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今もう一度父親に会えるのならば、きちんと伝えたい

421: 名無し 2010/11/23 01:31:31

数年前父が亡くなった
両親は6年前に離婚していて、私は母親に引き取られたけど、
父親とも仲が良くたまに会ったりしていた
だけど、大学に入ったりと生活環境が変わって、あまり会わなくなった
毎月のように連絡をくれる父に対して、私は返事を返さないことも度々あった

ある日、「入院することになった」とメール
心配になり、連絡をしたが、すぐ退院出来ると言ったので
あまり深く詮索せずにお見舞いにも行かなかった

数ヵ月後…
親戚の方から電話があった
「もう長くないみたいだから、顔出してあげて?」
私は理解できなかった
すぐ退院すると言っていたのに…
それでもすぐに駆けつけなかった
父と会うのが怖くて病院に行くことができなかった
母親に話すと、お見舞いに行きなさいと言われ、私は病院に向かった
病室に入り、父の姿を見た瞬間に涙が止まらなくなった
私の知っている父の姿はどこにもなく、痩せ細り、髪も抜け、
起き上がることも出来ないほどだった
「お父さん」と声をかけると、もう目もあまり見えないと言われていたのに
私を方を見て、優しく微笑んだ父の顔
その顔は今まで見てきた顔と同じものだった
私が来た日、父は久々に笑顔を見せたらしい
父がまだ喋れたときに、私がくるのをずっと待ってたと言っていたと聞いて
さらに涙が止まらなくなった
冷たく接した私のことを朦朧とする意識の中で父はずっと私のことを思ってくれてたのか
こんなにも父に愛されていたのかと、私は実感した

それから数週間…
お見舞いに行き、夕方くらいになって、今日は大丈夫そうだと聞いたので私は帰ることにした
家に着いた瞬間、電話が鳴った
「今、亡くなったよ」
親戚からの電話だった
私は会話もすることが出来なかったのに、死に目にも会えなかった
どんだけ親不孝なんだと自分を妬んだ

父親にはすごく大事にされたと思う
好きなものを買ってもらって、色んなとこに連れてってもらって…
なのに、私は何も返せなかった…
何ひとつ返せなかったことが悔しい
あのときああしてればとかあのときああしてたらとか後悔することばかりだ

今もう一度父親に会えるのならば、きちんと伝えたい
「お見舞い行かなくてごめんね
 今まで大切にしてくれてありがとう」


[ 2013/07/12 00:01 ] 父親 | CM(0)

いつも見守ってるよ って書いてあった…

390: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03 20:56:39

去年
彼女が死んだよ
よくあるはなしだけどさ


[ 2013/07/10 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

友情から愛情へ…

388: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/23 01:06:02

スレ汚しスマソ

あたしは昔いじめられてから他人と上手く関われなくなってしまった
変に緊張して喋れなくてクラスではピエロを演じていた
もちろんろくな友達はいなかったし、先輩にも好かれなかった

そんな中で一人だけ慕ってくれる後輩がいた
恋愛感情抜きでそいつが可愛くて、唯一の心の支えだった
けれどなんでそいつが慕ってくれるか分からなくて
こいつにも捨てられるんじゃないか、って怖くて不安で
嫌われる前に、ってこっちから突き放した
結局 一年ぐらい関係を断ってた

でも そいつが同じ学校に進学してきていつのまにか関係は元に戻っていった
部活の着替えの時だったか、ふと目に入った後輩の手首から腕はぼこぼこで
背筋が凍りついた 目の前が真っ暗になった

後で聞くと離れてた一年間に色々あったのと、突き放されたショックで、らしい
あんなにアタシの相談に乗ってもらったのに
あいつがいたおかげで学校に来れたのに
あいつがいたおかげで自殺未遂で済んだのに
あいつがいたおかげで部活にも来れたのに

あいつは家にも学校にも居場所がなかった
男の子だから、って誰にも頼れず
唯一満たされる場所がアタシと一緒にいる時だった

もう一人にしないから 一人で頑張らなくていいよ
これから一緒に頑張っていこうね


[ 2013/07/10 00:01 ] 恋愛 | CM(1)

俺は真冬の玄関で、がちがち震えながら祖父の杖を握り締めて泣いた…

374: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/28 22:08:33

泣けるか?


