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私がなんにも話してくれなくて寂しいって泣いてたらしい

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
uni.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1071493778/

471: 大人になった名無しさん 2009/04/26(日) 23:05:16

小6のときにおじいちゃんが脳梗塞で倒れた。
それまでオセロやったり囲碁やったりたくさん遊んでくれた。
私が喜ぶことばっかりしてくれたしすごい優しかった。
なのに倒れる数年前から友達と遊ぶことが多くなってきてあんまり会わなくなっちゃったね。
脳梗塞のせいでおじいちゃんは歩けなくなってまともに話せなくなった。
もっと優しい言葉をたくさんかけてあげれば良かったのに。
私は何て言ったらいいのか分からなくてそれから全然話しかけられなくなっちゃった。
おばあちゃんが言ってたけどおじいちゃんは
私がなんにも話してくれなくて寂しいって泣いてたらしい。
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[ 2012/11/19 10:00 ] 特選 | CM(0)

なんで恥ずかしがって読書なんかして、「ありがとう」って言わなかったのか

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
uni.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1071493778/

428: 大人になった名無しさん 2008/08/16(土) 00:23:59

俺の家は共働きだったから小さい頃は休みになるとよくおばあちゃん家に
泊まりに行ってた。よく自分の畑で作った野菜を入れたカレーを作ってくれた。
コーンが入ってるのが俺はお気に入りでおいしかった。お風呂にも入れてもらった。
俺は生き物が大好きで夏休みはばあちゃんと一緒に小川に魚とかザリガニとったり、
夜にカブトムシとりにいったり、早朝には夜に仕掛けたバナナトラップに集まる
カブトクワガタを捕まえるため4時ごろ起こしてくれて一緒にとりに行った。
それにばあちゃんは俺を喜ばせるために農業用のでっかいケースにカブト虫の
幼虫を大量にそだててくれた。めっちゃうれしかった。ばあちゃんも女性なのにな。
俺の為にわざわざありがとう。
それから俺が中学生ぐらいになるにつれて、ばあちゃん家に行くたびにいっつも
親にばれないようにお小遣いをくれた。それを目当てでばあちゃん家んいいくことも
しばしばあった。最低だった。ごめんね、ばあちゃん。
そんなダメ孫の俺が帰る時、1ヶ月に1~2回は合える頻度なのに車が見えなくなるまで手を振って
見送ってくれてたばあちゃん。雪が積もってる時でも見送っててくれてた。
そんなばあちゃんが癌で入院して手術。腫瘍は全部取れなかったんだけど、ばあちゃんには
ないしょにしてたらしい。その後は元気で元旦も親族集まって楽しくやってたけど、
取れなかった腫瘍が転移したりで2ヵ月後ぐらいに入院。
その頃は部活が忙しく、なかなか見舞いにいけなかったんだけど、もうあんまり長くはない
と聞いてからはたまに見舞いに行った。
最初の頃は結構元気だったんだ。こんな元気なら大丈夫だろうと勝手に解釈してた。




[ 2012/11/10 21:00 ] 特選 | CM(1)

元妻の息子への愛情に感動した

母の泣ける話ください
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/healing/1207538844/

94: 癒されたい名無しさん 2008/09/10(水) 17:17:38 ID:TJuc3/0x

俺にとっての母の話ではないのですが、俺の息子にとっての母の愛情の
話をさせてください。

俺は10年前に離婚しました。二人の間には当時4歳の一人息子がおり、
俺は息子を引き取りたかったが、4歳の子供には父親よりも母親の愛情
のほうが必要ということで妻が引き取った。俺は養育費を送ることとな
った。妻は仕事を持っており、普通の男性サラリーマンと同じぐらいの
十分な収入があったが、俺も息子への愛情のつもりで十分な金額の養育
費を毎月送金していました。
息子が小学校4年生になったとき、元妻がやや重い病気を患い、手術す
るために入院することになった。そして元妻の入院中、俺が息子の世話
することになった。その間の生活は、子供の通学など生活環境を優先し
て、元妻が息子と暮らす家で、俺は息子と1ヶ月一緒に暮らした。


[ 2012/10/21 18:26 ] 特選 | CM(0)

じいちゃんがすい臓ガンで入院した

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
uni.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1071493778/

