寂しいだろうから暇があったら話をしに行ってあげてね」と母に言われましたが
イメージからかけ離れていく祖母に戸惑ってしまい
うまく接する事ができませんでした。


[ 2013/08/09 00:01 ] 祖父母 | CM(3)

母さんを呼んで、イチゴを 食べさせてやれと言っていた。それで泣きやんでいたのは5歳の頃の私だよ、父さん。

481: 大人になった名無しさん 2006/01/27 14:02:39

うちの父親は癌で亡くなったけど、最後は頭が壊れてしまったなぁ。現在と過去がごっちゃに
なってた。

私はちっちゃい頃から父さんが大好きで、結婚して子供を産んでからも、しょっちゅう孫を見せに
行ってた。5歳になった孫と私の区別が付かず、頭を撫でながら私の名前を呼んでいた。

いよいよダメだというとき、私が人目も憚らずに泣いていると、父さんが意識を取り戻し、泣いている
私を見て、ちっちゃい頃と同じように優しく微笑んでくれた。それから母さんを呼んで、イチゴを
食べさせてやれと言っていた。大好きなイチゴで泣きやんでいたのは5歳の頃の私だよ、父さん。


[ 2013/08/08 00:01 ] 父親 | CM(3)

毎日追い返されて、ひどいことも言われたのに来てくれた彼女の優しさ… その優しさを当たり前の物だと思い込んでた自分の愚かさ…

445: 大人になった名無しさん 2005/12/18 07:24:20

どうしようもない話なのですが、セピアな思い出書かせていただきます。
大学生時代、私にはお付き合いしている女性がいました。
しかし、モテない私は、彼女ができたという事に舞い上がっていたため、
(むこうは、俺に惚れてるから、こっちから別れを言わない限り大丈夫)
と暴君になり、喧嘩(といっても一方的に私が怒る)をするたびに
「もうおまえとは、別れるよ。」と言い、彼女をいつも泣かせていました。

付き合って4年目ぐらいのちょうど今ごろの時期に母親から、
「お父さんが倒れた。入院したから今すぐ帰っておいで!」
と電話が来ました。
当時の私は、本当に性格が捻じ曲がっていたので、父親とも折り合いが悪く、
何年も口をきいていなかったので
「俺は行かない。」と意地を張っていました。

その場にいた彼女が、「お父さんが大変なら帰らなきゃダメだよ!」
と必死に説得しましたが、
私は、「うるさい!人の家の事に口を出すなよ!帰れ!」
と終電もとうになくなっているにもかかわらず、部屋から追い出してしまいました。
最低な私は、彼女を部屋から追い出したにも関わらず、
のうのうとベッドに入り、寝てしまいました。

朝、新聞を取りに行こうとしたら、ドアの外に彼女が座っていました。
寒さで疲れきった声で、「お見舞い行こう。行きにくかったら一緒に行ってあげるから。」
と言ってきましたが、私は、
「口出すなって言ってるだろ!もう、オマエみたいな女とは別れる!」
と言い捨て、新聞を取り、自分だけ部屋に入ってしまいました。
彼女はしばらくドアの前にいましたが、私が、
「そんなとこにいると俺に迷惑がかかるんだよ!帰れ!」
とドア越しに怒鳴ると彼女は帰って行きました。
彼女が帰ってから、内心、「どうしよう…実家に帰った方がいいかな…でも…」
と不安になりましたが、「やっぱ、行かない。」と帰りませんでした。


[ 2013/08/06 22:01 ] 恋愛 | CM(1)