もう相当前の話。
俺は毎年夏には祖父ちゃんの住む田舎まで家族で帰省していたんだ。
毎年俺たちが帰るのが通例だったんだが、その前の年に十年近く植物状態だった
祖母ちゃんが逝って、見舞いに行く必要がなくなったからって
今度は祖父ちゃんが東京に来ることになったんだ。

俺はその時ネット中毒みたいなどうしようもないガキで、
学校から帰ってきても祖父ちゃんには挨拶だけして
さっさと自室に引っ込むみたいな事を繰り返してた。
うちは親が共働きだったから、祖父ちゃんは昼間一人でずっとテレビを見てた。

二週間くらい立ったある日、突然田舎の従兄弟んちから電話があった。
田舎の家を整理する話の最中に、祖父ちゃんの持ってた温室を
どうするのか決めるから、帰ってきてくれとかよくわからん内容だった。
祖父ちゃんはその翌々日に帰る事になった。

昔俺は、年老いた夫婦で夫を亡くした妻は長生きするが、妻を亡くした夫は
三年経たずにぽっくり逝ってしまうみたいな話を聞いた事があった。
玄関で小さく丸まった祖父ちゃんの背中を見て、
もう祖父ちゃんに会うことはないんだろうな、とぼんやり思った。

「祖父ちゃん、また来年こっちに来てね」
祖父ちゃんはちょっと振り返って、しばらく黙り込んだ。
それから小さく、うん、と頷いた。
祖父ちゃんは無表情だった。
祖父ちゃんも、俺と同じ事を思っていたのかもしれない。
見透かされたようで、俺は後ろめたい気持ちになった。


それから半年で祖父ちゃんは死んだ。
風呂場で心臓麻痺を起こし、足を滑らせて頭を打ったのが原因だった。
葬式で、俺は祖父ちゃんの死に顔を見た。
祖父ちゃんの顔の脇には、生前愛用していた帽子が置いてあった。
俺は絶対被らないと分かりつつも、その帽子がどうしても欲しかった。
でも号泣する周りの人間を見て、なんとなく言えなかった。

散骨には行かなかった。
怖かったのもあるが、俺は骨になった祖父ちゃんを見たくなかった。
親父は、
「お前は結局、親父のもお袋のも散骨付き合ってないよな。罰当たりが」
と俺を罵った。
そう、俺はその前の婆ちゃんの散骨からも逃げていた。

それだけじゃない。
そのずっと前、俺は生きてる祖父ちゃんからも婆ちゃんからも逃げていた。
祖父ちゃんの震える指を見てたくなくて祖父ちゃんとはまともに会話をしなかったし、
婆ちゃんの黄色がかった目を直視出来なくて、とうとう顔をまっすぐ見れない内に婆ちゃんは死んだ。

「祖父ちゃんは俺と会話、したかったのかな。こんな馬鹿なガキなのに」
俺がつぶやくと、親父は
「お前は一番に出来た孫だからな。親父もお袋もお前を猫っ可愛がりしてたんだ」
とだけ言って、黙り込んだ。
俺は玄関先に行って、祖父ちゃんが最後につかってた杖を撫でてみた。
つやつやしてて、祖父ちゃんの細くてしわしわの指には全然似てない。
その内嗚咽が出てきた。
俺は真冬の玄関で、がちがち震えながら杖を握り締めて泣いた。


[ 2013/07/09 22:01 ] 祖父母 | CM(3)

夏、家のベランダにセミがとまっていたりすると 少し切ない気持になる。

343: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/23 00:12:02

小さい頃に家の前で遊んでいると、道の真ん中に一匹のセミがいた。
でもその頃の俺は虫が苦手で、つかんで道の端に移動させてやることもできなくて
ただ見ているだけだった。

その時、野良猫が来てそのセミをくわえて走り去って行った。俺の目の前で。


あの時、俺にほんの少しの度胸があればセミを救えたのに・・
ほんの少し頑張れば死なせずに済んだのに・・・



20歳になった今でも忘れられない。

夏、家のベランダにセミがとまっていたりすると
「生まれ変わったよ。君に会いに来たよ」って伝えに来てくれたのかなって思ったりして
少し切ない気持になる。


[ 2013/07/09 22:01 ] ペット・動物 | CM(0)

母『お父さんはねぇ・・・・・・本当のお父さんじゃなかったのよ』

337: ウッドストック 2010/02/16 15:51:57

僕の親父の話をさせて下さい。

僕は親父は本当に無口な人間でした。
近所付き合いも下手でマジで人間としておかしいんじゃないかと思うくらい静かな人間でした。
僕が物心ついた時から親父は仕事人間で
親父と母ちゃん、僕と弟の四人で出掛けた事は一回しかありません。
客観的に見たらものすごいダメな父親なんでしょうけど
今思えばこれほどまでに男としてカッコイイ親父は日本中どこ探してもいないんじゃないだろうかと思っています。

僕は小さい頃から野球好きで小学生の時も地元のクラブに入ってました。
弟とはよくキャッチボールをやったんですが親父とはやった覚えがありません。
母親は保母さんをやってて昼は家にはいません。

親父は夜勤だったので昼は家で寝てます。なので友達を家に呼ぶ事は許されませんでした。
僕はそんな親父が本当に本当に大嫌いで正直な話、殺してやりたいと思った事が何度もありました。
弟も親父の事は嫌いでした。なのでよく2人で小さい頃親父の部屋をメチャメチャにしたりと
くだらない反抗をしていました。でも親父に怒られた事は一度もありません。
練習試合の時は母は仕事とかで来れない事が多かったのですが来れる時は必ず来てくれました。
しかし親父は一度も来てくれた事はありませんでした。