185: 大人になった名無しさん 2005/11/29(火) 21:42:36

週末以外ほとんど親から放置されてた俺達を育ててくれたのは、ばあちゃんとじいちゃんの二人だった。
じいちゃんは物をつくるのが好きでよく色々なものを作ってくれたりしたし、ちょっとした路上の喧嘩の仲裁なんかもやれる昔気質の強い人だった。
それが変わったのは小学校高学年の時。
じいちゃんがすい臓ガンで入院した。
以前から入退院を繰り返していたが、子供心にすぐ出てこれるなら大したことは無いと馬鹿な事を考えてた。
それで、さほど心配せずに家族で夏休みに母の実家まで遊びに行った。
出発前の見舞いで病室に入った時から妙な感じはしていたが、それでも遊びに行く事に頭が一杯で気にはしなかった。
今でも行きの車の中で『まさか』と軽い気持ちで想像してた自分を絞め殺してやりたいと思っている。
その『まさか』がその日の夜に起きた。

[ 2012/10/21 15:00 ] 特選 | CM(0)

じいちゃんが残してくれたもの、それは家族の絆

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
uni.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1071493778/

179: 大人になった名無しさん 2005/09/16(金) 11:42:02

何年も前から痴呆症だったじいちゃん。
自分の誕生日は言えるのに、年は言えない。
娘の名前は?と聞かれても、孫ある私の名前を言ったりしてた。
私が1年間の留学に立つ日、私にいつもおこづかいをくれていたばあちゃんに代わって
その日はじいちゃんがおこづかいをくれた。
いつももう働いてるんだからいいよ、って断っていたけど
じいちゃんがくれるっていうんだからもらっていきな、ともらうことにした。

それから半年、留学先でじいちゃんがもう長くないと知った日
何も手につかなかった。
何度か入退院を繰り返し、私が帰国した時は病院のベッドの上だった。
私が誰だかわかる?かすれた声で私の名前を言ったじいちゃん。
日に日に衰えていく姿をばあちゃんと2人で毎日見るのが辛かった。
どんな治療をされても、一言も痛いと言わなかった。
父に大丈夫、すぐ良くなるからな。と励まされたその夜、
じいちゃんはベッドで静かに涙をこぼし、すすり泣いていたそうだ。
あれが意識のある最後の瞬間だったのかもしれない。
それからすぐにじいちゃんは息を引き取った。
[ 2012/10/20 15:00 ] 特選 | CM(0)

じいちゃんと血が繋がっていないとわかったのは小学校の時

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
uni.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1071493778/

176: 大人になった名無しさん 2005/09/06(火) 05:40:01

じいちゃんと血が繋がっていないとわかったのは小学校の時。
じいちゃんが勤めている叔父の会社に遊びに行った時、社員証の苗字が違かったから。
籍入れてなかったんだよね。ばれたと思ってじいちゃんが全て話してくれた。
そんなの関係ないよ、じいちゃんはじいちゃんだよ、みたいな事言ったらすごく
嬉しそうだったな、ちょっと泣いていたと思う。車に乗っけてもらって色んな所に
よく連れて行ってもらった。昔話もたくさんしてくれた。
[ 2012/10/18 15:00 ] 特選 | CM(0)

ガンだった母は自分の命より私を生むことを選んだ

母の泣ける話ください
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/healing/1207538844/

186: 癒されたい名無しさん 2009/08/01(土) 05:57:30 ID:6k57Jc99

私の母はガンで死んだ。
発見した時はわたしがまだ母のおなかの中にいる時だった。
初期ガンだったため、ちゃんと治療すれば簡単に治るはずだった。
だが、治療するためには私をおろさなければならなかった。
母は私を産むことを優先した。
胎児に悪いからと抗がん剤も治療らしき物は何もしなかったらしい。
その事実を知ったのは小学4年生の時だった。
その頃にはもう母は寝たきりの状態になり、入退院を繰り返していた。
小さいながらも看病していた私は、くだらない事で母と喧嘩した。
その時、母も極限の精神状態だった為に「あなたを産んだから私はこんなになったのよ!!」と私に言った。
私はその言葉が心に刺さった。
母に存在を否定されたから?違う。
自分が母の命を奪う原因を作ってしまったのだと知ったからだ。
私は母に涙を流しながら謝った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、わたしいなくなるから。だからお母さん治って」
私の言葉に母は涙で顔をくしゃくしゃにしながら大声で謝りながら私を抱きしめた。
二人でひたすら謝り続けた。
そこで私の記憶が途切れた。

私が中学3年の時、余命2年と言われた私の母はまだ生きていた。
だが母はもう一人では立ち上がれず、トイレも私が連れて行かなければならないほどに悪化していた。
母が入院した。
足を折ったのだ。
私が学校の間、家には誰もいなかったときにトイレに行こうと頑張った時に足を滑らせたらしい。
母の足は骨の代わりに太い鉄の棒が刺さっていた。
私はあまりの衝撃に泣いた。
母は「ドジっちゃた、心配かけてごめんね?」と笑って私の頭をなでてくれた。
一番ショックなのは母なのに笑っている母の強さにまた泣いた。

[ 2012/09/19 17:34 ] 特選 | CM(0)


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