ばーちゃんは俺が財布からお金を抜いていることを知っていて…

439: 大人になった名無しさん 2005/11/30 04:48:24

消防から厨房にかけての記憶。

家の近くに父方のばーちゃんがいる母屋があったので
消防の頃からそっちの家も自分ちみたいによく行ってた。
当時ラジコンブームの最後位で、俺も御多分に漏れずハマッてた。
でもラジコンやった人なら知ってるだろうけど、
あれは消防が欲しいと思ってすぐ買える値段じゃない。
両親はラジコン買ってくれた方だけど、
凝り性だった俺はすぐにノーマルに満足出来なくなった。
いいモーターとかパーツとか改造するのにスゲェ金かかった。
で、ばーちゃんの財布に手つけた。
お宮参りの金とかだったんだろうな。
ばーちゃんの部屋忍び込むんで棚の扉開けると、
古臭い金縁の財布にはいつも1万円札が入ってた。
それを繰り返し繰り返し…、総額はいくらになったかも分からない。
で、俺は到底消防や厨房では手に入らないような物を手に入れて喜んでた。
たまに友達と一緒に走らせれば、高い輸入のモーター見せびらかして
自慢気に薀蓄たれたりする日々だった。
でもそんなのが続く訳ない。
ついに親父にバレた。
俺は当然ボロボロになるまで怒られ、ばーちゃんに謝りに行った。
もう何を言われても仕方が無かった。
どうすれば許されるのかすら考えることも出来なかった。

でもばーちゃんは
「知ってたよ。でも、ばーちゃんからは絶対言うまいと思ってた。
だって○○ちゃんは必ず自分から言ってくれると思ってたからね。」
って言って笑った。

…マジかよ。
何でそんな言葉かけてくれるんだ。

ばーちゃんが死んで随分経つ。
でも俺はあの罪を償っていない。
ばーちゃんが本当は何を思ってあんなこと言ったのか、
本当の事は分からない。
だから晩年病院のベッドで寝たきりのばーちゃんにも
合わせる顔がなくて、2回見舞いに行ったかどうかだ。
その時やっと、ばーちゃんが入れ歯だったって知ったぐらいだ。

俺はあの頃どうするべきだったんだろう。
どうすればちゃんとばーちゃんの顔を見る事が出来たんだろう。
今なら仕事して稼いだ金を返せるのに。
あれから10年以上経ったけど、この思いが引っかかって未だに取れない。


[ 2013/08/06 16:01 ] 祖父母 | CM(0)

あれからもう10年経つが、今だ小学校の卒業アルバムは平常心で開けない。

434: sage 2005/11/29 01:25:46

小学校最後の夏、卒業アルバムの製作で
1ページにそれぞれの似顔絵を描きこもう、っていう企画があった。

大体の奴は自分で自分の似顔絵を描いていたが、そんな中俺がひそかに思いを寄せていた女の子が友人Kのところにやってきた。
何でもKに彼女の似顔絵を描いてもらいたいらしい。
特に絵がうまいって訳じゃないKは、彼女が去ってから
「お前が描けよ。」
と図画工作5の俺に彼女分の用紙をまわしてきた。
ガキだった為にその辺の察しがつかず
「いいよ。」
と軽く請合う俺。
自分の似顔絵の何倍もの時間をかけて完成させるとその足で用紙を届けに行った。
一瞬の沈黙の後、教室から走り去る女の子。
きょとんとしつつも慌てて追うK。

状況を理解したのは教室に一人残されてからだった。
俺作・彼女の似顔絵は、細かく細かくちぎってから捨てた。

あれからもう10年経つが、今だ小学校の卒業アルバムは平常心で開けない。


[ 2013/08/06 00:01 ] 学校 | CM(0)

足の悪い子をからかっていたら先生に怒られたんだが、その子はこう言って…

432: 大人になった名無しさん 2005/11/24 00:03:13

小学校の時、足の悪い子がいて、ひょこひょこ歩くのが滑稽でみんなでからかうようになった。
野球なんかでもわざと取れないところにノックして、転ぶのを見て笑ったり。
でもその子はいつもニコニコしてて何も感じてないようだった。

でも、その事が先生にばれてみんなこっぴどく怒られた。
その子の親に謝まりに行った時、その子はいつもと違って泣きじゃくりながら、
「遊んでくれるだけでいい、笑われてもからかわれても遊んでくれるだけでいい」って。
それを聞いてお母さんは泣き出し、俺たちも自分たちの情けなさに泣き出してしまった。
彼の気持ちを考えると、ごめんなって言うのがやっとだった。


[ 2013/08/05 22:01 ] 学校 | CM(0)

貧乏な方が家族の絆が強くなることはある!!