僕が覚えてる中で一回だけ親父に叱られた事があります。
それは小5の時の林間学校の出発当日。

僕は冗談半分で夜勤から帰って来た親父に『俺このまま帰って来ないかもしれねーよ』と言いました。
すると親父の目つきが一気に変わり『そういう事は言っちゃだめなんだ』と静かに、しかしものすごい重い言い方で言われました。
笑えるかもしれませんが親父に叱られたのは後にも先にもこの一回だけだったと思います。


[ 2013/07/09 16:01 ] 父親 | CM(0)

俺まだまだワルガキらしいけど もう薬も喧嘩もやめたから死んだらまた会おうや

325: ひろ 2010/01/29 10:04:59

泣けるかわからんけど昔のはなし。


中学入るころにはぐれてた俺。

学校行かんと先輩と悪さばっかりしてた。

学校にはツレってよべれる奴がいなかった。

次第に他中とツルむようになった。
ある日他中とで、たまり場おったら他中の奴の知り合いで健太っていう俺とおない年の結構悪さで名前の通ったやつがおった。

若さからか目があっただけで俺らは喧嘩になった。

お互いぼこぼこになった。


俺は喧嘩に負けた。

何日かして仕返しにいった。


次は俺が勝った。


何回かやりあってるうちに
いつのまにか一緒につるんでた。

健太も学校がつまらないらしく
俺たちは暇をもてあそんだ。

女ナンパにいったり
都会に行って喧嘩したり
原付乗り回したり

ばかばっかした。

ある日先輩に族に入らないかと
誘われた。


俺と健太は族に入った。
族と言っても地元の小さいチーム。

原付じゃ格好つかないとなり
先輩が旧車のスパーダを
卸してくれた。


これで集会に参加できると意気込んだ。


だが俺と健太は
シンナーに手を出すように
なっていた。

薬物厳禁のチームだったが
家でしていたから
先輩にはばれなかった。


[ 2013/07/09 00:01 ] 友達 | CM(6)

俺に嘘をついてまで、どうして病気を隠したのか

304: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/04 11:47:38

今からちょうど13年前の夏休みの話。

母が腫瘍があって県立病院(やったと思う)に入院してた。
当時中3の俺は部活の後、毎日毎日見舞いに行っていた。
母と同じ部屋には俺より1つ上の女子の紗希ちゃん(仮名)が居た。俺の母といつも話していて、母と仲が良い。
俺もよく話した。将来の夢とかも語り合った。紗希ちゃんは第一志望校の高校に行けたのに、ずっと入院してると言っていた。

ある日、母の腫瘍を取り除く手術があった。母は俺の心配を気遣ってか、
「お金あげるけん、何か楽しんできよ」
と、一万円札をくれた。貧乏なので、俺は嬉しくて何に使おうか迷った。
さすがに一人で楽しむのもつまらないので、紗希ちゃんと一緒に行こうと誘った。
でも、入院中の紗希ちゃんを連れて行くのも・・・・と思ったが、紗希ちゃんは医者に頼んで許可を貰った。


[ 2013/07/08 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

少女の抱く「ナベ」の中には…

263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/10 07:25:55

1/3

語りかける目

1月23日、私は2回目の出動をした。

任務は長田署管内の救助活動・遺体捜索。
そして、村野工業高校体育館における遺体管理と検視業務の補助であった。
仮の遺体安置所になった体育館は、たくさんの遺体と、それに付きそう遺族であふれていた。

そんな中で、一人の少女に、私の目はくぎづけになった。
その少女は、ひざの前に置いた、焼け焦げた「ナベ」にじっと見入っていた。
泣くでもなく、哀しむでもなく、身動きもせず、ただじっと見入っていた。

私は、その少女に引かれるように近寄っていった。
「ナベ」の中は、小さな遺骨が置かれていた。

「どうしたの。」

思わず問いかけた私の一言が、その少女を泣かせてしまった。
どっとあふれだした涙をぬぐおうともせず、懸命に私の目を見つめ、とぎれとぎれに語り続けた。
「ナベ」の中は、少女が拾い集めた母の遺骨であるという。


その夜(1月16日)も少女は母に抱かれるように、1階の居間で眠っていた。
何が起こったかも分からないまま、気がついたときには母とともに壊れた家の下敷きになって、 身動きもできない状態になっていた。
それでも、少女は少しずつ体をずらし、何時間もかけて脱出できた。
家の前に立って、何がなんだかわからないまま、どの家も倒れているのを見た。
多くの人が、何かを叫びながら走り回っているのを見た。

しばらくして、母が家の中に取り残されていることに気がついた。

「お母さんを助けて。」

「助けてお願い。」

と、走り回っている大人たちに片っ端からしがみつき、声を限りに叫び続けた。
だれにもその叫び声は聞こえなかった。声は届かなかった。
迫ってくる火事に、母を助けられるのは自分しかないと、哀しい決断を強いられた。


[ 2013/07/08 00:01 ] 母親 | CM(2)

京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したそんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・

247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/20 06:08:50

両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。
両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。
それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。
そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。
俺はびっくりした。兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。
俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」なんて事を言ってた。
俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから
頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。
それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、
ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。
そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・

葬式で俺も妹も泣きじゃくった。。
葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、
叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実をしることになった。

両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。
兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。
京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。

・・・それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった・・・
色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。
小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた・・・
強くておもろくてやさしかった・・・
自分の小遣いからお菓子買ってくれてた・・・
俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った・・・
いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった・・・
自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった・・・
おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、
がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった・・・俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声をおしころして泣いてたの知ってたよ・・・

やべえ思い出して・・・もうこれ以上書けねえわ
何もできんかったわ・・・
ホントなんも・・・
最後に言わせて。
最強最高の兄ちゃん!!!あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。ありがとう。ありがとう!!!


[ 2013/07/07 22:01 ] 死別 | CM(0)

彼は夢を諦めない為に彼女を捨てた…

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/17 17:48:41

私事です。
うちには小学生の娘がいます。
娘はいつの間に私に似たのかか調子乗りで、声が大きくて…でも、元気に育ってくれてます。
ある日、娘は友達を連れて帰って来ました。
はじめて見る子だったのですが、とても綺麗な顔立ちをした子でした。

後日、授業参観でその子のお母さんが声をかけてくださいました。
お母さんはやはりとても綺麗な方でした。
行事があるたびに声をかけてくださり、仲良くしていただいたのですが。
彼女の身の上話を聞き、とても驚きました。

彼女はシングルマザーで、娘の父親は東京にいると。


[ 2013/07/07 16:01 ] 恋愛 | CM(0)

娘と生活する時間をつくるために美容外科に転科して…

220: 1/3 2008/06/15 15:38:41

216 名前:名無しゲノムのクローンさん[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 01:28:33
もう十数年前になるけど、嫁が急逝してドロップアウトした。
赴任先の基幹病院のある地方都市。俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、
最後まで子供の心配しながら最後まで俺に謝り続けて一人で逝った。
3歳の娘一人残して。
葬式の時、娘は
「ママいつ来るの?ママいつ起きるの?いつ起きるの?」ってずっと泣いていた。
娘は嫁の実家で面倒みてもらいながら仕事に戻ったよ。忙しい病院だった事に加え、
いつも学会準備に追われていたので帰宅は毎日遅かった。それでも休みの日には
嫁の実家に泊まりにいって、少しでも娘と一緒にすごすようにした。
母親がいなくなった事も受け入れているようで、俺がいくといつも笑って走って
来て「パパー!!」って抱きついてきた。

嫁の実家に行ってからは泣くこともなく娘は楽しく暮らしているように見えたよ。



217 名前:名無しゲノムのクローンさん[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 01:29:24
嫁の実家で娘と一緒に寝ていた時、深夜にすすり泣くような声で目が覚めた。
俺が起きた事に気が付くと、一生懸命に寝た振りをしようとしていたけど、すすり泣く声が漏れる。
娘を抱き上げて、どうして泣くのを我慢するんだ?って聞いても黙っていた。
何度も何度も聞いたら、
「じいちゃんとばあちゃんに、パパは忙しくて疲れているのだから絶対に
泣いたりして困らせちゃダメ!」って言われてそれを一生懸命まもっていたらしい。


[ 2013/07/07 00:01 ] 死別 | CM(0)