427: 大人になった名無しさん 2005/11/22 01:42:38

もう今となっては3年前の話です。

父親の経営する会社が潰れて○億の借金抱えました。当然実家も車も何もかもが競売に。
今まで上流とまではいかないが、まぁ裕福な生活をしてたんでドン底に突き落とされたって感じがしてた。

うちは今では珍しい7人家族で兄弟五人のうち、俺が長男。下はまだ全員学生で家にまともなお金を出せるわけもなく、 やっとの事で見つけた物件は4Kの一軒家。
前は一人一人部屋もある大きな家だったから小さな家になったけれど、 家族がどこにいるのかすぐ目で見ることが出来るようになった今の家は俺的にはすごく温かかく感じた。

でもな~、実際に現実や責任を背負ってたのは父親一人だった。だからある日突然、蒸発しちゃった。
バイト中に母さんから着信あってその時は出れなかったんだけど休憩の時に電話してビックリしたというか
本気で目の前が真っ白になった。父さんの会社が倒産したって聞かされた時よりもショックだった。

家に帰って下の兄弟達が寝た後に母さんと話をした。でも話してもしょうがないし、とりあえず今は明日の
ご飯を食べられるように頑張ろう・・。口少ない会話の中で決めたたった一つのこと。
もうそれしか話す事なんて無かったわ。

でもさ、その晩に限って全然眠れねーの。明日も10時からバイトあるってのにさ。
そんであまりにも眠れなくてトイレに向かったら母さんがトイレの隣にある風呂場にいた。

何やってんだろ・・・なんか不安になって静かに母さんの後ろに近づいたら
母さんがタバコ吸いながら泣いてやんの。ゴホゴホ言いながらさ。

母さんがタバコを吸っている姿を見たのは生まれて初めてだしタバコは苦手で俺が吸ってると煙で
喉が痛くなるっていう母さんがタバコをだよ・・・それを見て寝床に戻って1時間位号泣してた。

父さんの責任を今度は小さな体した母さんが一人で抱えようとしている事。父さんと結婚してからずっと
専業主婦してた母さんにとってこれからの事とかお金の事は相当なプレッシャーだったんだと思う。
そして56年目にして初めてタバコを吸う程にストレスが母にのしかかっているっていう現実。
何も出来ない自分の無力さに、とめどなく流れる涙を抑えられなかった。

結局タバコ吸ってるのを見た事を母さんに告げてタバコはその場で没収。
そして家族の為にも俺と母さんが柱になって頑張らなきゃって、そんで健康には気をつけようって約束をしました。
そもそもタバコ買う為に無駄金使ってんじゃねーよって感じだしw

三年経った今も相変わらずとんでもねぇ貧乏だけど、母さんから没収したマイセンは捨てずに今も大切に取ってある。
いつかまたドン底に落ちたら、今度は俺と一緒に泣きながらそれを吸おうって約束したから。

俺もタバコなんて吸ってる金ないし、健康の為にも辞めたし今は会社員として働いてる。
貧乏になってすんげー学んだ事ってたくさんあった。家族がいてくれる幸せとか、お金の事。
兄弟も頑張ってバイトして少しずつ家に金を入れてくれてる。
きっと昔のままだったら絶対に感じられなかった「家族の絆」って奴なのかもな。

今までしてた生活にはもう戻れないけれど、今の生活してからの方が充実した毎日を送れてる気がするし。
それに既に底辺に落ちただけに、これ以上底辺に落ちる事も無い分、これからは這い上がっていけるんだって、
そう思うだけで何か頑張れる気がしてる。

最後に、コレ読んでくれてどうもありがと。俺なんかの人生経験だけど少しでも皆さんの活力になってくれたらいいな
と思って書き込みさせて頂きました。


[ 2013/08/05 16:01 ] 母親 | CM(1)

再会した小学校の同級生だった知的障害のあるNさんが自分を覚えていた…

423: 大人になった名無しさん 2005/11/21 00:05:45

消防の頃。
その学校に転校してきたばかりの俺は、わからない事があり(内容は忘れた)、近くにいたNさんに尋ねた。Nさんは親切に教えてくれた。
後で知ったんだがNさんは知的障害があり、みんなからからかわれていた。
Nさんと話したのはそれきりだった。
俺は大学を卒業し、知的障害者の施設に就職した。勤務体制がきつかったせいか、必死に毎日をこなしていて、精神的にも肉体的にも参っていた。
そんなある日、施設内を歩いていたら、「あのぅ…」と俺に声がかかった。振り向くと、そこにはおそるおそる俺に話しかけるNさんがいた。


[ 2013/08/05 00:01 ] 友情 | CM(1)

クラス替え以降いじめられるようになって、でもA君は優しくしてくれた

409: 大人になった名無しさん 2005/10/31 02:59:03

中学2年の時クラス替えしてから急にみんなから避けられるようになった。
理由は不明、いきな「臭い・汚い・宇宙人」と言われた。
小学校の時から仲が良かった子も私と仲良くするとイジメられるからって離れて行った。
女子はシカトが多かったけど、男子はあからさまにイジメてきた。
朝学校に行くと机の上に汚い雑巾や他のクラスの男子のカバンが置いてあり。
「汚ねぇ~菌がうつる~w」「それ誰のカバン?盗んできたんだろ?」
それを見た女子はあざ笑っていた。
そんな中、一緒のクラスになったA君他数人の男子は優しくしてくれた。
他の子はプリント配る時「汚いから」ってわざと私にだけ配ってくれなかったりしたのに
A君達は分け隔てなく配ってくれた。
私とぶつかると「うわぁ汚ねぇ!」って言われたのにA君達はイスとかがぶつかると
「ごめんね!痛くなかった?」と言ってくれた。
運良く3年のクラス替えでもA君と同じクラスになれた。
修学旅行の時なんか「荷物持とうか?大丈夫?」って気遣ってくれた。
中学卒業して10年くらいになるけど、A君のことまだ好きです。


[ 2013/08/04 22:01 ] 学校 | CM(2)

文句一つ言わずに、オレらの空間をそっとしておいてくれた弟…

400: 大人になった名無しさん 2005/10/27 18:00:56

昔、3歳下の弟とSFCのサッカーゲームをしていた。
リビングの大きなTVで、仲良く試合してたっけ。いつもオレが勝ってた。
弟は悔しそうに、時には泣きながら、「もう1回、もう1回!」とせがんできたもんだよ。
ほとんど2Dに近いゲームで、キーパーなんかあり得ないプレーしてた。
もちろん、選手の顔なんてみんな同じ。

あれから数年経って、何度か引っ越した。
高校生、中学生となって、もちろん部屋は個別に持ってた。
でも、2階のオレらの部屋にはTVのアンテナ端子がなくて、1回からケーブルを引っ張ってオレの部屋に1つだけTVを置いてた。
弟は頭が良くなくて、親がTVを部屋に置かせなかったんだ。
ゲーム機もPS2を繋いでて、(PSは引越しの時に廃棄)オレのいない時間に、弟はオレの部屋でゲームしてた。