彼女が痴呆になりました…

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/06 18:05:44

彼女が痴呆になりました、前から物忘れが激しくて、ある日夜中に突然昼ご飯と言って料理を始めたり
ある日突然、私は貴方の妹なのと言ったり、俺がこれは変だと思い、病院に行ったら、痴呆症だと言われた
俺と彼女は結婚する約束をしていた、もう給料三か月分とは言えないけど指輪も用意していた
あとはこれを渡してプロポーズするだけだった、でも彼女はもう殆ど俺のことを覚えていない
一人じゃ何にも出来なくなって、俺が介護するしか無かった
仕事も辞めて、彼女と二人ぼっちで家に引きこもって、毎日、毎日、俺は彼女の右手を握り続けた
貯金も底を付き、いよいよ生きていくためのお金が無くなった
その頃から彼女の両親が「娘を引き取りたい」と言ってきた
彼女の父親に「君もまだ若いんだから、これからの人生に生きなよ、娘のことは忘れてくれ」と言われた
でも、俺は忘れられなかったよ、新しい仕事でも、考えるのはいつも彼女のことばかり
わかるか? 四六時中一つのことしか考えられない人間の気持ちって
一年して、彼女の実家を訪ねてみた、でも家には誰も居なかった
彼女も彼女の両親も町から消えていた
彼女の家族が北陸の町で暮らしていると言うのを知ってすぐにそこに行ったよ
海沿いの家に住んでてさ、家に行くと彼女の母親は驚いていたよ
俺は「彼女に渡したい物がある、直接渡したい」と言った
「海で待っててください」と彼女の母親は言って奥に消えたよ
黒い浜辺で待ってると、寝巻き姿の彼女を母親が連れてきてさ
彼女の姿はもう、酷かったよ、言葉に出来ないくらいに
俺と彼女は浜辺に二人で座った、彼女の母親は気を利かしてくれたのか、消えたよ
彼女はなにやらわけのわからないことばかり言ってたよ、なんだったかな「世界一遠くて近い場所」とか「音の響きが聞こえない」とか
俺は彼女の左手を持って、ポケットからある物を取り出した
彼女の誕生石のエメラルドの指輪だ、俺がそっとそれをはめてやると、彼女は嬉しそうにしてしばらく黙り泣いた
自分でもなんで泣いたのか判らないみたいだった
それを見ていたら俺も泣けてきちゃった、俺は彼女を抱きしめておいおい泣いたよ
たぶん二時間くらいじゃないかな
彼女に少し強く抱きしめられてるような気がしたよ


[ 2013/07/06 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

人が死ぬというそれはどんなことよりも悲しいことではないだろうか。

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/08 22:47:18

ん~・・・それじゃつい最近のことでも書きますか…(長文可能性大)
母屋のおばちゃん、特に強い血のつながりは無かったし、
特に目立っていい思いでもなかった気がする。
お年玉を貰ったり、時折野菜を貰う程度の付き合いだった。

そんな日々が続く中、いつの間にかおばちゃんを見なくなってきた。
勿論、そんなことを気にすることも無かった私にとってはどうでもいいこと…

ふとその娘さん(とはいっても結構年食ってるけど…)とであったとき
「病気でずっと入院しているんだよ」という情報を聞いた。
勿論そのときも「ふぅ~ん」程度にしか思わなかった。
でも、なんとなく心配だからお見舞いに行くことにした。
見た感じずいぶんと元気でまだまだすぐに退院できそうなぐらい元気だった
話す言葉への返答もそれなりに元気だったから安心していた。



かれこれ何ヶ月たっただろうか…また病院にいくこととなった。
勿論、おばちゃんのお見舞いに行く為にである。
そこで見たおばちゃんは依然見たときとは全く違っていた。

なんというか…骨の上に皮が被っている。そんな感じにしか見えなかった。
全体的に黄色みがかっていて、衰弱も酷かった。
父や母は色々と会話をしてちょっと世話を焼いていたのだが
どうしてだろうか…いつもの私ならば笑顔で「大丈夫?」とか言えたのに
何も出来ずただただ棒立ちをして目の前で衰弱しているおばちゃんを
ただただ見ているしかなかった。
何故だろうか、言葉が出ない。 何を話していいのかも分からない…

その後母にせかされる様に私もおばに話しかけていたのだが…
どうも返答が小さすぎて聞けなくて…しかも私から目を離して
ボソボソと「ありがとね・・・ありがとね・・・」って
何度も・・・何度も・・・
「ありがとね・・・ありがとね・・・」
その日、その目は少しだけ潤んで見えた。

帰りの車の中で母が
「もうあの調子だと長くは持たないわね…」って。
正直何故こんなにも冷たい言い方を出来るのだろうかって…
それ以上に腹立たしいのは自分の親なのに殆ど見舞いに来なかった
娘の方である。
私はその車の中で過去に出会った取り返しのつかない過ちと今見てきた
現実との間で複雑な気持ちになった…



[ 2013/07/06 00:01 ] 祖父母 | CM(0)

僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/29 10:44:03

なんと、4番は夏美だったんだ。
みんなからキスコールが挙って、俺はみんなの前で初キスするのが嫌で夏美と一緒に京都の店から通りに出たんだ。
ちょっとした所にお寺があって、その賽銭箱の前の石段でキスをした。下から見つめてくる夏美が可愛くて俺は夏美と抱き合った。
夕方になって、担任に怒られたがちっとも嫌じゃ無かった。
それから、高校に上がって夏美は他の学校に行ってしまった。確か、父の転勤があったらしい。
俺は、またも胸の中に大きな穴が空いた。
気が付けば、3年の時も王様ゲームとかをやって一緒に遊んでいた仁海はいつの間にか彼氏が居なくなっていた。

仁海は俺のこと、待っていてくれたのかな。

頭に仁海は彼氏も付き合わずに俺のことを待っていてくれてた。
きっと、夏美の引越のことを事前に聞いていたんだろう。
俺は、決意を固めて高2の時に仁海に告白をした。仁海は待ってくれたから、満面の笑みをして来た。
小学生の時から一緒だったのに、こんなに遅くなるとは思っていなかった。
それから4年が過ぎて、大学は違う学校に行ってたのだが家が近い為、いつも一緒だった。
1月にあのころ、王様ゲームに参加していた奴が言った。

おい、聞いたかよ!仁海が交通事故で重体だって。

俺はその病院の名前を聞いて、走りだした。
病院に着いた時は、もう遅くて仁海の家族と友人などが泣き崩れていた。俺は声をあげて泣いた。
皆がひとまず帰ったころ、まだ俺は病室にいた。目の前にある冷たくなった仁海は今でも動き出しそうで、それでもう仁海という存在は世界から消えてしまった。

あれから、8年。夏美と結婚したのに、まだ仁海のことを心の隅に置いている。
初恋の相手仁海。
俺は心の中に残っている、大事なあいつとの時間を忘れない。


                            fin


[ 2013/07/05 22:01 ] 恋愛 | CM(0)

初恋の相手と今の嫁と…

152: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/29 10:41:08

小学校1年生くらいの時だったかな。
仁海(仮名)って言う子が居たんだよ。
席は結構離れてたけど体育の班とか一緒でさ、気が合ったって言うか話易かったんだ。
電車のホームで仲良く喋ったり(私立の学校だったから家が遠かった)そいつの家に行ったり、俺の家に呼んだりしたんだ。
5年生位になって男子と女子の溝みたいな物が出来て来て、喋る回数が減ってったんだ。
6年生くらいになったら、全然喋らなくなったんだ。でも、あいつは俺と前みたいに喋りたかったのかもしれない。けど、俺は喋ろうと来てくれる仁海に他の奴らの目を気にして追い払うようにして逃てたんだ。
それから、同じ中学に上がってってやっと俺の仁海に対する想いが幼なじみとか、親友って意味じゃないのに気が付いたんだ。
告白をしようって決意した時にはもう遅くて、仁海は他の奴と付き合ってた。
自分がなぜ、あの時にあいつを追い払ってしまったのか。自分がなぜあいつから目を背けてしまったのか。
仁海はずっと俺のことを見ていてくれたのに。
遅すぎた自分に腹が立ったし、何よりも悲しかった。でも、恋だけに生活を乱せる訳が無く、学校にちゃんと行ったんだ。
授業中にあいつの事ばっかり考えてた俺は横目であいつを見ながらぼーっとしていた。
その時に隣の奴がかなり優しくて、仁海の事を考えて半ば鬱になっていた俺は話して行くうちに仁海の事を忘れて行った。
それからかなり時間が経って、中学3年生になった俺はそいつに告白された。元々、そいつは小学生のころから同性からも、異性からも人気だった。元気があって、可愛くて、頼りになって。
そして、鬱だったころの俺を救ってくれた。だから、俺は付き合うことにした。
他の仲の良いカップルどうしと遊びに行ったり、プリクラ撮ったり。
色々なことを教えてもらった。3年の冬、(受験勉強は私立だったからそのまま高校に行くため勉強は余りしなくてよかった。)修学旅行の時に王様ゲームを班でやった。班は6人で自由に組んだ為、俺とそいつは一緒になった。しかも、仁海も入っていた。
仁海が王様になって言った。「1番と4番の人がキス!!」と。俺は一瞬固まった。
俺は1番だったからだ。俺と男子ならともかく女子とするとなると、夏美(その時の彼女)と望月のどちらかになる。
夏美の前で望月とキスするのは控えたかったから、俺は男子であることを望んだ。(普通なら望まない)
「1番の人はだ~れ~?」俺は手をあげた。
4番は~?


[ 2013/07/05 16:01 ] 恋愛 | CM(6)

高校の頃好きだった女性に独身主義なのかと聞かれ…

166: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09 16:39:09

去年、高校の頃好きだった女性と再会した
彼女の方から声をかけてきて飲みに行った
「貴方って相変らず独身主義なの?」
「あぁ。俺は絶対結婚なんてことはしないね」
「・・・・そっか」

半年後、彼女が婚約したことを知った。
後日友達とのみに行った時
「彼女、高校の時からお前のこと好きで
半年ほど前彼女から声かけてきた時最後のチャンスで告白しようとしたらしいけど
お前が独身主義だって言ったので無理だと思って諦めたらしいよ」と言われた
俺は「告白されても俺は断ったね。あんなビッチ興味ないよ(笑)」と高らかに笑った

そして、家に帰って声をあげて泣いた


[ 2013/07/05 10:01 ] 恋愛 | CM(5)