その内、オレに彼女ができた。あまり長くは続かなかったけど、オレは都合がいい時はいつでもオレの部屋に呼んでた。
もちろん、弟はどんなに暇でもPS2ができない。
だから、弟はリビングで、偶然見つけたSFCを引っ張り出して、古臭いゲームをしてたらしい。
そしたら弟は、不定期にPS2で遊ぶよりもSFCをやる方が楽しいと思ったのか、ずっとリビングで遊ぶようになった。

そんな感じで4ヶ月くらい過ぎたのかな、オレは彼女と別れて、寂しかった。
弟はそんなオレを横目に、久しぶりにPS2で遊んでた。
しばらくして、弟はリビングからSFCを持ってきた。
「兄ちゃん、久しぶりにコレやらない?」
弟が持っていたのは、例のサッカーゲーム。
まだ持っていたのか、なんて言いながら、オレは1Pを手にする。
弟はその性格からか、ファールが多いのだが、それでもオレは圧勝する。
でも、確かに弟はうまくなってた。
「ちきしょー、めっちゃ練習したのになぁ・・・」弟は悔しそうな表情。
お前はいつまでたってもヘタだなぁ、と言いながらも、オレは弟にひどいコトをしていたな、と反省していた。

数日後、オレは弟のために中古でウイイレ7を買ってきた。
弟は最初、すげーリアルだ、とか言ってたけど、その内またSFCを取り出して、またあのゲームを起動する。
「兄ちゃん、もう一回やろ、次は勝つからさ」
そうして弟は、またオレに負けて悔しがる。

でも、そんな弟を持って、オレはすごい幸せだな、って感じた。


[ 2013/08/04 16:01 ] 兄妹 | CM(1)

血の繋がりはないのに私の為に泣いてくれた「お母さん」

391: 大人になった名無しさん 2005/10/19 02:29:01

私が小6の冬のできごと。
私には血の繋がりはないんだけど、赤ん坊の頃からよく面倒みてくれたりどこかに遊びに連れってくれたりするおばちゃんがいたんだ。
おばちゃんとおじちゃんが大好きで「お母さん」「お父さん」ってよんでたんだ。
小6の私は「お母さん」の家でゲームしてたんだ。電話が鳴って「お母さん」が出てなにやら話してたどうやら私の母かららしい。
「お母さん」は何故か声が震えてて泣きそうになってた。
私は構わずゲームをしてた。電話を切って「お母さん」がこういった。
長文スイマセン続きます。


[ 2013/08/04 00:01 ] 母親 | CM(0)

夏休みを一緒に過ごした1ヶ月後、祖父母が自殺してしまった…

377: 大人になった名無しさん 2005/10/15 02:39:06

昔起こった身内の話でも書こうかと思います。
こんな文章を書くのは苦手なんですが…頑張って書きたいと思います。
泣けるかどうかもわかりませんが…;

私の祖父母の話です。
7月上旬、高校2年だった私は夏休みに「母の祖父母の家に行きたい!!」
…と母にワガママを言って1ヶ月ほど祖父母の家に行くことになった。
丁度お墓参りの時期でもあり、墓参りのついでに遊びに行こうか。
そんな話を私と母で話していた。
祖父母の家に行くのだから事前に電話で伝えておこうということで電話をかけて話した。

祖母と私は夏休みの話で盛り上がっていると突然、祖母が急に
「…母さんは今、そこに居る?」というので「居るよ。今かわるね。」
と言って母にかわった。
いつもなら明るく話しているのに今回は暗く、「…うん。…うん。」としか言ってなかった。
30分も経って電話を切った母に私は「何の話?」と聞いてみた。
「家に来てから話すって言ってたから…わかんないわ。」と言った。
どんな話なんだろうか気になったが今は行きたい気持ちだけだったので気にしないでいた。

そして祖父母の家に行き、笑顔で迎えてくれた祖父母。
「これから一ヶ月楽しむぞ!!」と思っていた。

10日ぐらい過ぎたある日の真夜中。
トイレに行きたくなって布団から起きあがり、向かう時にリビングの電気がついてることに気づいた。
気になった私はおそるおそる近づいてトイレに行くことすら忘れ、壁に耳を当てた。
声でリビングには祖父母と母が居ることがわかった。