あいつは許してくれるだろうか…

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/15 16:29:12

俺の友達が彼女を飲み会に連れてきたとこから始まる

親友というほどではなかったが、月一回は必ず飲む仲間だった
彼女は俺のタイプだった


[ 2013/07/04 16:01 ] 恋愛 | CM(1)

先生のおかげで私には初めて親友と呼べる存在ができました。

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10 23:11:37

泣けるかどうかわからんが・・・・・
私の話。
中学三年の夏。私に不登校でオタクな女の子の友達ができた。
かっかけは些細なことだった。担任の先生から「運動会の練習するから呼びにいって!」
と、何故か私に頼んだのだ。
まともに話したこともないのに・・・と思ったが、文句を言わずに行った。
おおげさかもしれないけど、本当にアレは運命だったのかもしれない。
その子はびっくりするほど元気で、私に話しかけてきた。
そして、私がアニメが結構好きだと知るや、自分の趣味も話してきた。
そして私とその子は友達になった。
 

一週間経って、先生が私とその子の席を前後ろ同士にした。
二週間経って、その子が朝と帰りのHRにでるようになった。
三週間経って、その子が授業にちらほらでるようになった。



[ 2013/07/04 00:01 ] 学校 | CM(2)

タンスの中から日記らしきノートを見つけて…

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09 22:17:40

泣ける話かわからんが…

俺のオカンは左目が見えない。
なんか若い時に病気か怪我か何かで見えなくなったらしい。
聞きゃあ教えてくれると思うけど聞いたことはない。

幼稚園の頃に周りの園児に「お前のオカンは目が見えん」とかで俺はのけ者にされていた。
今、思うとこの頃から自分はオカンのせいでこんな目にあっているとオカンを恨んでいた。
小学校低学年の頃、オカンと買い物に行くのが周りでは当たり前だったが俺は1度も行ったことがない。
オカンに行こうと言われても絶対に行かなかった。
中学の頃の授業参観や体育祭にも1度もオカンを呼ばなかった。
人と違う母親が何か恥ずかしくて…周りに馬鹿にされるんじゃないかと思って。
高校の進路相談の時も別々に学校に行き、別々に教室に入った。
オカンは教室がわからなくて廊下をウロウロしてたらしい。
まぁ俺みたいなDQNはもちろん大学には行けず、ニート決定。

こんなクソみたいな俺に文句1つ言わないオカンの理由がこの頃にわかった。

アホな俺は親の部屋で、親の通帳を探していた時、タンスの中から日記らしきノートと俺名義の通帳を見つけた。
日記の内容はオカンの日記だった。

自分がこんなんだから俺がイジメられてないか。
自分がこんなんだから絶対に俺のいる学校に行ってはダメ。
自分がこんなんだから俺が自分のことを嫌いなんじゃないか
自分がこんなんだから俺の為に人1倍がんばらないと。

こんな感じのことがノート3冊くらい書いてあった。
オカンは俺じゃなくて自分を責めていた。
俺名義の通帳にはコツコツと貯められている結構な額があった。
俺は1円も貰う価値のない人間なのに。

どうしてあの時、一緒に買い物に行かなかったんだろう。
どうしてあの時、授業参観にオカンを連れていかなかったんだろう。
どうしてあの時、体育祭にオカンを連れていかなかったんだろう
どうしてあの時、あんな酷いことをゆったんだろう。
どうしてあの時、慰めてあげなかったんだろう。
どうしてこんなにオカンを不安な気持ちにさしてしまったんだろう。
どうして今までこんなに離れていたんだろう。

いろんな思いが溢れて来て俺は何年ぶりかわからないくらい久しぶりに泣いた。

俺はこの日、なぜか頭を丸めたのを覚えている…


5年経った今は安月給だけど就職もしてなんとか働いている。
ヒマな日とかにはオカンと買い物にも行ったりしてる。
失った時間は大きすぎるけど、少しずつでも取り戻していきたい。
今まで支えてくれたように、今度は支えて行こうと思う。
遅いかもしれないけどこれからは俺がオカンの左目になろうと思う。


[ 2013/07/03 16:01 ] 母親 | CM(0)

こんな大人にだけはなりたくないと、思ってたけど、世界一カッコいい父親だと思った

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/25 21:49:02

父が食道癌になりました。
ウチは癌血統ではなかったので、この告知は本当に驚きました。

私は父と、この10年ほど腹を割って話したことがなく…
何かあれば衝突ばかりで。。。
大事な話は、母を通して話してました。
喧嘩ばかりというよりは、ロクに話したことがないのです。

だから、
「お父さん、体の調子が悪いんだ」
そんな言葉を耳にしても、気にもとめずに、いつもの様に遊び歩いていたんです。


そんな父が緊急入院した時は、本当に目の前が真っ暗になりました。
食道癌のせいで、食べ物が飲み込めずに痩せ…
無理に飲み込もうとしたせいで、腫瘍から出血を起こし、血液が殆どない状態で、緊急入院となったのです。

私と母は、何とか暗い気持ちにならないように父の検査が終わるのを待ちました。
「癌な訳ないから、きっと大丈夫!」
そう言い合ってました。


が、
下された診断は、癌でした。
父は肝硬変も患っているらしく、肝臓が弱りすぎて手術は不可能らしく、放射線治療となりました。


その告知を家族と一緒に聞いていた父は、主治医に急に怒り出しました。

「何故、こんなことを家族に聞かせるんだ!
俺だけに言えばよかっただろう!?」


お父さん、普通逆だよね?(笑)
“本人に聞かせないように!”って家族が気を使うよね?
何もこんな時にまで、家族を守ろうとしなくていいんだよ。
怖い時には、震えて泣いていいんだよ。
皆の前でわざと強がって、布団に顔を隠して泣かなくていいんだよ。

お父さん、私はあなたのことをわかろうとしなかった。
事業に失敗したり、借金抱えたり…頼りにならない父親だとばかり思ってた。
こんな大人にだけはなりたくないと、思ってた。



でも、今は…
こんな家族思いな父の娘に生まれてきて本当によかった。
こんなに優しくて、思いやりのある父を心から尊敬します。




お父さん、一緒に頑張ろうね。

うまく書けなくてゴメンなさい。。。


[ 2013/07/03 00:01 ] 父親 | CM(1)

親父のあの泣き声は今でも耳に残っている

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/26 21:32:02

これは、私が中1の時の話です。

中学生に入学して、勉強についていけず、テストの成績を見せるたびに
厳しい親父に2時間くらい怒られていた。
怒るとなにより頑固で怖い親父がその時死ぬほど嫌いだった。

だからパソコンでしょっちゅう親の愚痴かいてた。
それがなによりのストレス発散だった。
チャットで知らない人とメールしたりしてた。本当にいい人達だった。

そしたらある日、夜に起されて、勉強の説教を受けた。
夜に親父の怒鳴り声・・・・。

そしたら親父「お前がチャットしてる奴らはな、えっちな事ばかりしてる奴らなんだよ!」
って怒鳴られた。
チャットの内容を全てチェックされていたのだ。

確かに、チャット仲間には40代の人などいた。
でもチャットのマイク使って、私のためにピアノ弾いてくれたりした。

それが悔しくてな・・・。
勉強のことでストレスが溜まっていて、もう限界だった。

最後には、プラスックバットで殴られ、部屋に貼っていたポスターを破られ

限界がきた私は裸足で外へ出て、チャリで警察に行った。
雨だった。
本当に親父が憎かった。

警察行って、泣き喚いて、オカンが来て・・・・・。すごかったよ。

家に帰ったら

親父が泣いてたんだ

まるで子供のように。
初めて聞いた親父の泣き声。
すごかった。

オカンも泣いていた
私も泣いた

親父のあの泣き声は今でも耳に残っている


[ 2013/07/02 00:01 ] 父親 | CM(8)

「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/25 20:15:19

●突然押し寄せた不幸
 小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。
習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。
そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。

 2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。
足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。

 目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。
しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。
中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。
集めたお金は焼け石に水でした。

 かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。
「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。
もういいから、退院させてください」と。


[ 2013/07/01 16:01 ] 子供 | CM(2)

遺影の義父は笑っていた。

60: 神戸 2007/01/25 16:02:25


その娘は中学2年生だったが学力が全くなく割り算がまだ出来ない位だった。
義父は彼女が6年生の時にやって来た。
彼が来てからは家の様子が変わった。
今まで母親は母子であることを理由に娘を過保護にしていた。
そのお蔭で娘は我侭のやりたい放題だったが義父は厳しく挨拶から御箸の持ち方や
勉強に至るまで口煩かった。
勉強に至ってはつきっきりで教え休日には一緒に本屋で参考書や問題集を選んだ。

しかし、厳しさに見かね祖父が義父と喧嘩になり娘を引き取った。
祖父母家庭に落ち着いた娘は何も言われない環境に満足した。
娘は成績が更に急降下し模擬試験では偏差値が28まで落ち就職を考えねばならなかった。
祖父母宅に行ってから3ヶ月が過ぎ娘はキセル乗車をして学校から指導を受け母に連絡が来た。
義父は娘を呼び話を聞き翌日、鉄道会社に謝罪しに向かった。
頭を下げまくり何とか問題にしないでくれと懇願し相手も了承した。
学校にその事を報告し担任にも謝罪した義父は担任から更にいじめをしている事実を告げられ
愕然とする。

娘を更に呼び話をして帰ってこいと言った。帰らないなら一生、帰るなとも言い放った。
母はオロオロするばかりで娘にこれ以上、問題を起こさないでと抽象的に言うしかなかった。
娘はただ聞こえているだけだった。


[ 2013/07/01 00:01 ] 父親 | CM(4)


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