一体何の話なんだろう…と思った私は一生懸命聞こうと思ったがトイレに行きたい願望があるのか
我慢が出来ず、仕方なくトイレに行って寝ることに。
時計を見たら3時を過ぎていた。

夏休みの1ヶ月は美味しいレストランにつれてってもらったり、高級な寿司を食べに行ったりなどをしたり
「これが欲しいっ!」とか祖父母に色々とワガママを言っていろんな物を買ってもらった。
とっても楽しく過ごせた1ヶ月だった。
夏休みも終わりに近づき、8月下旬に我が家に帰宅。
学校の準備等用意していたらあっという間に学校が始まった。


[ 2013/08/03 22:01 ] 祖父母 | CM(0)

親の都合で振り回される為に生まれて来たわけじゃないのに

373: 大人になった名無しさん 2005/10/13 10:43:58

弟の友達の話。
高校2年だった弟の同級生A君は、お調子者だけど明るくて良い子だったそうだ。
ある時A君は休み時間の教室でバク転をしたらしい。
しかし見事に失敗。
皆が笑う中、頭をしこたま打ち付けたA君も苦笑いしながら
「いてー」と立ち上がった。

が、次の瞬間、突然A君は倒れた。
A君が居た教室は専門科目を勉強する特別教室で、床がアスファルト。

すぐに近くの総合病院に搬送され治療が開始された。
1日経ち、2日経ち…。
だけどA君の脳の浮腫は退かず、意識が戻る事は無く7日目に彼は死んだ。
その間、彼の両親は一度も面会に来なかったらしい。
聞けば彼の両親はA君が幼い頃に離婚し、二人共A君を引き取る事を拒んだ。
だからA君は小さい頃から施設で育ち、高校にも施設から通学していたそうだ。
普段の彼からは想像つかない過去だった。
最期位は両親にも看取って貰いたいと、学校・病院・施設が
一生懸命両親を説得したそうだ。
だが両親はそれを拒否し、遺骨になってしまった我が子を抱く事すらしなかったそうだ。
結局お墓にも入れて貰えなかった彼は、施設の方で埋葬された。

A君はどんな気持ちで見ていただろうか。
彼に何の罪があったのだろう。
親の都合で振り回される為に生まれて来たわけじゃないのに。
悲しいやら悔しいやら腹が立つやら…。
8年経った今でも涙が出る。


[ 2013/08/03 16:01 ] 死別 | CM(0)

今更祖父母に対しての償いにはならないけど、それでもやってやる!!(決意)

357: 大人になった名無しさん 2005/09/30 16:30:10

両親が共働きで、4つ上の兄貴も小学生だったから、小さい頃俺は母方の祖父母に世話してもらってた。
朝、親が出勤する時に車で実家に行き、夜に親が仕事終えて帰ってくるまで祖父母に面倒見てもらうって
いう風な感じで。
ホントに優しくてさ、祖母は毎日俺の好きなカレーだのババロアだの作ってくれて、祖父にもよく遊んで
もらったし全然怒られた記憶無いんだ。二人とも年なのに幼稚園まで自転車で送迎してくれたりして、
祖母はヒザの持病持ってたのに俺がヒザの上に座ったりしても全然嫌がんないの。たまに叔父が帰ってきて
一緒に遊んだりゲーム買ってもらったりとにかくあの家が好きで、小学校に入学しても家に帰らないで実家
帰ってたくらいだった。ちょっとした事情で俺も小学校から自分の家に直で帰るようになったんだけど、
それでもちょくちょく遊びに行った。ゲームしてお菓子食ってワガママ言って、今思うとよくこんなガキを
相手にしてくれたと思う。【続く】


[ 2013/08/02 16:01 ] 祖父母 | CM(0)


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